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#7 米国一流ミュージシャンに認められた理由。<何かを失うと大きなギフトがやってくる>

海外でプロドラマーをしながら、途上国を元気にする活動をしていた、たにちゃんです!

私はこれまで、ドラマーとして、いろいろなジャンルの音楽を経験してきました。ポップス、ロック、メタル、ハードコア、パンク、ロックンロール、カントリー、ブリティッシュポップ、ジャズ、そして、ブルーズ

今日は、このアメリカ人音楽Blues(ブルーズ)のレジェンドと言われるMagic Slimに認めていただいた経験から、私が学んだことを皆さんにお伝えしていこうと思います!!!

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ちなみに、このタイトルにもあるブルーズ(英語ではBlues)という音楽はご存知でしょうか☺

アメリカに奴隷として連れてこられたアフリカ系の方々が、
農作業や労働をしながら、故郷を離れた悲しみや、生活の苦しみ、
日々の憂鬱な想いを歌にしていた。

それが、19世紀後半にアメリカ南部で発展し、
ブルーズという1音楽ジャンルになったと言われています。

(だから、“ブルー“なんですね😢)

ブルーズは、20世紀以降のジャズやロックのルーツになっており
現代音楽の“お父さん=ブルーズ“(お母さんはジャズかな)のような存在です。

少し専門的な説明を付け加えると、
このブルーズやジャズをはじめとするアフリカ系音楽には、日本人が苦手とする「3拍子系のリズム」が使われています。(拍は4/4拍子)アジア人はおろか、欧米系のミュージシャンでさえ、習得が難しいとされていたリズムです。

このリズムの壁は大きくて、
世界におけるジャズ、ブルーズ界で認められたアジア人は少ないです。

「Female=女性」となると、その比率はさらに低くなります。

カワイイ、見た目が華やかという理由で起用されるチャンスもあるハリウッドと違って、ジャズやブルース界は「本物しか認めない」彼らの気高いプライドがあるのも一因かもしれません。

アジア人だろうが、日本人だろうが、女性だろうか関係ない。
彼らは、「一人のドラマー」として、私を見てくれていました。

実力が全て“の、厳しい世界です。

海外ミュージシャンたちと、365日毎日ステージに立っていた20代の頃


でも、そんな環境こそが、私の望んでいたものであり、
日本ではなく、世界を活動のフィールドにした理由でした。

若いのに上手い、女性なのにすごい、日本人なのに、アジア人なのに・・
そういったアドバンテージは全て捨て去りたい。

人々を感動の渦に巻き込む、そんなドラマーになるために、「一人のドラマー」として、ただただ上手くなるんだと心に決めていました。

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私が27歳のときでした。パブで、私の即興ドラムソロを見て、
アメリカンブルーズ界のレジェンドと言われるMagic Slimのマネージャーが声をかけてくれました。

「明日の本番で即興で彼と演奏してみないか?」
と。
そして、こう言われました。

Slimは本物のミュージシャンしか認めない。キミの演奏がまずかったら、ステージ上でも演奏を止めてキミを退場させると思う。そうなったら恥をかくけど、本当にやってみる?

私は、「もちろん!1秒でもいいからチャレンジしてみたい!」と答え、
彼のステージに乗り込みました。(今思うと数本ネジが取れてるのかもなぁ。笑)

周りの心配をよそに、ルンルンでステージに上がった私。


私は、Magic Slimのバンドの曲をまったく知らなかったし、
あまりの演奏技術の高さに一瞬ひるみました

でも、これまでの即興経験から、瞬時に挽回して、
彼のバンドのグルーヴを掴みました。

結果、Magic Slimからの要望で、2曲追加で演奏!!!

「Miyukiとなら朝まで演奏していられる。」と言っていただき、
ステージを降りてから彼のマネージャンに「シカゴに来い」とスカウトをされたんです。(アジア人どころか、アメリカ人でもスカウトされないすごい事務所だったそう)

I can play with you all over the night!

