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弓手研平展 還るべき幸せ season1

-還るべき幸せ-

いつの時代も人は幸せを求めて生きてきた。
私は最近、大地の上で自然と向き合い1万年以上も争わず暮した縄文人の思考に興味がある。彼らが美しいと感じたものに我々も共感できると思う。彼らは土の上に創作したが、私はキャンバスの上で土から描く。人はなぜ創るのか。人はなぜ描くのか。人にとって幸せとは何か。すべての足元には土がある、だから私は土から描く。その継続の上に当たり前の本質が芽生えると信じています。
弓手研平

5月11日(土)初日を迎えた弓手研平展、今回も色鮮やかな林檎の木のモチーフの作品がとても印象的で心躍ります。

玄関を入ると目に飛び込んでくる林檎の木シリーズ3点
幸せな朝の林檎の木と池に集う生き物たち(80号)

玄関正面に飾られた『幸せな朝の林檎の森と池に集う生き物たち』はその中でもストーリーを感じる動きのある作品です。鳥の囀り、牛や馬、羊・・動物たちの鳴き声も聞こえてくるような気がしませんか。
この作品を目の前に「天国を描こうとしているのかなぁ・・」と弓手がつぶやいたのがとても印象的でした。
「天国」・・??・・よく耳にしたり、自らも使ったりする言葉ですよね。でも、実はコレという具体的なカタチがないもののような・・答えがないから面白いものかもしれません。
「幸せとは・・」追い求め、描き続けてきた弓手の新たな世界を一緒に楽しんでみたいと思います。

幸せな暁、林檎の木と生き物たち(120号)

圧巻のサイズ!この作品は唯一画面を直に見ることが出来る作品です。
これが油絵?・・と目を疑うよう・・高級なベロア地を思わせ、柔らかな空気に瞬く間に包み込まれてしまう作品です。

林檎の木シリーズ(20~6号)
リビングに飾られた林檎の木シリーズ
朝陽に染まる林檎の森と生き物たち(F30号)
朝陽昇る林檎の森と生き物たち(M15号)


人気のサイズ(SM、0~4号) 林檎シリーズ

モリモリの林檎の木が描かれた作品のタイトルが「林檎の森」となっているのに気づかれた方も多かったと思います。森の中に泉があり、生き物がゴクゴクと音を立てて水を飲む様子が想像できませんか。まるでオアシスのようですよね。この光景・・どこか夢の世界のように思いませんか・・これが天国なのでしょうか。

そして・・
林檎の木シリーズの他にも魅力あふれる作品がたくさん並びました。

お茶室の展示
月夜の白滝(M0号)
月夜に微睡む薄紫色の蓮池(P4号) 
月夜に蓮上で笛を吹く人(P3号)


玄関にも人気モチーフの二上山と睡蓮池、綺麗な女性像が並びました。

玄関
静かな朝の睡蓮池(12号)
二上山笑う(F10号)

春の山を描いたこの作品は実際に見ることができる期間が短い春の一瞬をとらえた作品です。「不思議とこの時期の絵はこの時期にしか描けない。みるみると芽吹いてしまうから大変なんだけどね」と嬉しそうに語ってくれました。東京では見ることができない景色、冬から春に移り変わるホワっと優しい春の空気を感じる一枚です。

月夜に果物を抱く人(M6号)

和室にはバリエーション豊かに油彩作品、ドローイング作品を展示しました。

和室に飾られた富士山や百済観音、伎芸天、奈良を思わせる作品たち
食べ物シリーズ
おにぎりと豆腐(絹・木綿)
木綿豆腐(SM)

木綿豆腐の上面には「実際に木綿を載せ、その上から絵具を載せ、削っては塗り・・としたんだよ。絹も同じようにしてみたんだけど、ほとんどわからないよね」と笑いながら話してくれました。シンプルな白い四角いもの・・この中にも豆腐になるまでのプロセスがすべて色となり絵具の層となって描かれています。シンプルだからこそ、見えてくる魅力ある作品です。

ドローイング作品もバリエーション豊かに展示しました。
行った先で2時間ほどで描く作品はどれも楽しげでエネルギーに溢れています。言葉がなくても、楽しいことが伝わってくる・・行ってみたくなる、行った気になれる・・そんな作品です。

