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宇多田ヒカルから学ぶ、死について

ご存知の通り、宇多田ヒカルの母は、かつて日本を代表するブルース歌手、藤圭子である。長期に渡る精神疾患の末、藤圭子は自ら死を選び、宇多田ヒカルは、自死遺族となった。あれから10年経ち、自死遺族に向けて発信した言葉は多くの人の心をゆさぶった。

自死は自ら死を選ぶという点で、自分勝手、わがまま、遺された人の事を考えていない、などの批判を受ける。社会的偏見があるので、家族の自死を隠す遺族も多い。

自死と病死の違いについて考える。様々な病が死に至るように、自死も精神疾患や脳の異常による病がもたらす、と私は考える。

他の病気は治療や服薬を続けることに、恥ずかしさ、は伴わないと思う。精神疾患は心の異常や、努力の欠如とみなされる事もあり、休養が必要なのに、逆に頑張ることを求められる。

死にたいと思う事と、実際に死を選ぶ事の間には、大きな隔たりがある。私も生きているのが嫌になったことは何度もある。しかし、自分の身体を傷つけるのも、自分を危険にさらす事も、私にはできなかった。

それは、私の心が強いからでも、道徳心が強いからでも無い。私には、その様な病気が発症していなかったからだ。

自死をした人も、長期間、生きようと努力し、SOSを出してきたに違いない。しかし、大病や大怪我と違う偏見が、治療を阻んでしまった。

自死遺族は、自責の念に苦しむ。自分が助けられなかった、という念だ。

宇多田ヒカルはこの部分を端的な言葉で、綴っている。

死の理由は本人にしかわからない。それを、理解しようとする努力は無意味だ。

死を受け容れる、とは、
彼が
私達家族を遺して、
死を選んだ理由を、
理解できない自分を
そのまま受け入れる事。そして

死者との関係は永遠に続く。

私も息子との関係を大切に、
愛おしんで
ずっと
行き続けたい。

宇多田ヒカルさん、
この言葉を
ありがとう。




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