期待に応えられない… 本当に辛い… プレッシャーから解放される方法
私が管理職として昇進した時のことです。上司のサポート業務もするように言われたことで私は頑張らなきゃと空回りしてしまったこと、新しい担当の業務を一から覚えていかなければならないストレス、早くベテランの方々から認めてもらわなければというプレッシャーからミスを連発し、人間関係を悪化させてしまいました。そして私が「期待」について考えた結果です。
「そもそも期待ってなんだ…」
期待という正しい考え方が整理出来ていなかったんだ。
今回の記事はこんな方に読んで頂きたいです。
もしかしてあなたも気付かないうちに
☑期待に応えられない罪悪感
☑このチャンスを逃す不安感
☑期待以上の事をやらなければと考えている
☑自分に厳しすぎて体がもたない
☑上司にがっかりしてもらいたくない
でもあなたが、正しい考え方・捉え方そして行動で迷いがなくなる方法を知り、自分のスキルとして身についたなら
☑期待というプレッシャーから解放される
☑自分を責めることをやめれる
☑「~ねばならない」を減らせる
☑無駄に考えなくてよくなる
期待に応えられない辛さとプレッシャーから解放される方法を学び今を打開しなければと思っているあなた。
本当にやりがいをもって仕事をしたいと思っているあなた
必ずこの先を読みすすめてください。
期待に応えられない
他人の期待に応えられない自分を責めたり、「期待」というプレッシャーを常に感じることはとても苦しいことだと思います。
そもそも、「期待」とは他人が自分にするものです。
その期待に振り回されるということは、自分の人生を他人に振り回されているということです。ぜひ、自分の人生の主導権は自分が握ってください。
①期待には応えなくていい
まず、考え方として、「他人の期待には応えなくていい」ということを覚えておいてください。
相手の期待に合わせて自分を変えていく必要などないということです。
そのままの自分で相手に合わせてもらってください。
「頼まれる」「任される」というと、無意識に「相手の期待通りに」と考えるかもしれません。しかし、自分は自分でいていいわけです。
その結果が相手の期待通りでなければ、次からは頼まれないというだけのことです。相手軸で考えるのではなく、自分軸でやってみてください。
変な期待はされなくなり、自分が自分でいて勝手に周りの期待に応える状況になります。ぜひ、「他人の期待には応えなくていい」ということを分かっておいてください。
②「期待」に張り付いているもの
「期待」とは「他人が他人にこうしてほしいと望むこと」です。
ただ他人に対して望む気持ち、それが期待なのです。しかし、私たちはその「期待」に意味を貼り付けます。ただの「期待」を色眼鏡で見ているのです。以下の言葉を実際に口に出して言ってみてください。
・私はいつもがっかりされる
・期待に応えられなくてごめんなさい
・期待に応えられない自分には価値がない
心がざわざわしたり、言いにくかったり、ドキっとしたりするのであれば、そう思っているのかもしれません。
ただの「期待」という中に下記の内容がが張り付いているます。
①「期待に応えられない自分」
②「期待に応えられなかった罪悪感」
③「自己価値の高低」
この「期待」に張り付くものが強ければ強い程、多ければ多い程、「期待」に振り回されているという事です。
③期待に張り付いているものを取り除く
3つの期待に応えられずに責めたい自分がいる一方で、自分を責めることを回避していると、次に進むことができません。ですので、一回自分を責めきってみてください。
そして、ガッカリした相手の顔を見たときや「何でできないの?」と言われたときに、あなたが感じた悲しい気持ち、心が傷ついた痛みを十分に感じてください。自分が当時の痛みを理解してあげてください。
本当は笑って欲しかった、本当は褒めて欲しかった。
でも…ガッカリされたり否定されて、傷ついたと思います。
その時にものすごく落ち込んだと思います。
それを今のあなたがわかって、当時の感情を受け入れてあげてください。
それでは、「期待」に張り付いているものを個別に切り離していきます。
①「期待に応えられない自分」
過去の傷ついた出来ごとから、「自分=期待に応えられない人」という図式が成り立っているのかもしれません。
「ありのままの自分では期待に応えられない」という思い込みがあるのではないでしょうか?
そして、この思い込みと当時の悲しさを再確認するために、期待に応えられない状況を無意識に探しにいっているのかもしれません。
この「期待に応えられない人」という思い込み(前提)は勘違いです。
期待に応えられることもあるし、期待に応えられないこともあるのです。
しかし、期待に応えられない「前提」や期待に応えられない「負い目」から、期待に応えられていない部分だけにフォーカスしているのです。
この状態では、期待に応えられている部分に目が行きません。
だから、「期待に応えられているところもあるのかも」と自分の前提を疑ってみてください。そして、期待に応えようが応えられなかろうがどっちでもいいのだと自分に語りかけてあげてください。
すると、周りはそんなに自分に対して高い期待をしていなかったことがわかります。そして、期待いかんに関わらず、ずっと認めてずっと受け入れられてきたことに気づきます。
②期待に応えられなかった罪悪感
期待に応えられなかったことに罪悪感を持っていると、自分を責めたいと無意識に感じます。
それがどうしようもないことでも、自分のせいではなくても、
「私のせいだ」「もっとやりようがあった」「何でいつもこうなんだろう」と自分を責めるのです。
しかし、元々、期待に応えられなかったことに罪はありません。
親の「こうしなさい」や「こんな子になってね」という期待を叶えなくても、それは罪ではないのです。
自分に罪はなかったことに気づいてみてください。
「あぁ、私には罪はなかったんだ」と、自分自身に語りかけてみてください。
また、期待に応えられなかった自分を許してください。
他の誰かから許しをもらうのではなく、何かの条件をクリアしたら許されるのではなく、自分が今この瞬間に自分を許すということです。
元々、自分が勝手に罪の意識を感じているだけなので、勝手に自分を許してもいいわけです。ぜひ、自分には罪がなかったことに気づいてみてください。また、もう自分を許してあげてください。
③自己価値の高低
「期待に応えること」と自己価値が連動していると、「期待に応えるか否か」がとても大事なことになってしまいます。それは、私たちが命の次に大事だと思っているのは自己価値だからです。
私たちの価値は、誰かの期待に応えることや他人の評価で上下動するものではありません。言い方を変えると、自分の価値が他人なんかで変わらないということです。
「人の期待に応えることと自分の価値は一切関係ないことなのか」
自分の価値は他人では決まりません。自分の価値は自分が決めることです。
期待に応えることや他人の評価というモノサシで自分の価値を計らないでください。それと自分の価値とは一切関係のないことです。
ぜひ、そのことを何度も何度も自分に刷り込ませてみてください。
腑に落ちてきたら、他人の期待が「期待」以上の何者でもなく、ただの「期待」だということがわかります。
「最後に」
あなたは「期待」ではなく成長のチャンスをもらっただけです。
今すぐ、開き直って自分の考えが思い込みなんだと割り切ってみてください。そして、実際に勇気をもってガッカリされてみてください。
実は、自分の頭の中だけで勝手に組み立てられたものであり、ただそれに縛られているだけだったりします。
この先に、もっと自由で成長した自分が待っていますよ。
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それでは長くなりましたが最後まで読んでくださり感謝申し上げます。
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