今日降る雪のいや重け吉事
新しき年の始めの初春の
今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)
大伴家持
今朝も京都は雪です。
雪は古来豊作の象徴、慶賀とみなされ
かつて宮中では初雪の降った日は
歌会となったそうです。
歌を詠むこと
ことばを人へ、神仏へ、天地へ贈ること
祈ること
それが政(まつりごと)という
のどかで心豊かな時代。
あけすけな言い方をすると
こうした貴族、公家と呼ばれる方々は
衣食住に対しては不労所得で生きておられたので
政(まつりごと)の内実、その精神が
堕落腐敗していくと
田畑を耕し刃も握って戦った武士に
世の舵取りを持っていかれてしまいますが
その武家も公家化したりして
歌を詠む文化は残る。
そして、武家も公家もない近現代
令和に至って
今日も皇族のみならず
歌よみ人は少なからずいて
そうやって心や魂はつながって残っている。
新しき年の始めの初春の
今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)
万葉集全二十巻のさいごに
4516というナンバーがふられ
新しき
始め
初
と繰り返し
元日に降るこの雪のように
よいことが降り重なりますようにと
この歌は
平城京から左遷され因幡国司となった大伴家持が
天平宝字三年春正月一日
因幡国庁で詠んだとあります。
さらには
数多ある家持の作歌の
最後の歌でもあるそうです。
生涯をかけて編纂した
万葉集の最後を飾らせたともなると
身の丈を超えた全ての祈りが
ここに籠められたと
自ら納得されたのでしょう。
日本によいことが
降り重なり続けますようにと。
私がこの歌を初めて知ったのは
平成25(2013)年の11月
遷宮を終えたばかりの
伊勢の外宮の神楽殿の待合室で
外宮正宮古殿地を
史上初めて立入見学可とされた際
当時神宮司庁のさる部署の部長をされていた神職の方が
暦のお師匠をご案内前に
こうお話しになられていました。
「遷宮を迎える度に、この歌を思い出すのです」
待合室に挿し込む
秋の柔らかな日の輝きまで
きらきらとしていたのを
私も思い出します。
翌2014年末、
大化の改新の舞台
奈良の多武峰(とうのみね)へ
来たる正月この新しきの歌で香席がしたいと思いながら
談山神社にお参りすると
ご当地に珍しく雪が降り
しかしながら
香のお師匠が入院なされ
新しき春は三月に
めでたく迎え。。
私には大変たいへん
美しき思い出多き
懐かしい歌です。
私自身も京都へ来て3年目から
うつになり、心臓が弱り
以後この約3年間体調の思わしくないことが
ほぼ当たり前になる中で
地球規模の激動の潮流にある時代に
やさしく生きるという姿勢を
学ばせていただき続けている気がします。
それはもう人生の四季
青春朱夏白秋玄冬を
倍速で堪能した感じです。。笑
ならばもう一度、やさしく青春に還す?笑
幾星霜の四季を繰り返した
日本の記憶といっしょに。
テーマは「千年超え」
千年超えた文化やそれを残された方々の意識を
普遍と無限をやさしさで追う。
ン年ぶりに
心と身体がついてくるって
こういうことだったかと
辿り着きたかったのは
こういう境地だったのか
とも思いますが(泣笑
旧年中に、こうして向き合う方へ
【無限の無垢の鑑をお渡しする】ことが
水の和のテーマとなりましたので
不安に苛まれることの多い時節にも
初春あるいは青春の
読んでやさしい素直な自分になれるブログを
お届けしていきたいと思います。
改めまして
どうぞ変わらずお気楽に
お付き合いくださいませ。
感謝合掌
水の和 拝