台湾、伊賀、諏訪湖、富士山
春の尾道、浄土寺山展望台より

イメージを膨らませて描かれたドローイング作品は、その場で描いてきた作品とも、油彩とも違う、とても幻想的な魅力で溢れています。

雲上の富士、星月夜
満月と富士

2年前の個展以来、富士山モチーフが増えたような!?・・
「あのシンプルな山は描きたくなる。不思議だけど、他の山にはない魅力がある」と答えてくれました。

雲間を照らす月光の富士(楕円40×30㎝)

そして、面白い反応が見られた作品がコレ!
タイトルには「かぼちゃ」とある・・でも、「富士山?!」という声が多く聞かれた作品です。

満月と三日月とかぼちゃ(S3号)

実はこの作品、途中までは富士山を描く予定だったという・・描いているうちにかぼちゃに変わっていったそうですよ。(笑)
さて、こんな風に私たちを楽しませてくれる作品たちが生まれる源は2日目に開催されたギャラリートークで明らかになるでのでしょうか。

『弓手研平の視点と思考』

 ギャラリートーク :5月12日(日)15:00から開催

『神々の談』の画像を前に語る弓手先生(TV画像 井川氏)

ドキュメンタリー番組『神々の談(かむらがらのかたらい)』(塩崎祥平監督作、「神様って現代人にとって何なのか?」と問う番組)から弓手の出演シーンを中心に対比の対象として、
10名の語り手のうち下記の4名を起用し、弓手の描く源を紐解いていきました。
 
*井川健一・・自然農法でお茶を栽培・茶師。
       自然との境界、土の持つ力の視点では弓手との共通点が多い
 *隈研吾・・建築家・デザイナー
      建築家ならではの視点から発する言葉が印象的
*黒澤和子・・映画衣装デザイナー・エッセイスト(黒澤明監督の長女)
         黒澤明監督のエピソードに触れながら自由な発想で話される
*千田稔・・地理学者(歴史地理学者)、奈良情報館館長
      奈良ではファンが多く、キリっと印象深い話をされる

足元にあるものをじっくり描く

・・足元にあるものをちゃんと見ないとモノが見えてこないのではないか・・

僕の絵の特徴は・・地面から作る。
キャンバスの上に土の部分を作らないと描くものが育たない・・
例えば、花を描こうとすると、土から育て、種を植え、蕾、花の順に描いていく、水もお米(おにぎり)も、どの絵も同じく土から育て描く。
人の目にはその下に隠れている安心できるものがないと食べてはいけないもの、危険なものと思ってしまう・・そういう感覚を絵の上でも大切にしている。

『幸せな朝の林檎の森と池に集う生き物たち』を前に語る映像

春・・夏・・秋・・冬・・その繰り返しで色が育っていく

どの色を重ねていくと次に載せる色が活きてくるのか?!を考えてみた・・
春・夏・秋・冬の季節通り20年分くらい繰り返しで今の色が育ってきた。
絵の具の層は70、80・・90層と増えていき、1~1年半かけて仕上げていく。
手間のかかるものほど完成した時には手応えがある。

おにぎりが出来上がるまでのコマ送り動画
葉っぱが秋色?!出来上がり作品が下の作品
青葉の上のおにぎりと朝陽

憲法シリーズ

ある弁護士さんから「足元に意識をもって絵を描くその視点で、無いと困ると分かっているけど、普段意識していないもの(憲法1~103条)を解釈して絵画表現をしてみないか」と提案を受け、2006年から約5年の歳月をかけ完成させた110点の作品、弓手が描く現在の作品に欠くことが出来ない作品。
2年前の個展では『作品の心を語る~憲法シリーズから今~』と題したトークイベントを開催、その時にはお見せ出来なかった作品から3点選び、皆様に観ていただきました。

展示された3作『月』『鎮重の守』『はじらう』
『月』 第一条 天皇

天皇・・って??・・と考えたときに月に例えた。月は太陽のように絶対にないと困ると感じるものではないが、無くなってしまったら何かおかしい・・重力、潮の満ち引き、地球に生命をもたらしたのも月の引力によるおかげ・・そして、世の中に絵画、芸術がなくなったら、
人間はただの動物になってしまうとも語り、あたりまえにあるものの重要性を説いた。
『鎮重の守』 第2条 天皇 

