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「九州アバンギャルドと名品コレクション」ゴールデンウィーク特別展示

みぞえ画廊東京店で4月13日(土)~5月6日(月)まで開催いたしました
ゴールデンウィーク特別展 「九州アバンギャルドと名品コレクション」
の様子をご紹介致します。

展示概要

タイトルの通り、この展示は二部構成になっており、Section1 が九州アバンギャルド、Section2が名品コレクションでした。

Section1
1950 年代後半から 60 年代前半、「反公募展」「反中央」を掲げ戦後の福岡を駆け抜けた菊畑茂久馬、桜井孝身ら前衛芸術集団「九州派」、それに対抗するように北九州で結成され過激なパフォーマンスを繰り広げた森山安英ら反芸術グループ「集団蜘蛛」。九州から岡本太郎ら中央の前衛運動に合流しアバンギャルドの旗手となった池田龍雄。近代以降新たな美術の潮流を作ってきた九州から生まれた〝前衛〟に焦点を当てた作品をご紹介。

[出品作家]
菊畑茂久馬、桜井孝身、オチオサム、田部光子、磨墨静量、木下新、森山安英、池田龍雄

菊畑茂久馬、「Roulette: Target」、木、エナメル、ゴム、鉄、ワイヤー、紙、121.9×84.5×15.6cm、1964年
森山安英、「光ノ表面トシテノ銀色 34-3」、キャンバスに油彩・樹脂、F10号、1994年

Section2
「時代や流行に左右されず、いつの時代も人に感動を与え続ける上質な作品を提供する」をコンセプトに蒐集した国内外の名画たちを一堂に展示。

[出品作家]
パブロ・ピカソ、マルク・シャガール、 オディロン・ルドン、アンリ・マティス、ジュール・パスキン 、ジャン・フォートリエ、ジャン・デビュッフェ、藤田嗣治、坂本繁二郎、児島善三郎、⻑谷川利行、猪熊弦一郎、斎藤義重、鴨居玲、香月泰男、須田剋太、菅井汲、坂本善三、宇治山哲平、田淵安一、野見山暁治、豊福知徳、他

ジャン・フォートリエ「白いコンポジション」、ミクストメディア、F5号、1957年
藤田嗣治、「裸婦」、油彩、55×46cm 1925年

九州アバンギャルド

まずは九州アバンギャルドの作品からご紹介していきます。

そもそも九州アバンギャルドとは?
アバンギャルドとはフランス語で「前衛」という意味であり、元々は軍隊の中の前衛部隊を指す言葉でした。
芸術の中では、既成の芸術観念や組織を否定し、革新的で最先端をいく、新たな可能性を切り拓こうとする芸術活動のことを指します。

戦後日本での前衛芸術の発展は、九州の作家たちが特に躍進しました。
そして九州の前衛芸術活動の中でも特に大きな跡を残したのが「九州派」というグループでした。

九州派

九州派とは、1957年に結成され、1950年代〜1960年代にかけて福岡を拠点に「反芸術」、「反中央」(反東京)、「反公募展」を掲げて活動していた前衛芸術集団で、主要メンバーは桜井孝身、オチオサム、菊畑茂久馬、石橋泰幸、田部光子らです。
九州派の活動は政治との関わりも強く、作品の素材としてゴミ、廃材、そしてアスファルトを頻繁に活用していました。
これは、生活者、労働者のイメージとつながるため、且つ安価な素材であったためです。中でもアスファルトは、労働争議の暗喩としても機能し、九州派の代名詞ともなりました。

当初は前衛芸術を広めるために、また美術界の再組織化をはかるために、九州各地でアンデパンダン展を開催していました。
その一方で、反中央を掲げた活動の一貫として、読売アンデパ ンダン展への出品や主要メンバーの立て続けの個展などを東京の画廊で開催し、東京の作家や批評家に対する挑発もおこなっていました。

結成から数年が経つと、オブジェ制作やパフォーマンスへと表現の軸は移っていきました。
そして、リーダーは決めず会費さえ払えば誰でもメンバーになれる体制をとっていた九州派は、制作の方向性の違いもあり、度々解散、再編を経てメンバーを大きく入れ替えております。その後、中心的なメンバーの離脱もあり、 68 年頃にグループの解散を迎えました。

そんな九州派の中から、今回は菊畑茂久馬、桜井孝身、田部光子、オチオサム、磨墨静量、木下新そして集団蜘蛛の森山安英とアヴァンギャルド運動の池田龍雄の作品を展示しました。

