あけました。大うつも。
去年はパートナーの実家に
お邪魔していましたが、
今年は体力の限界を
既に迎えてしまっていたため、
1人で家にこもっている大晦日と元旦です。
さて、あけましたね。
特におめでたくない人も居ると思うので
おめでとうございますとは言いません。
というか私自身が
別におめでたくなく、
なんなら
大うつにして大泣きの二日間でして。笑
はーーやれやれ
という感じでございます。
だけどこれまでの大うつとは
私の対応が
ひと味もふた味も違いました。
大うつの対応力が身についた
まず、
もうとんでもなく
泣きわめけるようになりました。
去年は
泣くこと自体が迷惑をかけることだと
思っていたため、
泣くことにも気を遣っていました。
また、気を遣えないほどの大うつの場合、
落ち着いてきた頃に
自責の念でまた苦しんでいました。
泣いてしまってごめんなさい
というように。
泣く体力すらなかったかもしれないです。
だけど最近では
泣く時はしっかりと泣きます。
これでもかというほど
声をあげて泣きます。
秒で目が腫れます。
だけどそれでいいのです。
なぜなら
泣き止んだときにぼーっとできるから。
私の場合
泣き止むと頭がぼーっとして
ネガティブも浮かばないことが多いです。
しかもなぜだか急に泣き止みます。
本当に突然、無になります。
この無がめちゃくちゃいい。
本当に何も考えず、感じず、
家事とかできるんです。
ちょっとしたお片付けとかできます。
ひとつ言うのなら、
この無を味わうには、
本気で狂うほど泣く必要があります。笑
私は
本気で全力で
泣くことが上手くなりました。
そして二つ目。
泣きながら家事ができるようになりました。
一つ目と矛盾していますが、
全力で大泣きしていても
洗濯したり食器を洗ったりが
できるようになりました。
これはまじで進歩。
側からみたら
そんなに泣くほど嫌ならしなきゃいいのに
って言われそうですが。笑
でも、
大うつにのまれているときって
何もできない、していない自分が
すごくダメな人間に感じているから、
泣きながらでも家事ができると
泣き止んだあとに、
仕事一個終わらせた
みたいな感覚になるんです。
泣きながらでもやって良かった
って、自分に少しだけありがとうが言える。
泣き止んで無になっても、
わざわざやらなきゃいけないことがないから、
動かずにぼーっとできるのもいいところです。
大うつのときは一人がいいのか否か
話が逸れますが、
みなさんはうつの波が来た時、
一人でいたくなりますか?
それとも
家族やパートナーや友人など
誰かにそばに居てほしくなりますか?
私は、一人になりたくなります。
だけど、
誰か助けて
とも思っています。
私が落ち込む時というのは
大抵、孤独を感じるときです。
孤独を感じるというのは、
私の場合、
誰かと一緒にいる時に感じるのです。
自分の出来なさや不甲斐なさを感じたり、
私を認識してもらえてないような感覚になったり。
だったら、
一人で居る方が孤独にならずに済みます。
孤独とは
周りに人が居るから感じるように思うのです。
だから、逃げたくなる。
人のいるところから逃げたくなる。
なのに
心の奥底では、
誰かに助けてもらいたい
誰かに許してもらいたい
そう思っているんです。
今日の今日まで、
私は心の内に、
誰かを招き入れたことが
ないのかもしれません。
そんなことを思う元旦です。
新年早々の大うつが明けて
色々書きましたが、
夜になり、大うつも落ち着いてきました。
年越しはいいものではなかったけど
私の体調も、
年から一足遅れて明けた感じです。
もしかしたら
まだ明けてない方もいるかもしれませんね。
でもやっぱり、
明けるのです。
どれだけ時間がかかっても、
明ける時がくるのです。
それは一番私たちがわかっていること。
今日も明日も大泣きしながら
明けるのを楽しみに待ちましょ。
明けました。
今年もよろしくお願い致します。