条文から思い浮かんだイメージを絵にした作品。(鎮重の守とは拝所を取り囲むような森林)

『はじらう』 第17条

ブータンの女性を描いた作品は純粋な心の表現の現れと語る。

「幸せとは・・」と問い続け、思考を重ね、行動し、手繰ったものがキャンバスいっぱいに表現された作品は、今も観る者の心を捉えます。

「今、縄文にハマってます!」

目を輝かせて、「縄文のことをどんどん掘り下げてお話していきたいと思います」・・と、今回の本題に入った。

縄文土器画像の前で熱く語る弓手先生

「縄文ってどんな人々だったんだろう?」
対比して、「現代の自分たちはどんな暮らしで、どんな考え方をしているのか??」
更に、「日本人とそれ以外の国の人たちはそもそもどんな考え方をしているのか?」
現代に生きる日本人、海外の人、縄文人を対比して見て(聞いて)欲しい・・)

自然への恐れ

日本人らしい生活をし始めたのが縄文時代、時代の長さとしては1万年以上も続いた時代、弥生時代の前で、狩猟民族で移動しながら採集だけで暮らしてきたと教科書1ページ程度で習った(昭和50年代)。それ以降、調べられたことで、かなり定住していたことが分かり、長く続いた大きな要因として戦争をしなかったこと、と今は考えられている。
「この1万年以上の間、狩猟、採集だけで争いがなく、非常に幸せに生きていた縄文時代は、日本人の国家理想形なのではないか!?と思うようになった」
「縄文時代の日本人の思考に絵画を持っていくと、みんなが求めている何かに繋がるのではないか」・・と、非常に興味があると語った。
なぜ?・・太陽・月・海があるのか・・(縄文人たちは)不思議でたまらなかっただろうけど、これが幸せに生きていくために必要なものと感じていたから、これらが無くならないように・・家族、子孫のために祈る。

祈る土偶
縄文のビーナス
仮面の女神
面白い顔の土偶
水煙文土器

縄文考古館、釈迦堂遺跡で観ることができる土器、土偶の画像を見せながら、営みの中から自然と生まれてきた土器、土偶のデザインの大胆さ、造形美を岡本太郎(縄文文化はスゴイ!と発し、太陽の塔を創り出した)、ピカソ(目、鼻の位置が普通ではない面白さ)の発想も交えて説いていった。
縄文時代の人々の労働時間は3~4時間(今日食べるものだけを狩猟・採集する)、それ以外は何をしていたのだろうか?・・もしかしたら、ひたすら土器や土偶を作っていたのではないか?!・・と想像したら今よりもはるかにモノをつくり出す力も芸術的発想のレベルが高かったのではないかと考えるようになった。

縄文人が多く暮らしていた諏訪湖で描いた作品見ながら縄文を語る
諏訪湖にて縄文を想う

ソウゾウ(想像・創造)する

「30層くらいまでは抽象的な感じ、カタチが最初から決まっていない方が安心する。描きながら想像してイメージを高める方が描く側も楽しい。
完成予想図が決まっていると単なる作業になる。
中盤ぐらいまでは構図も確定しない。」(弓手研平)

「言葉に翻訳できないものの中に物質的なものが潜んでいるような気がする」(隈研吾)
「想像する人は創造する。・・分からないから面白い」(黒澤和子)

黒澤和子さんが語る様子を拝見

漠然とした理想があって達成感が常にちょっとずつ満たされていくんだけど、常に最新作が一番いいものでありたいと思う。
それを繰り返していく・・と語り、半分ぐらいが分かってて、半分ぐらいが分かってないから続けていける。
少し曖昧な部分余白、想像させてくれる部分があることが想像力が広がっていくのではないか・・と考える。

0から1を創り出す


「日本人はイノベーションが不得意、他から入ってきたものを改良すること、1~2を創り出すことは得意・・
0~1を創り出すことが不得意・・なぜかというと、自然というところで遊んでいないから、自然は常に何かを創り出している」と、千田稔氏が語ったことにドキッとさせられ、とても印象強かったと語った。