菊畑茂久馬

今回の展示の目玉作品が玄関正面に展示されていた菊畑茂久馬のルーレットです。
何でできているのか、どのように作られているのか、仕組が気になって近くに見に行きたくなるような、遊び心を感じる作品です。

菊畑茂久馬、「Roulette: Target」、木、エナメル、ゴム、鉄、ワイヤー、紙、121.9×84.5×15.6cm、1964年

菊畑は 3 歳で父を、15歳で母を亡くし、独りになってしまいました。
楽焼の絵付けの仕事をしながら自己流で絵を描き始め、23 歳の時に画家になることを決めます。そこで出会ったのが九州派結成のメンバーでした。

1956年、公募展に出す以外に画家への道はない時、画家同士が主体となって企画されたペルソナ展への参加をきっかけに、桜井孝身とオチオサムに出会い、九州派の結成に加わりました。そして、アスファルトで描いた絵画や、丸太に大量の 5円玉が打ち付けられた立体作品を読売アンデパンダン展などで発表し、着々と注目を集めていきました。

そんな菊畑がさらに名を馳せるきっかけとなったのが、東京の南画廊で初めて発表されたルーレットシリーズです。
最初のルーレット作品を1964 年の個展で発表し、福岡に戻ってからも
ルーレット作品を作り続けました。
このシリーズは、ニューヨーク近代美術館ほか米国内を巡回した「新しい日本の絵画と彫刻展」にも出品され、60 年代の若手作家の代表としての地位を確立させました。
今回、画廊に展示された作品も1965年、「新しい日本絵画と彫刻展」へ出品したうちの一点です。

材木をつなぎ合わせた土台に、鮮やかな色で塗られた太陽のような形のルーレット、その周りにお面やベルといった複数の廃材が貼り付けられています。アスファルトの作品同様、材木に廃材というその素材と、ルーレットというモチーフに大衆性を感じます。そして作品の表面には、ところどころ鉛筆で何かが描きこまれているのです。

このシリーズについて菊畑は、「絵そのものがゲームのような、面白い、どこに球が転がるかわからないような、答えがでないような、賭けのようなもの」をつくりたいと思っていたそうです。

ターゲットにされてしまっている木のお面に滑稽さを感じ、不思議な廃材がどこから来たものか、何に使われていたものなのか、ゲームだとしたらどのような仕組みになるのか、色々と想像しながらこの作品を前に話が盛り上がります。

このような、仕組みのわからないゲームや謎の書き込みを理解しようとし、意味を与えようとする姿勢が、菊畑が感じた美術の世界を表しているのかもしれないと感じます。また、どこにあたるかわからない、賭けのようなゲームという点に、社会の不条理を反映しているとも感じられます。
逆に、そこまで意味を求めてはいけない、とも思ってしまいます。

菊畑が作品に込めた意味は確実にはわかりませんが、この時期は多忙でありながらも制作を楽しんでいたということは記録でわかっております。

菊畑にとって九州派は救いになったそうです。仲間と批評しあったり、言い合いになったりすることで、命と命の触れ合いを感じ、それが彼の幸せに繋がっていたそうです。そして、表現というものが人に与えることのできる力、生きる力に胸が躍り、それが彼のエネルギーとなっていました。

九州アバンギャルドコレクションの作品はどれも、何にも縛られない個性と何よりも芸術表現に対する愛とそこにぶつけていた強いエネルギーを感じられます。

そんな九州アバンギャルドの作品は和室へと続きます。
展示されているのは桜井孝身、オチオサム、田部光子、磨墨静量、木下新、森山安英、池田龍雄による作品です。

木下新、「さん然たる無」、ミクストメディア、F10号
左:森山安英、「アルミナ頌 42」、キャンバスに油彩・樹脂、S12号、1988年
右:森山安英、「光ノ表面トシテノ銀色 34-3」、キャンバスに油彩・樹脂、F10号、1994年


その中でも特に私の印象に残った3人の作家による作品をご紹介します。

一つ目が、田部光子によるHanaです。

田部光子

左:田部光子、「Hana」、ミクストメディア、60×60㎝、2002年
右:田部光子、「Hana」、ミクストメディア、60×60㎝、2002年

金色に塗られ、マス目が彫られた木の板、そこに描かれた大きな赤と青の花。

田部光子は九州派の主要メンバーの一人として、既存する絵画の概念から外れた制作活動をしたとともに、フェミニズムという言葉が浸透する前から、社会における女性のセクシュアリティのあり方や、男性中心の評価指標に対する批判的精神に満ちた作品を制作していました。
田部は林檎をモチーフとした作品で有名ですが、その林檎は女性を表しているといいます。そこに反映されているのは男性から見た男性のための女性のセクシュアリティーではなく、あくまでも女性から見た、体験としての女性のセクシュアリティー。
田部は、女性だけに与えられる妊娠や出産などの性に伴う義務に対する問題意識を持ち、それを制作の動機としていました。

