毎日書かないとダメなんだなって思った

ここに来て出来るだけ毎日書くって決めた理由を思い出した。書きたい日だけ書くと「落ち着かない」「不安」「叫びたい」みたいなののオンパレードになって収集が付かなくなるからだった。調子がいい時期が続くとすぐそういう自分にかけた安全装置を外してしまう。

今日は非常に落ち着かない。今日は、なのか今日も、なのかよく分からないけど、でも仕事由来の落ち着かなさなのは分かってるからいいとしたい。でもさ、感情の揺れを「自分から来るもの」って指摘するのはいいしその通りなんだろうけど、指摘したあとのこと考えてますかってだけは噛みつきたい。仕事のことに関して助ける気が死ぬほどあるのは分かっているし、遠慮なく頼るけど個人的な要因について私が揺れまくってもそこを支える気がないなら出来るだけゆすらないようにだけはしてほしい。ミイラがミイラ取りやってるようなもんだから、私が悪いのかもしれないけど。

安全装置って言えば、住む場所のこともそうだ。最初に引っ越す時は2階か3階に限定して探したのに、しばらく暮らして大丈夫だったから次の引っ越しでは完全に気が緩んでそれより高いところに住んでしまった。今も住んでる。3階から飛び降りても死なないからそこまでに住んでいたのに、しばらくそういう気が起きなかったから忘れてしまっていたのだ。だからベランダがやや広いのに完全に持て余している。出来るだけ出たくない。どうしたらいいか分からないから。ベランダに対してどうするもこうするもないような気がするけど、実際そう感じるんだから仕方ないと思う。上手く言えないけど飛び降りるイメージがあるのだ。飛び降りないんだけど。

他にも外れてしまった安全装置はある。ハサミだ。もうほぼ完治したと言っても怒られないと思うんだけど、指先の皮をむいたり爪噛みがひどかった。リストカットの癖がつかなかったのは本当に良かった。血が苦手で痛いのが苦手でよかった。とにかく指先がぼろぼろだったのだ。治したいとは思っていたのだけど、上手く行かない。自分の指だったり噛んだりもしていたけど、ハサミとシャーペンは使っていた。学生のころはシャーペンを捨てる選択肢がなかったのでまずハサミを捨てた。常時友達から借りてたし、自分の部屋にハサミはなかった。3本あったのを捨てた。よく考えてたら3本あったのがウケるしいまだに覚えてるのもウケる。ハサミ捨てたらハサミでやってた部分が出来なくなってマシになった。そして社会人になってまさかの鉛筆派に転向したので随分きれいになった。それでも本当に治ったのは最近だ。そして最近ハサミが家にある。一人暮らしになってさすがに不便だったのと、でもやっぱり生活する部屋でなくて台所に置いている。容易には使えないように。

安全装置が外れちゃったのはしばらく調子が良かったりしたからで、それは良くなったってことなのかもしれないけど、たまに本格的に調子が悪い時、例えば今みたいな時に堪えるものがある。ベランダはまだしも、ハサミはちょっと嫌な感じだ。でもハサミの無い家って不便すぎるし、バランスって難しいなって思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?