あなたが見てるのはあなただけの映画(クリエイティブディレクター千原徹也さん×映画監督犬童一心さんのトークライブを見た夜のこと)
週末に、クリエイティブディレクターの千原徹也さんと、映画監督の犬童一心さんのトークライブを見に行った。
その中で出てきた話で、「ああ、このメッセージは、今年一年を通じて何度も受け取っているものだなあ」と思ったので、メモがわりに書いておきます。
最後の質問コーナーの時、ある参加者の方が「映画を撮っていて一番面白いことはなんですか?」と言う質問をした。犬童監督がそれに応えて話したのはこんなことだった。
「他人の考えていることってのはおもしろい。俳優が、こっちが思ってないことを突然やり始めたりする。他人のやることをすごいと思えること、それを楽しめる。映画を見た人だってそう。アンケートを取ってみると、見た人というのは創作の意図とは関係なく、勝手に見ているなあと思う。人生経験によって、見方が変わるんですよね。勝手に人生経験を反映させて、妄想を見てる。俺はこんなシーン作ってないぞ、って思うんですけどね笑 その人の中にあるものを触発するんですよ。あなたが見てるのはあなただけの映画なんです。」
この話を聞いて、まず思い出したのは、今年の夏に参加したワークショップ。松本のカフェ、栞日で開催されたいしいしんじさんの「書こうとしない書く教室」だった。
いしいさんはこんなことを言ってた。
「『窓の外を、青い馬が走っている』こんな書き出しの小説を読んで、みんな同じ映像を思い浮かべてると思い込んでいるけれど、実際はみんな違う。青い馬の青の色はどんな色なのか、どんなスピードでどっちの方向に走っているのか、窓枠はどんな形でどんな色なのか…みんなそれぞれに想像をしているんです。それに、小説を読みながら、猫が登場すれば昔飼っていた猫のことを思い出したり、思考はあっちこっちに飛んでいく。小説家が小説を作っていると思われているけれど、実際に小説を作り上げているのは、読者なんです。小説家はレシピを渡しているようなもので、物語を作っているのは読者なんですよね。」
この話を聞いた時、私は、ほんっっとうに、なるほどって思った。そんなこと、考えたこともなかったから。みんながおんなじ読書をしているんだと思ってた。おんなじ物語を読んでいるんだって。
でも言われてみれば、読書という体験は、人生のいつ読むかによっても受け取り方が変わるし、読んだ場所に影響されたり影響したり、その時に悩んでたことや幸せだったことを増幅したり癒したりもしてくれる。ある時にだけ、キラッと光る一行に出会うこともある。読書しているその時間だけでなく、別のことをしているその時間と織り重なるようにして私だけの体験になっていく。
それは、犬童監督が言うように、映画も一緒なんだなあ…!
そして、次に思い出したのは、さらに遡って今年の春のこと。
参加したアート合宿で、描いた絵を見せ合って、感じたことを伝え合う時間があった。その時の私は、自分を丸裸にされるようで、自分の至らなさも弱さも稚拙さも黒さも全部伝わってしまう気がして怖かったのだけど、みんなからのフィードバックは、本当に本当に、人それぞれだった。
同じ絵を見て、
「新たに繋がりたい気持ち」「遊び心に溢れた精神体が、その時その時を好奇心で飛び回っている」「方向性で揺れ動く乙女心」「子供っぽさとか自由さ」「糸電話のようなもので、テレパシーをずっと送り続けている愛」「自分が遊びにきた地球が汚されるのが嫌だと言う怒りの感情」
と、様々なフィードバックがもらえた。これがとってもいい経験だったと、振り返ってみても思う。
絵を描いた時、私は人からの評価がすごく気になっていて、そんな自分から抜け出したいってずっと思ってきたから、そのきっかけになればと思っていたのだけど、こうやって率直なフィードバックをもらってみると(この率直なフィードバックをもらうことを避けてきたのだなあとも思った。写真学校時代のあの辛辣なフィードバックで身体が強張る癖がついたのかなあ)、本当にどこにも正解なんてないんだなと体感できる。
だって、みんな、自分のことを言ってるみたいなんだもん…!!!
人と人とは写し鏡だと言うけれど。
作品と相対して受け取れるものも、その人の枠を出ることはないのかもしれない。その人の世界で見ているんだと思う。作品のフィードバックをしながら、自分のことを話しているんだと思う。
だとするなら、自分の作品を世に出すことに怖さなんて感じる必要はないのかもしれない。そりゃあ、技術的に未熟だとか、そんなことはいっぱいあるけれど、犬童監督が言っていた通り、「その時の年齢じゃないと撮れないものがいっぱいある」んだ。「17歳と言う正直さ、バカっぽさでしか撮れなかった」と回想されていたように。
コーチングカード「bloom your day」を使ったストーリーコーチングで、コーチをしてみると、私の写真を見て、いろいろな人が、色々なことを思い、ストーリーを紡いでいる。私の写真だけれど、そこに流れる物語は、話している本人だけのもの。だからいつも私は新鮮な驚きを覚える。
帰りに、クリエイティブディレクターの千原徹也さんがデザインしたバッグを買ってきた。今年の春からずっと気になっていたのをようやく。オンラインでも購入できたのだけど、「ああ今日でよかったなあ。千原さんのいるこの空間で買うことができて、より私にとって思い出深いものになったなあ」と感じながら。
このバックのデザインを入稿した時、千原さんの顔が曇っていたのだそう。それを見た奥様(私の友達でもある)が、「あんたが絶対これだと思うものにしいや!」と言って、もう工場に発注に出ていたものを止めて、デザインをやり直したんだとか。
だから、やっぱり、自分のやりたいことを100%詰め込むしかないのだろうなと、いろんな話を聞いて、思った。
私は、何ができるだろう。
私には、結局、写真しかない。
そして、こうやって言葉をつなぐことしか。
トークライブの中で、「43歳」と言うのは大切な歳なんだと、犬童監督が言っていた。「43歳の時に、いい映画を撮るかどうかが大切なんですよ」と。
深作欣二監督の「仁義なき戦い」、黒澤明監督の「七人の侍」も43歳の時に撮られているんだ、と。
私は今、ちょうど43歳だ。
それを千原さんに伝えると、「今年、これまでの集大成をするべきだよ」と言ってもらった。(千原さんは43歳の時に映画製作に取り掛かって、47歳の今年映画を撮っている。2021年7月公開と言っていた気がする。)今年は、私にとって、独立して10年のアニバーサリーイヤーでもある。私の43歳は、あと7ヶ月。何ができるんだろう。私にとっての集大成って、なんなんだろう。作品なのか、講座のような形なのか、一体なんなのか…。少し先の未来の場所から、いい問いをもらって帰ってきたような夜でした。(こうやってトークライブを見て、見てる景色も私のフィルターを通した私だけの体験だね)
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