でもばかり言う人はネガティブなのか?

でもばかり言う人はネガティブで否定的。話していると不幸になるから距離を置いていると言う人がいる。人断捨離というやつだ。
俺は「でも、」をよく言っている気がする。
なので頑張って反論を考える。

人と喋っているときに、相手が何か意見や感想を言ったとする。
その意見に対して同じ熱量で「わかるわ〜ほんまそれな!!」となることがある。この時は素直に共感を示す。相手と同じ熱量だから同じペースで近い事例を上げて感想をぶつけあることが出来るし、その中でそれぞれの思ってなかった発見もあると思う。会話が熱を帯びて盛り上がっていく。1番素敵なパターン。


一方で、相手の熱量10の時に自分は5とか6とかの時がある。というか大体はこのパターンで、「そうなんや、そういう事もあるよな。」とか「ヘェ〜」が素直な感想だ。けど、そのまま言ったところで会話はそこで終わってしまう。
だからここで二つの選択肢が現れる。
①「わかるわ〜」と偽りの共感を示す。
②「いやでもこういう考え方もあるんちゃう?」と逆張りしてみる。

①の場合、自分の熱量を5ぐらい偽ることになる。相手は共感してくれたと喜び、熱量は10からもっと上がっていく。そうすると、こっちは素面なのに相手は酔っ払いみたいな温度差が出来上がる。急に冷めてしまう。なのに共感を示してしまっているから、相手の温度に合わせてこちらも温度を上げないといけない。本心との誤差は増えていく。さらに実際に共感している時と違って、こちらは新たな発見を提供できないので、相手の温度上昇は自家発電的なもの。過去に話したことのあることか、頭にあることを擦って終わりだろう。面白くない。


②の場合も自分の熱量を低い方に5ぐらい偽ることになる。どっちでもいいなーと思っていることを相手の仮想敵となって軽く言い合ってみる。相手はこちらに反論してくることで温度が上がる。こちらの意見に対する反論を考えることで、新しい発見もあるかもしれない。こちらは確かに温度を偽っているけれど、相手の温度についていかなくて良い分偽りはいつまでも5のままだ。


②の方が盛り上がらないかな?もちろん熱量が5なら5のまま言えばいいじゃないというのが正論ではある。だけど「どーでもいいなー。」と言ったらそんな人と話したいと思うことは少ないんじゃないかな。
これは否定的なのかな。別に否定する気なんじゃなくて盛り上がればいいなーと思っているだけじゃないのかな。
それとも熱量5でも「そういう気持ちもわかりますよ」と嘘くさい共感をするべきなのか。


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