この作品では、女性らしさの象徴として頻繁に用いられる花が、彫りこまれたマス目に分断されています。
作品の色と筆遣いの大胆さ、力強さから、何かに駆り立てられるような強い意志と溢れるエネルギーを感じられます。それと同時に、刻まれた花に対するむなしさ、それでも強く存在感を示す輝かしさに魅了されます。

二つ目が桜井孝身による「太陽への道」です。

桜井孝身

桜井孝身、「太陽への道」、油彩、F60号

九州派結成時からの所要メンバーの一人であった桜井孝身。
九州派解散後はアメリカ、後にフランスに渡り、生活者としての芸術を追求していました。その中で、作品はどんどんと明るく濃い色になり、描写も細密線を伴うようになっていきます。

展示作品の中で大変興味を惹かれるのが、笑顔で雲の間から逆さまに顔を覗かせる人たち、山の上を飛行する赤い人たちです。この人たちは赤く塗られています。この赤という色が、コミュニティとしての人間の象徴なのです。

人それぞれが独自の存在でありながら、個々の違いが隔たりになることなく集まった人間共同体が描かれているのでしょうか。
人種や考え方で線を引くことなく、人間を一つの共同体として見つめることは、世界が広がって多様な人々と繋がる今の時代において、さらに大切だと感じます。

三人目の作家が池田龍雄です。

池田龍雄

左:池田龍雄、「大喰い」、ペン画、24.6×30.8cm
右:池田龍雄、「長男」、ペン画、30.8×24.6cm

ルポルタージュという社会的事件を風刺した作品で知られていた池田龍雄。
一貫して反戦の立場をとり、 権力に対する批判的な視線が宿っている彼の力強い表現は、国家権力に人生を翻弄された実体験が基にあります。

池田は、国のために命を捧げることが栄誉と考え、15 歳で自ら海軍に入ります。そして1945 年、航空隊に属していたときに敗戦のことを知ります。終戦後の体制変化と民主化に戸惑いながらも、池田は教師を目指すことにします。 しかし、GHQの取り決めにより、終戦時に海軍である程度の地位のあった池田は教職に就くことを禁じられ、師範学校を退学となりました。
新たな道を進もうとした矢先に、個人では抗うことのできない体制の力に道を塞がれたのです。

それから池田は体制に対して懐疑の念を抱くようになり、何事も自らの責任と意志で考え、可能な限り権力に身を委ねることのないようにしました。
なので、既成の美術組織からは離れ、コンクールや公募展に出品せず、他人による審査を受けず資格もいらないアンデパンダン展や個展、グループ展で主に作品を発表していました。

池田龍雄、「大喰い」、ペン画、24.6×30.8cm

針金のように細くピンと伸びる線で描かれる池田の作品のなかで、犬というモチーフは、権力の手足となって、反天皇制思想の者や共産党員を探して嗅ぎまわる特高警察や公安の象徴として描かれているそうです。
この作品の中でも、犬は共産党員を探して懲らしめていく警察、公安かもしれないです。または、お腹をパンパンに膨らませながらも弱者を貪る権力自体を野良犬で表現し、弱肉強食の人間社会を風刺しているのかもしれないと考えます。


九州の前衛芸術作家8人の作品を通して、彼らが日本における戦後美術史に残した大きな跡、美術界に吹き込んだ新たな風を再確認し、九州で起こった前衛芸術の発展が日本の戦後美術史の中でいかに重要な役割を担ったかを痛感させられました。

名品コレクション

和室以外の部屋にはSection2の名品コレクションが展示されていました。

坂本繁二郎、「厩の母仔馬」、油彩、38.1×45.4cm、1939年
鴨居玲、「おじいさん」、パステル、75.5×55.3cm、1973年
香月泰男、「土筆」、油彩、M6号


