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『毎日保健室』だった私の自己紹介


「迷惑かけちゃいけない」

「心配かけちゃいけない」

「大丈夫って思ってれば大丈夫」

「我慢できないなんて、完璧じゃないなんて、だめだ」



まるで呪うように、そう思い込んでいた毎日。

そうやって、育ってきました。



2年前。 高校3年生、 保健室。


つい先日ハタチになった私は、今は大学2年生です。2年前といえば、貴重な高校最後の年でした。

高校が大好きでした。ずっと憧れで、嫌なこともあったけど、想像していたよりも何十倍も楽しい高校でした。大好きな友だちや先生がたくさんいて、毎日登校するのが楽しみでした。

だから私はいつもいつも思っていました。「みんなの役に立ちたい」。そう言うと友だちは「見友希は優しいね」と言ってくれましたが、


私はそれを、思い過ぎてしまったんです。




夏が始まり出した6月です。文化祭。私たちにとって最後の文化祭は、ミュージカル。学科が同じ3クラスが、3年生になると合同でミュージカルを発表するのが母校の伝統なんです。

昔から裁縫が好きだったので、自ら衣装係を選び臨みました。行事が大好きな私は、「とにかく成功させなきゃいけない」と強く思いました。


でも、準備は思い通りにはいきませんでした。

予算や本番までの日数はどんどん減っていきました。みんな個々に忙しい時期でもあり、同じ衣装担当のメンバーともなかなか都合がつかず、でも時間はあっという間に過ぎるばかりでした。

衣装のために、ミュージカルのために、みんなのために、全力じゃなきゃ


私は完璧主義です。自分が納得する衣装を、全員が喜んでくれる衣装を作らなければそれは失敗作。そのために1日のほとんどを裁縫して過ごすようになりました。

朝のHR前、休み時間、放課後、真夜中も、小さな作業は授業中にだってやりました。あの頃の睡眠は、2時間もなかったと思います。



文化祭、2日前。

文化祭当日の2日前。それは予行練習の休憩中でした。頭がぼーっとしてきて、でも「暑さのせいだ」と思い込んでいました。

すると、友だちの声が遠くなりました。

私は無気力に、その場に、倒れました。

酷く呼吸は乱れたけど、意識はありました。男子の友だちと先生が私を担架に乗せて、保健室まで運び始めました。「しっかり!」と声をかけてくれました。


でも私は、謝ることしかできませんでした。

ありがたいのだけれど、地獄のようでした。

「迷惑をかけてしまった」

「最低だ」

体は苦しかったです。でもそれ以上に申し訳なくて、自分が嫌で嫌で、苦しかった。あの時の感情はずっと忘れることはないと思います。

保健室に着いてからもずっと「ごめん、ごめん」と言い続けました。



保健室通いの日々

それから文化祭が終わって、学校生活は普段の日常に戻りました。

が、私は戻りませんでした。

過去最高の自己嫌悪また過呼吸になるんじゃないかという不安。そして蓄積した疲労と睡眠不足のせいで、毎日過呼吸と体の痺れを繰り返しました。

夏休みで落ち着くかと思いきや、秋は食欲不振に。食べられないからお弁当箱も開けなくなりました。


・・・結局そんな日々は、卒業まで続きました

だんだんと体が軽い日も増えていきましたが、高校最後は保健室が第2の教室みたいでした。



友だちが私へ

でも、卒業まで続いたけれど、私の考えは大きく変わりました。

その全ては、支えてくれた先生と、そして友だちのおかげです。

文化祭前からみんな気にかけてくれてましたが、大丈夫だよと言っていました。でも私が倒れたことをきっかけにクラスメイトは「見友希がなんと言おうと休ませる」というスタンスになりました。

私はみんなの優しさを知っていたので、心配かけて余計申し訳ないと思い、最初は自己嫌悪が増すばかりでした。でも、みんなあまりにも強引で、その優しさゆえの強引さによって、私は少しずつ覚えたのです。

人に頼るとは何かを。

それまでの私は人に頼ることは弱さだと思っていました。もちろん優しい友だちだから、「頼られたら嬉しいよ」と言ってくれて、私に対して迷惑だなんて思わないでいてくれる。頭ではわかっていました。

でも、うまく頼ることはできませんでした。ずっと、わからなかった。「これはさすがに迷惑かもしれない」「もし苦手なことだったら?」「私はこんなこともできないの?」こう思い続けて生きてきました。

でも私の友だちは教えてくれた。

人を大事にするなら、初めに自分を大事にすること。

苦手なことだったら、得意な子を呼んで一緒にやればいいこと。

ただ私が元気なら、何もしなくたって喜んでくれること。


大きな、大きな教えです。何度も似たことを本で読みました。昔から人付き合いが苦手な私は、自己啓発本もたくさん読んできたから。

でも、それより大きな教えでした。教えというか、気づきです。私の友だちが、ひたすら時間をかけて、丁寧に丁寧に、私に気づかせてくれました。


そして、今は

あのぶっ倒れた日から2年以上。友だちや周りのあらゆる環境、そして自分自身とたくさん向き合ってきました。まだ体が痺れて硬直するようなこともありますが、「前回がいつだったか忘れた」くらいの頻度になりました。

そんな私は今、自分の経験から

・なんでも自分でやろうとする人

・気付いたら燃え尽きてしまっている人

・原因不明の体調不良で困っている人

こんな人たちに少しでもラクに毎日を過ごせるようになってもらえるよう頑張ろうと思っています。

私みたいな人は、まず「自分は大丈夫だ」と思っていると思うのでなかなか難しいですが、どうか体だけは壊さないで。そう強く思います。

私だから書ける何かがあるだろうと信じて、少しずつ書いていこうと思います。

長くなりましたが、こんな私です。どうかよろしくお願いします。



最後に、大好きな友だちへ。 いつも本当にありがとね。

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見友希 / Miyuki
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