「動物はおかずだ!大反省会」に行った。息子を連れて

動物はおかずだ歩き食い祭りの総括|藤倉善郎(やや日刊カルト新聞) @daily_cult|note(ノート) https://note.mu/daily_cult/n/nea50d633f15d

2019年6月12日、こちらの記事にあるトークイベント「動物はおかずだ!大反省会」に行った。高校生になった息子を連れて。

※写真はイベントとは無関係の、仔馬のミイラです。

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「そもそもヴィーガンって何?」……肉を食べないのがヴィーガン。
「それはベジタリアンとは異なるの?」……動物由来の物は一切口にしないのがヴィーガン。牛乳も卵も食べない。
「つまり、『動物の命を奪うから肉を食べない人たち』という理解では足りない?」……動物の権利を守るために戦っている人たちもいる。

「生きとし生けるものの命を奪う行為を忌避し、その生真面目な思いが行き過ぎてしまって、肉を食べる一般の人たちに嫌悪感を抱かせるような過激な主張と行動をくりかえしているのがヴィーガン?」 ……?

「カルト宗教の問題を主に追求している藤倉さんがなぜに突然、反ヴィーガン?」 ……???

いろいろと知らないこと・わからないことが多い。肉を食べない主義の人がいるのは、わかる。個人的には、肉をまったく食べないと健康上でいろいろと問題がありそうな気もするので、少しくらいは動物性の物を摂取したほうが身体にはいいんじゃないかな、と思う。でもそんなの個人の自由だ。誰にでも食べたい物を食べ、食べたくない物を食べない自由がある。

しかしヴィーガンは自分たちの主張が絶対的に正しいと拡張して、万人に対し「肉を食べるな、動物の権利を守れ」と押しつけてくる。そして屠殺のカラー写真などをわざと肉を食べている人に見えるように掲げて、残酷さを強調し、嫌悪感を抱かせ、食欲を減退させようとする。それが「動物はごはんじゃない」デモに結実するし、牧畜産業従事者や食肉加工業者への半ば暴力的な示威行動にもつながってゆく。「かわいそうな動物を守ろう」が、いつのまにか「酷い人間を攻撃しよう」に転換している……、ようにも見える。

ヴィーガンの人たちの一途な思いには理解を示したいところもあるが、選択された行動のあれこれにはいくらか問題がありそうだし、このやり方では却って逆効果になってしまって「ヴィーガンが肉を食うなと強いてくるから、対抗して肉をもっとどんどん食べてやろう」などという反発心を煽ってしまっているようにも思う。

だから「動物はおかずだ」というカウンターなのかな……?

いろいろと不思議に感じながら、6/1当日の渋谷〜原宿のデモの様子をTwitterのタイムライン上で眺めていた。「動物はごはんじゃない」というヴィーガンの主張に対して、同時・同コースで「動物はおかずだ」と肉を食べながらねり歩く。なんだか滑稽で、愉快な気配は感じたけど、どういうことが起こっていたのか、けっきょく最後までわからなかった。

わからないことがあっても、わからないままでいい。いろんな主張の人がいるのだろうし、その人たちがそれぞれの気持ちをこめたデモなりなんなりすればいい。自分にはあまり関係のないことだ。そう思っていた。

※写真はこれまた無関係な、水牛のミイラ。可愛い。

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週末にそんな騒動があったことをすっかり忘れていた、月曜か火曜の夜。学校から帰ってきた長男が、ネットで見た滑稽なデモ行進の動画がクラスで話題になっていたと話してくれた。

それを主催したの、藤倉さんって人だよ、と教える。藤倉さんがカルト宗教の問題を扱っているフリーのジャーナリストであるということは、息子にはこれまでにも何度か話してある。

どういう主張がなされたデモ行進であったのか、動画を見ただけで理解できた? 「よくわからないけど、肉を食うなと言ってる人たちの前でケンタッキーを食べてた」
肉を食べるのは悪いことだと思う? 「そんなことはないけど、わざわざその場で食べるのは単なる嫌がらせでしょ」
なんでそんなことしてたんだと思う? 「さぁね。面白いからじゃないの」

ふむ。どうだ。息子の理解は間違ってはいない。おそらく学校の休み時間にスマホでわずか数分の動画を見ただけだろうが、現象はちゃんと捉えている。どちらか一方に過剰に肩入れしてしまって、視野が狭まっているわけでもない。