ここも、数ある作品のなかから数点ピックアップをしてご紹介します。
まずは、リビングの暖炉の上に飾られていた宇治山哲平の「生誕」です。

宇治山哲平、「生誕」、アクリル、90.7×91.3cm、1982年

宇治山哲平
幾何学模様を集めて描かれる抽象的なスタイル。
丸、三角、四角で描かれた大きな顔がこちらを見つめており、明るい色味の丸が連なる様子にユーモアとポップさを感じます。
一つ一つの幾何学模様が程よい感覚を保って並べられており、個々が存在感を持ちながらも、全体の流れを形成するように組み合わさって、見ていて心地のいいバランスがうまれていると感じます。
また、色違いで描かれている左右の三つの点にも遊び心を感じ、どこかリズミカルな印象を受けます。

そして近くで見てみると、表面に凹凸があることがわかります(写真ではつたわりにくいですが)。色の塗り方も様々で、見ていると次々と発見があるとても面白い作品です。
作品の前を通る度に立ち止まり、ジッと見てしまいます。

田淵安一、「Le décor d'une pièce manquée」、アクリル、F12号、1964年


左:豊福知徳、「無題」、木彫、93×41×30cm、1983年
右:野見山暁治、「いつもの話」、油彩、F15号、2009年
菅井汲、「Fête」、グワッシュ、57×38cm
長谷川利行、「風景」、油彩、15.7×22.5㎝、1933年

次の作品は、猪熊弦一郎の「顔」です。

猪熊弦一郎、「顔」、アクリル・コラージュ、45.7×40.5cm、1991年

猪熊弦一郎
猪熊は香川県生まれですが、1932年からずっと田園調布の自宅兼アトリエを日本での拠点とし、ニューヨークと田園調布を行き来しておりました。
薄紫色の背景に、黒く太い線で縁取られたピンク色の女の人。
この作品はコラージュ作品であり、よく見ると、絵具の下に張りつけられた形が見えてきます。

首から浮いた頭や髪の毛のお団子、四角い鼻や首のラインが浮き出るコラージュの形と重なり、画面の中で女の人が浮遊しているような印象を受けます。
また、笑わずにまっすぐ前を見つめるその表情に力強さを感じ、少しモダンな雰囲気が漂う彼女の不思議な魅力に惹かれました。


書斎にはエコール・ド・パリの作家たちを集めました。

左:パブロ・ピカソ、「おさげ髪と緑の帽子の少女」、油彩、73.4×60cm、1956年右:パブロ・ピカソ、「Tête de Femme」、油彩、45.9×37.7cm、1953年
マルク・シャガール、「Orphée」、油彩、96.8×130cm、1969年
オディロン・ルドン、「花瓶の花」、油彩、55.5×38.4cm


ジャン・フォートリエ

ジャン・フォートリエ「白いコンポジション」、ミクストメディア、F5号、1957年

ジャン・フォートリエは戦後パリの抽象画の先駆者的存在でした。
戦時中のパリで、レジスタンス容疑でドイツの秘密国家警察に一度捕まり、これを機に彼の代表作が生まれます。それが「人質」というタイトルの、抽象的な人間の頭を描いた作品で、絵具をキャンバスに押しつぶすように厚く塗った質感が特徴です。

このような彼の作品は、戦争によって「非定形」なまでに精神的に追い詰められた人々の表現であり、戦後にフランスを中心におこったアンフォルメルという前衛芸術運動のきっかけとなったのです。

そのような絵具の層の分厚さが、この作品ではよくうかがえます。その上に描かれた抽象的な形はシンプルでありながら、画家の手の痕跡と鉱物のような物質感をしっかりと感じられます。

最後に紹介するのが、藤田嗣治の「裸婦」です。

藤田嗣治、「裸婦」、油彩、55×46cm 1925年

藤田嗣治
多くの芸術家が外国からパリに移り、美術の本場で個性ある表現を求めた時代。藤田もその一人でした。パリのモンパルナスでエコール・ド・パリの画家たちと交流しながら、藤田は刺激を受け、独自のスタイルを追究していたのです。

そして彼がたどり着いたのが、日本画の優美な質感を油絵で表現することでした。独自の方法で生み出した裸婦像の質感は「乳白色の肌」と呼ばれ、誰にも真似ができないと絶賛され、パリの芸術界に新風を吹き込むことになったのです。
乳白色の肌、繊細でしなやかなライン、少し虚ろな優しい眼差し。眺めていると作品の中から吐息が聞こえてきそうです。

豊福知徳、「風塔」、調金、100×70×60cm、1983年

独自のアプローチで日本と世界の美術史に名を刻んできた、九州アバンギャルドと名品コレクションのアーティスト作品を紹介いたしました。
最後までお読みいただきありがとうございました。

(スタッフT.B)

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