
『手放す練習』ムダに消耗しない取捨選択 by ミニマリストしぶ
家事の最中、Audibleを聴いていることが多い。
あるとき、ミニマリストしぶさんの「手ぶらで生きる。見栄と財布を捨てて、自由になる50の方法」が『あなたへのおすすめ』として登場したのが、この著者の本との出会いだった。
最近ふえている「ミニマリスト」。極端にモノを減らした生活空間を手に入れることで自由になろう!ということなのだと思う。とはいえ、記事や映像ではモノを減らす・捨てることがフォーカスされ過ぎて、めざすその先に何があるのかがぼやけていることが多く、これまであまり関心が向かなかった。
「手ぶらで生きる。」はメッセージがストレートで具体的。なぜミニマリストなのか?という根本的な問いに対しても明快に持論を展開する。モノを減らす過程で明らかになる自分の価値観や、時間やお金という貴重なリソースを極限まで使いたおす。所有しているモノは少ないが、買わないのではない。その背後で試行錯誤を繰り返し、必要と思えばきちんと手に入れる。
心地よくAudibleで聴いたので、続けて「手放す練習」も聴いた。今度は、聴いた上でちゃんと読みたいと思い、単行本を購入した。
さて、この「手放す練習」。とても小気味いい。スタイルやポリシーが明確なのだ。タイトルが「手放す練習」だから、これもモノを減らす・捨てることにフォーカスされてはいるが、その背景がしっかり説明されているので、結果として「何を持つかが大事なんだよ」と教えてくれる。
そして精神論に流れない。モノ減らしのモチベーション維持に関する箇所はあるが、ただ「やり切る」というのではなく、曖昧なままに禅をイメージして逃げるのでもない。読者を突き放すのではないが、必要以上に優しすぎない。とにかく合理的だ。
ミニマリストとは?
まずミニマリストの定義から。必要最小限のモノで暮らす人ということになるのだが、実は芸術家から来ているそうだ。より少ないことが豊かであるということらしい。そこから発展して、少ない労力で最大の成果を生み出すことを目的とするようになったそうだ。
ミニマリズムという考え方には、物量、手間の少なさ、美観といった複数の視点があって、正解・不正解はない。その人が何を優先するか、その人の価値観次第。
なので、本書では「大事なことを強調するために、あえて少なくする人」をミニマリストと呼ぶことにする。
モノが少ない幸せを一言で例えるなら「旅の身軽さ」。江戸時代の井原西鶴の言葉を引用している箇所をそのまま引用する。
江戸時代の有名な俳諧師で浮世草子作者でもある井原西鶴も「旅巧者とは軽行にやる」と綴った。旅においては身軽さが行動力の源であり、「少ない荷物でありながら、必要なものは全て持っている」のが旅上手であるということ。
旅先で、限られたモノと過ごす。移動の負担軽減のために、なるべく荷物を減らして軽くなるようにする。ずいぶんと少ないモノたちだけなのに、不便を感じるどころか、これだけあれば充分じゃねと思う。
なぜミニマリスト?
