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僕が出会った最高のローマ人たち #2

前回このタイトルで書いてから2ヶ月は経つだろうか。

それ程時を経てば流石に記憶も色あせてくる。前回、自分のための備忘録として執筆していたのが一番大きな目的なのだが、そもそもあの時の記憶を忘れてしまっては本末転倒である。

ここで人間の記憶力や認知能力について、少しばかりうんちくを話せるような人間でありたいのだが、大学も休学して最近“そういうの”から身を引いている自分には到底無理な話である。とにかく、少しでも記憶の鮮明な内に、あの日々の想い出をここに残したい。

の前に。

前回の記事を少額ですが有料化しました。
理由はいろいろあるのですが、大きく分けて二つ。

・グレーゾーンに触れる経験談である。
・自分の書いたものでお金を得る経験をしてみたい。

一つ目は言わずもがなって感じで、二つ目。勿論、多くの方に共有したいし、もしこれを機にローマに行ってみたいと思ってもらえればこの上なく嬉しいのですが、経験を安売りしたくなかったというか、まあ大した経験もしてないのですが。これを言ってしまえば、そもそもnoteに書くなって話ではあるんですけど、そこは置いといて。個人的に人生のハイライトとも言える時間だったので、自分の経験やnoteに少しでも価値を感じてくれる人に読んでほしいなと思い、有料化しました。いろはすくらいの金額です。途中までは無料で読めるので、興味のある方はぜひ覗いてみてください。

【五人目】タイヤ・海・酒

僕がローマに行くと聞いた一人の先輩が、現地の友人を紹介してくれた。

日本に興味津々な彼は、どうやらローマを案内してくれるらしい。
事前にどこに行きたいか聞かれた。観光客で溢れたローマ中心部に嫌気がさしていた僕は、海に行きたいことを伝えた。

中心部から南に車で一時間ほどの港町、Ostia。
De Rossiの故郷である。いいね。

僕らが宿泊しているエアビーまで迎えに来てくれる予定だったので、部屋で待っていることにした。しかし、集合時間になっても連絡がない。5分後、パンクした車のタイヤと共にメッセージが届いた。

COOOOOOOL!!!!

これぞイタリア。

ローマの旧エンブレムTシャツを身体ピチピチにまとわせた彼は、30分後僕らの目の前に現れた。年齢の割に頭皮は交代していたが、気さくなナイスガイだった。愛称はトミー。

『普段ゲームを作る仕事をしているんだ』
「へー」
『いつかは日本で働きたい』

歩行中にも何となく予感していたこの国の人々の運転の荒さは、彼の車に乗ると同時に確信に変わる。信号無視はお手のもの、クラクションの応酬。安全運転の四文字が欠如している。東南アジアと大して変わらない。

気づいたらジェラート屋に着いた。彼のイチオシの店らしい。ピスタチオとチョコか何かのフレーバーを選んだ。美味しい。

『ニーハオ』

そう言ってティッシュを渡してきたのはマザーテレサ似の老婆。

「ありがとう」

ニコニコ立ち去っていった。

その後トミーは自宅に入れてくれた。パパーとマンマと飼い犬の三人一匹暮らし。ビールを振る舞ってくれた。

『お前も飲めよ』
パパーがトミーにビールを勧める。

『運転してるから飲めないよ』

そこは流石に飲まないのね。

パパーによると、トミーは幼い頃から日本に憧れていたらしい。部屋を案内されたが、日本のアニメや漫画で埋め尽くされていた。なるほど、ただの日本ヲタクか。

『今度ローマに来たら泊めてあげるわ。いつでも連絡して。』

マンマは僕らにそう言ってくれた。お言葉に甘えさせてもらいます。彼の家族には本当に良くしてもらった。次会うときは何か一つ手土産でも渡したい。

Ostiaは、観光客のいない静かな港町だった。桟橋にはバイオリンを弾くおじさん。サッカーボールを蹴る子供達。ここはDanieleが育った町。どんな少年時代を過ごしたのだろう。そう思いを馳せながら海を眺める。

風が強く、海も荒れているのかと思ったが静かだった。岩場を見ると小さなネプチューンの像が海原を凝視していた。この海はもしかしたら、時には人々に怒り狂う一面も持っているのかもしれない。

うん、良い。こういう地を感じたかったのだ。

海からさほど遠くないBarで休憩することになった。僕はカプチーノを頼んだ。完全に時間を間違えている。

「トミー、何飲んでるの?」
『これは〇〇さ(忘れた)』
「それってアルコール入ってるの?」
『多分入ってると思うよ!お酒お酒』

こうして僕は、人生で初めて飲酒ドライバーの運転を経験することになるのだった。

数時間前、彼がビール飲むのを断っていたのは何だったのだろう。

【六人目】日本が恋しい

ローマに来たのだから、流石にトリゴリアには行かなければ。

そう思うのは恐らくロマニスタだけである。

Centro sportivo Fulvio Bernardini。
トリゴリアの通称で知られるそこは、AS Romaのクラブハウス。

ローマ中心部から少し離れているので、なかなか行くのに一苦労するらしい。地下鉄とバスを乗り継いで、あとは徒歩…。そんなことを事前に聞いていたもんだから、ここは現地の人間を素直に頼ることにした。

