ココロが苦しいとき。
ココロが苦しいとき、
私だけが私を暖められるって最近思ってます。
泣きそうになる、あのキュッとした感覚。
そんなとき、みなさんはどうしているんだろう。
思いっきり泣きますか?
グッとこらえる?
何かに発散するかもしれないし、
誰かに話を聴いてもらうかもしれない。
私は無意識に耐えていました。
耐えていることすら気づいてなくて、
なんか息しづらいなって思うくらいでした。
でも本気で感情に正直になってみたら、
涙が止まらなくなりました。
大号泣、そこらじゅう水溜まり。
あぁ、描いてた絵も滲んでしまった。
キュッとしたあの感覚、
喉の奥に何かが詰まってるような感覚。
冷たくて重たいものが、心臓の上にどしんって乗っかっている感覚。
そういう時って、なんだかココロがすごく冷たい気がします。
冷え切って冷え切って、キンキンに冷えてやがるぜってくらいには冷たいと思うのです。
だからどうにかして暖めたいと思うようになりました。
ココロを暖める方法。
ひとつ目は声あげて泣くこと。
泣いたら体温上がる感じがしませんか?
顔があっつくなって、赤くなって、鼻水ずるずるで。
涙と鼻水と声で、
冷たくて重たいものが、喉の奥から出ていく気がします。
ふたつ目は、もうひとりの自分に暖めてもらうこと。
泣きたいのには何かしら思いとか、考えとかがぐるぐるしてるからだと思うんです。
いっぱいいっぱいになっちゃってるとか、
謎に焦ってるとか、
過去を思い出してつらいとか、
将来を想像して不安とか、
今の自分が情けないとか。消えたいとか。
そんな思いや考えをしているココロに、
一番近くで見て、共感もできちゃうのは、
自分しかいないと思うんです。
しんどいよね、苦しいよねって、
誰かに言ってもらうのもいいんだけど、
そのしんどさの度合いとか深さって、
結局は自分しかわかりません。
だから、ココロをあやすように、
もうひとりの自分が暖めてあげるんです。
赤ちゃんを毛布で包むように、
ココロを包んであげたいです。
感覚的な話でごめんなさい。
だけど私には、この、ココロをあやすというイメージが一番しっくりくるんです。
もう少し理論ぽくいうと、
感情を切り離して、客観的に観るってことなんですけど。
でも感情を切り離すって難しいというか、
感情に支配されてる状態から、グイって切り離して遠ざかれるかと言われたら、なかなかハードな技だと思うんです。
だからあえて、「あやす」と言いたい。
その感情を抱いたことが子供っぽいとか、そういうことではないですよ!
あやすがダメなら、慰めるでもいい。笑
とにかく、
一番自分のココロを理解してあげられるのは自分なんだってことを強く認識することができれば、ココロを暖めることもできるように思います。
自信なくても大丈夫。泣いてしまっても大丈夫。
もうこれは最近の私の口ぐせになってきています。笑
今までやってきたことを握って離さなければ大丈夫。
普段はそう強く強く思って、これまでの自分をお守りにして生活している私ですが、
季節の変わり目だからかな、泣いてしまう日も出てきました。
でも、泣いたって大丈夫。
ココロを理解してあげられるのは私。
暖めてあげられるのは私。
守れるのも私。
ココロの一番そばにいるのは私自身だから。
ね、少しは大丈夫って思えるかな?
私と一緒に、自分を味方にしていきましょ。
そしたらきっと、なんとかなる。
なんとかなる!
海外にいきたすぎるので、 勇気を少しだけ分けていただいたら、 その勢いで海外までぶっ飛びます。