本文で説明されるミニマリストになるメリットはだいたいこんな感じ。
選択肢のパラドックスからの脱却
モノを減らすことで管理と所有のコストを減らす
空間と心に余白をつくる
モノを減らす過程は人生の選択の訓練
身軽になることで行動力が解放される
これは自分でも経験済みだが、取捨選択の繰り返しはかなり疲れる。自分は何が好きなのか?何を大切にしたいのか?と自分に問いかけ続けることになるからだ。
人間には身体知というものがあって、好き嫌いや価値観による反応は、まず身体。脳じゃない ー と私は考えていて、こんまり流でいえば「ときめくか」ということになる。身体の反応に任せれば、取捨選択はパッパと進むかのように思えるが、なかなかそうはいかない。しかし、この繰り返しは、まさに自分と向き合うこと。これは、人として生きていく上で、とても大切な訓練だ。
モノを取捨選択して減らしていく過程で人生の大切な訓練を繰り返し、減ったら管理と所有のコストが減って、行動力が解放され、心に生まれた余白で創造力も高まる。すごいメリットだらけ。。。
モノを減らすのに「業者に丸投げ」がダメな理由
僕は職業柄、モノを減らす方法をよく人前で話すが、すると決まって「お金を払って業者に頼めばいい」と言われる。が、それでは意味がなく、代行業者を頼んで一時的に減らしたとしても、モノが増えてリバウンドすると断言できる。なぜなら、モノを減らす過程で、自分の頭で必要か否かを判断するから、片付けを通じて「取捨選択の訓練」ができるのであって、他人に丸投げしてたら自分の価値基準はわからなくいままだ。モノは捨てても、成長の機会は捨ててはいけないのである。
これには大きくうなずいた。他者に取捨選択を頼んだら、他者の価値観でモノが選ばれる。
これは私見だが、本当に忙しい場合、とにかく自分で選択を終え、残ったモノたちの定位置を決めて整えるところまでやり切る。整った様子を画像で記録して、選んだモノたちの理由の簡単な説明文を作っておく。これさえできれば後日、片付け・掃除を他者に依頼するのは「有り」だと思う。頼まれた人は、その指示にしたがって画像記録を目指せばいいのだ。それがないと、リバウンドするという著者の意見が現実化するだけだと思う。
「捨てること」との葛藤
捨てられない人のトップの言い訳が「売れるから」「譲れるから」である。基本方針として「手放す前提で買っていないモノは、全部捨て」でいい。
つまり片付け初心者やミニマリスト入門し始めの頃は、売るでもなく譲るでもなく「ゴミとして捨てる」が1番早く、エコなのだ。
僕もミニマリストという立場であること、SDGsやサステナビリティの流れもあってか「モノをゴミで捨てるのはエコじゃない」と頻繁に言われる。しかし、そもそも「ゴミにしていいやと思えちゃうモノを所有している時点でエコではない」とはっきり反論できる。
(中略)
だからゴミでもいいから「捨てたいタイミング」を逃すことなく処分した後、「捨てない場所」を徹底する方が長期でエコ。「やるぞ」という情熱にも賞味期限があるのだから。
この言い訳には身に覚えがある。「売る」「譲る」とは相手がいて、100%自分の思い通りになるとは限らない。メルカリで値段を下げても下げても買い手がつかない地獄・・・売れない状態で自宅に残り、そのモノが自分の視界に入るたびにため息をつく。。。はい。何度も経験しています。
断言する。しぶさんがおっしゃっている通り、ミニマリスト・お片付け初心者は、まずは捨てることから始めよう。とにかく手放すことを進める。時間は貴重だ。売れないストレスの回避も大きい。
まとめ
ミニマリストを名乗る何人かの著書やオンライン記事を読んだが、この著者が1番納得感が大きい。
「まずは捨てるを終わらせる。」そのファーストステップが難しい。自分が大枚叩いて買ったモノならなおさらだ。しかし、このステップを飛び越えないとミニマリストはおろか、一般的な片付けだって終わらない、どころか始まらない。
読み終わってみて、この著者がドライで合理的に話を展開していけるのは、属性も大きいかも、と思った。例えば、仕事と家事・育児を背負っている年代の女性にとって、ミニマリストを目指さないとしても、家の片付けは永遠の課題だ。同じ属性の著者には、おそらく「捨てられない」「片づけられない」と質問・相談が殺到するだろう。すると、その人の講演や著作は、この人たちの質問・相談に答え、エールを送り、寄り添うことが求められると思う。
著者は、その下の世代の男性。同じ属性の読者の質問・相談はずいぶんと違うものになるだろう。ここに多くのページを割く必要もなさそうだ。
ただ今、本の整理をしているところだが、この本はしばらく手元に置いておく。