ローマに渡る数週間前に日本で知り合っていた一人のローマ人がいる。彼はトリゴリアの近くに住んでいることを知っていたので、ダメ元で連絡してみた。トリゴリア行きたいんだけど、一緒についてきてくれないかな…。快く引き受けてくれた。ここではトリゴリアニキと呼ぼう。

ローマを走る地下鉄Metro BのLaurentinaで待ち合わせをした。その辺のベンチに腰掛けていると、中年太りのおじさんが話しかけてきた。

『どこから来たの?中国?』

まあ決まり文句である。やはり中国人観光客が圧倒的に多いので、我々アジア人は最初にそう思われるのだろう。

「日本だよー」
『日本か!俺何年か前に行ったよ。京都、奈良…とか色々。』

意外と来日歴のある人間は多いのかもしれない。その後も色々一方的に話しかけられたのだが、如何せんイタリア語訛りの強い英語は聞き取るのが難しかった。半分以上理解できなかった。

そんなこんなでトリゴリアニキが車でやってきた。まあ色んな理由があるだろうが、イタリア人は本当に時間にルーズである。待ち合わせ時間に間に合った人間は誰一人いない。そこが愛らしい。

『好きな日本の曲って何?』

いや言っても分からないだろ。Helsinki Lambda Clubが欧州で知られているなんて聞いたことがない。

『俺はこれが好きなんだよね』

そう言って彼は松任谷由実の“やさしさに包まれたなら”を車内に流し始めた。想像の斜め上の選曲である。世代が違うのでサビしか知らない。

『ヤサシサニツツマレタナラー』

僕の反応が悪かったからなのか、別の曲に変わった。
これまた松任谷由実の“ひこうき雲”。流石に歌えるので一緒に口ずさんだ。

『アノコノイノチワーイコーオキグモー』

ローマ郊外の景色とひこうき雲は驚くほど合わない。

日本が恋しい、イタリアはクソだ。なんて彼が移動中言うもんだから、イタリア最高じゃないかと、ローマに来てからの様々な体験を語った。

『いやそれでも恋しい。なにせ三ヶ月もいたからね。こっちだと仕事に追われて大変だよ。』

日々何かに追われる。だから、現地逃避のために自分の好きなことをしたり、彼の場合は日本へのバカンスだった。自分がイタリアに住んでいても、日本に来たらそう思うだろう。

トリゴリアまではそこから20分程だったろうか。既にトリゴリア前の駐車場には20人程のロマニスタが詰めかけていた。

【七人目】いつもお世話になってます

まだ練習が終わるまで時間があったので、一度トリゴリアの正門に行ってみることにした。中を覗けないほどの頑丈な扉で閉められていた。でっかいなー。口を半開きにして扉の落書きを見つめながら視線を左に移すと、スーツ姿の白髪のおじさんがスマホスタンドの前で一人話していた。ん…?

優しそうな笑顔。手に持つマイクにはSkyの文字。

Angelo Mangianteその人だった。

彼について自分が紹介するのは気が引けるので、是非本人のXアカウントを覗いてほしい。

今思えばSkyに映れるのではないかと下心があったことは認めるが、とりあえず挨拶しようと勢いで話しかけに行った。

「Ciao, Angelo。僕たち日本から来ました。」
『Wow』
「Siamo Roma Club Tokyo!」

RCTのフラッグを見せた。

『めっちゃいいね!』

日本でもらったのだろう。トリゴリアニキがRCTのエンブレムバッチをMangianteに渡そうとしていた。それ僕持ってないんだけど。

軽くMangianteと会話した後、選手の出待ちに戻る。Llorente、Costa、Boer、Bove、Huijsenとセルフィーを撮ることができた。十分である。

まだDe Rossiが出てくる様子がなかったので再び門の方に戻った。Mangianteはまだいた。Danieleはどうやらこの時就任前のGhisolfiと話し込んでいたらしい。彼によるとまだ2時間くらいは出てこないらしい。本音を言うと待ちたかったが、トリゴリアニキに同伴してもらってる以上、ここから2時間も待つことはできない。諦めて帰ろうとした時、Mangianteに呼び止められた。

『Ragazzi、配信に映れ』

まじかよ。
「僕たちイタリア語喋れないけどいいの?」
『いいよ!映ってるだけでいいから!』

言われるがままにRCTの旗を広げてMangianteの後ろに立った。暫くしてSky Sportsのライブ配信が始まった。スマホで撮影するらしい。

バキバキの画面に向かって色々話すMangiante。局所局所でRoma Club TokyoやGiapponeの単語が聞こえる度に親指を立てて微笑んだが、何を話してるのかは分からなかった。結果的に当初の下心は成就されたのであった。

そんなこんなで配信は終わり、Mangianteと記念に写真を撮った。いいおじさんだ。

カルチョメルカートと言えば誰を思い浮かべるだろう。
信頼できるジャーナリストは?

Romano? Di Marzio? Schira?

いやいや、Angelo Mangianteである。

終わり

これであの時の記憶を忘れても、ここに帰ってくればまた思い出すことができる。僕の備忘録に付き合ってくださりありがとうございました。

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