きみはタレント(才能)がある。
でもそれだけじゃない「Something=何か」があると言われました。

リズムの知識量、ドラムの練習量は誰にも負けないくらいやってきました。
でもその「何か」ってなんだろう?と思っていたら、

一連のやり取りを見ていたCurtis King(米国グラミー賞ノミネート候補アーティスト・尊敬する私のBand Master)にこう聞かれたんです。

「Why do you have “the blues”?」


「(アジア人で日本人、兵庫県宝塚市出身の)キミが、
どうして、アフリカ人のBluesを持ってるんだ???



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それは、私が音楽家を志した9歳の時のできごとでした。

クリスマスの直前、父が会社で倒れ、
1週間後にこの世を去ってしまいました。
病歴もなく健康だったので、親族は大きな悲しみに包まれました。

父が亡くなってからの半年間。
毎晩、「生と死・これからの生き方」について、
お布団の中で、ひとりでずっと考えていました。

今だから人に話せますが、
目を腫らしながら、父のもとに行きたい。と本気で考えた夜もありました。

ちょうど半年くらい経ったある晩に、
前を向いて生きよう>と、覚悟したんです。

残された母や弟を守るために。

終わりがあるこの人生から逃げずに、
前に踏み出すことを“選択“しました。

ベストセラー小説で映画にもなった『ハリーポッターと秘密の部屋』で、ホグワーツ魔法魔術学校のダンブルドア校長が、自分に世界の命運は背負えない。と迷い苦しむ主人公のハリーに、こう語りました。

「自分が本当は何者であるかは能力で決まるのではない。
どんな“選択”をするかだ。」

ハリー・ポッターと謎のプリンスでのダンブルドア校長の一言


深い言葉ですよね。
私も“選択“が自分の人生の全てだったと言っても過言ではありません。
そして、この“選択“が、自分の人生を大きく変えることになります。

この世界で生きる!と、心を開いた直後に、音楽と出会います。
そして、音楽家になるという夢を持ち、それが人生の支えとなり、
灰色だった世界に、青い灯火を灯してくれました。

まるで、終わりのない奴隷生活に、“Blues”がそっと灯りを灯したように。
(小説風の表現にトライ!)

私が大人になったら、この世に生きづらさを感じている人たちに「音楽」で居場所を作りたい。私の命は、そのために使うんだ。

9歳の私は、音楽家になることを決意。

そして、大人になった私はドラマーになり、世界中をドラムを叩いて周り、
「Why do you have “the blues”?」という言葉と出会います。

そこで、とっても大切なことに気づいたんです。

私は最愛の父を失った。でも、
最高の音楽を奏でるための“blues“を、ギフトとして受け取っていたんだ。」

これは、大人になってから分かったことですが、
父は大学時代にミュージシャンを目指していたんだそうです。

レコードプレイヤーの前で音楽を聴いている、赤ちゃんの私。

父は生まれたばかりの赤ちゃんだった私を毎日レコード・プレイヤーの前に連れて行って、たくさんの音楽を聴かせていたんだそうです。
私にとって「音楽」は、記憶が少ない父とのつながりを感じられるものでもあったんです。

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こうして、改めて人生を見つめ直して気づいたことがあります。

<何かを失うと大きなギフトがやってくる>


誰しもが、何かを失った後には「大きなギフト」を受け取っている。
私はそう思います。


大切なのは、自分がどんな「選択」するか。それだけなのかもしれません。
(選択のタイミングは人それぞれ。ちなみに、私は“ギフト“を正面から受け入れられるようになるまで約18年かかっています。焦らずに自分のタイミングを大切に☺)

英語では、よくMaking a decisionという言葉が使われますが、
「決意(選択)は、自分の中で作るもの。」だそうです。

だから、今日も睡眠をしっかりとって、美味しいご飯を食べて、
大人も子どもも、たくさん遊んで、いっぱい笑いましょう。

今日も、自分の中に「良い選択(決意)」が生まれるように。


それではまた!!
良い一日をお過ごしください。

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