千田稔氏

(絵画・芸術は)作る人と作ったものを見る人、その関係で成り立っている。もし、一度も絵を描いたことがない子がいたら・・どこでその感覚が生まれるのだろうか?・・自然に触れることがなかったら、芽生えないではないか・・芸術的な分野は教育上後回しにされてしまうのではないか・・

縄文人は圧倒的な自然の中に暮らしていて、土器をつくり出すのに土からつくり出し、科学的なことを見出した・・と、自然と関わることで「0~1を創り出す力」が生まれと説き、芸術教育の大切さに触れた。

芸術教育の大切さ


ART TAIPEIの会場で学校単位で見学にくる子供たちの姿を見たことをきっかけに、台湾の高いレベルの美術教育を目の当たりにした経験を語り、STEAM教育、芸術教育の大切さを説いた。


台湾の子供たちが写生する光景の画像を見ながら語る

【STEAM教育】
科学・技術・工学・芸術・数学の5つの英単語の頭文字を   組み合わせた造語。
科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)。芸術・リベラルアーツ(Arts)、数学(Mathematics)の5つの領域を対象とした理数教育に創造性教育を加えた教育理念。知る(探究)とつくる(創造)のサイクルを生み出す、分野横断的な学びです。

 

陰と陽

ブータン訪問

ブータンを訪問した際の画像を見ながら語る


憲法シリーズを手掛けるにあたり、『幸せとは・・』と問い、行き着いたのがブータン王国。
物乞いのいない最貧国と言われる国にそのヒントがあるのではないか・・と、2007年に訪問。(2007年までは前国王、2008年に現国王に変わり、憲法が作られ、少しずつ変化が見られている)
そこで見て、感じてきたことを画像を観ながら語った。
ブータンの財産は家族、土、山、川、木、汚れのない国(どこでもきれいな水が飲める。)
そのきれいな環境を小さな欲望(家族が一緒に過ごせて、一緒にご飯が食べられる)で割ると『幸せ』と考えられ、穢れがあると徳を積めないという宗教観もあり、ブータンの人たちは本当の幸せを知っているのではないか・・と実感した。

しかし、幸せな反面、文化・芸術レベルは非常に低いと感じたと語った。
古いものを残すより上書きしてしまい、文化的に高めて洗練していき、広めていくという概念がない。人間ならではの欲望がなければ、文化は高まっていかないのではないか・・物足りなさを感じたことを語った。

幸せを追求していく上で見えてきたもの・・
人間は豊かな感覚を持ち合わせている反面、残酷なことも出来てしまうのも人間。食物連鎖の頂点が人間じゃないとしても人類だけは今までに途轍もない残虐なことをしてきた。
ブータンに行ったことで大事なものが見え、描き進めることが出来たが、何か足りないもの、反対側の最悪な状態を見ないと描けないことがあると感じたときにアウシュビッツ訪問を決意。

アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所訪問

アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所 画像


実際に何が行われていたのか(人間の持つ残虐な面)を目の当たりにする為に訪問。
収容所の中で絵を描かせてもらったことで感じたこと・・
漠然と死ぬしかない状況になった時、人間は美しいもの、人間らしい存在であろうとする・・
音楽が出来る人は石を壁に叩きつけることで奏で、
絵が描ける人は壁に描く、これらは痕跡となって訴えかけてきた・・
人間が極限に達した時、楽しい、キレイと感じることで「ただの生き物ではなく、人間であること」を確認する。

訪問した際に描いた作品

ここで行われたことを目の当たりにしたことで最後まで描けなかったもの(9条)を描き上げることが出来たと語った。

2022年夏 特別展示

陰と陽・・反対側のものがあることによって見えてくるものがある・・
縄文人に当てはめてみると、生存率の低さ(悲しみや苦しみ)に相反するものとして芸術性の高い土器や土偶を生み出す(喜びや豊かさ)ことに繋がったのではないか・・と語り、自身が作品を生み出す源に重ね、締めくくった。


「天国を描いているのかもしれない・・」と呟いた先には何が見えてくるのでしょうか・・
これから生み出される作品を想像し、楽しみにしたいと思います。

STAFF A


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