でも、ちょっと待て。このままたんなる滑稽な騒動として、深く考えることなく通過させてしまってもいいものだろうか。

世の中の薄っぺらい出来事のあれやこれやに対して、薄く浅くネタとしてさらっと消化して、すぐさま忘れてしまってどんどん次に進んでゆくというのは、なるほど、ひとつの態度だ。だが、その裏にある・奥にある・隠れている意図や真意や真剣さのようなものをいっさいがっさいすっ飛ばして、ただ嘲笑するだけで、何も考えずに通過してしまってもいいのだろうか。

息子は高校生。15歳か16歳か、たぶんそのくらいだ。生まれてすぐの時から比べると、もうすっかり成長して、自分というものをきちんと持っている。そもそも、ボクは息子が12歳になったら彼を大人として扱うと決めていて、そのことを当人にも宣言しており、名目上は彼はボクの庇護下を離れて自立していることになっている。だいたいさぁ、いい歳した男同士でありながら父親と息子という関係にずっととらわれ続けて、躾けたり、説教したり、上から諭すってのは健全な間柄かね?

ところが、だ。なるべく息子を突き放そう・当人の自由な意志と価値判断に任せようとする基本姿勢ではあるくせに、ときどきボクの中に「父親としての義務感」みたいな感情が湧き上がってくる。このポイントははずしちゃいけない。教えるなら今がちょうどいいタイミングだ。この機を逃すと、これから先こういう話をすることがどんどん難しくなっていって、下手すりゃ一生こういう話題について、一緒に、真剣に、考える機会を持てないかもしれないぞ。

そう思ったボクは息子を誘って、いっしょに「動物はおかずだ!大反省会」を聞きにいくことに決めた。会場の高円寺パンディットへゆくのは初めてだったし、夜のイベントでアルコールも提供される場ではあるので、いちおう未成年を連れていってもよいかを問い合わせると、保護者(ボクだ)同伴であれば問題はないといってくださったので、安心して会場へ向かった。

※画像はキン肉マンです。

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もういちど総括の記事を貼る。

動物はおかずだ歩き食い祭りの総括|藤倉善郎(やや日刊カルト新聞) @daily_cult|note(ノート) https://note.mu/daily_cult/n/nea50d633f15d

トークライブの内容については、こちらに書いてあることですべて。当日ボクと息子が聞いた話がきちんとわかりやすくまとめられているから、付け足したり訂正するようなことは何もない。前提となっている部分を知らないと話の内容が難解かもしれないなと感じた点については、隣に座っている息子に適宜ボクなりに補足説明してやって、おおむね伝わったと思う。個人的に理解できなかったり疑問に思った点についても、イベントの最後に質問して聞くことができたので、すごくすっきりした。

2時間あまりの場で(途中ちょっとダレて間延びしたけれど)、ふたりして大いに笑いながらイベントを楽しんだ。ボクはボクなりに、この問題について思うところはある。単純にヴィーガンは悪だなんて決めつけられない。もちろん、肉食が悪だとも思わない。価値観の境界は曖昧で、ゆるやかに、グラデーション状に混じり合っている。

そして、ボクが思う正しさを息子に押し付けようとも思わない。彼は彼なりにこのイベントにきて話を聞いて、思うところがあったろう。この先なにかぜんぜん別の問題に遭遇したとしても、どこかで考え方に変化が生じたり、深みを増したり、可能性を広げるきっかけになっているはずだ。息子を次のステージに連れて行くきっかけをつくることが、父親の仕事だ。彼の人生にちょっとは役に立てたと思う。そう信じている。

イベント終わりに主催の藤倉さんとお話しすることができた。ボクが「高校生のなかでは今回のデモが単なるネタとして消化されているのがくやしくて……」というと、藤倉さんは(ボクにではなく、直接息子に)「ネタとして消化してくれてもいいんだよー」と声をかけてくれた。ボクからはなかなかそこまで割り切ったことは言えない。助けられた。ありがたかった。

繰り返しになるけれど、記事中の最後の部分を引用する。

批判と、否定や排除とは違います。自分が批判する対象に対するものであっても差別や中傷は容認すべきではありません。仮に批判対象から「お前に味方されたくない」と言われたとしても、です。批判対象に喜んでもらう必要はありません。批判と差別の区別もできないような世の中じゃ恥ずかしいでしょう。そういう世の中にしないためです。

これから先、息子はどんどんアップデイトされていくだろう。羨ましい。ボクも気合いを入れて、置いていかれないようにしないといけない。

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今回息子を誘う際に「会場の高円寺パンディットの飯はとても美味いらしい。特にカレーが絶品だそうだ」といってあった。ほんとうに美味しくて、とてもよかった。彼もすごく喜んでいた。腹いっぱい喰った。


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