お母さんの乳癌記録
お母さんの乳癌記録。
2021年3月9日
約3週間前から胸にしこりを感じたそうで乳癌の病院で検査をした母。
この頃、大阪の実家ではお母さんとお父さんが2人で住んでいた。
私は神戸で一人暮らしし、エステティシャンとしてサロン勤務。
妹はワーホリでオーストラリア🇦🇺へ。
4人家族ですが、それぞれバラバラに過ごしていました。
3月12日
乳癌と判明し、標準治療のスタート。
家族LINEで
お母さん、乳がんになったわ。と。
LINEを呼んで涙が溢れてきたのを今でも鮮明に覚えている。
大丈夫なん?!😭😭
との問いに、
今から治療頑張っていく。
とのこと。
心配で心配で、不安で不安でたまらなかったけど、どこかで、
お母さんは大丈夫!
絶対乗り越えてくれる!
と、信じている自分がいた。
1回目の抗がん剤
パクリキセル
分子標的薬
パージェタ&ハーセプチン
をスタートしたそう。
このことを知ったのは2024年になってから。
この頃は私もあまり深く問わず(今になってはなんでどのような状況でどのような治療をするのかも聞かなかった自分に後悔がたくさんですが)お母さんは自分で頑張ってるから応援しよう!絶対大丈夫だ!と、なぜか信じる気持ちが大きく、
心配・不安〈大丈夫!!
という気持ちでした。
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