田中一村展
レンブラントは光を追及しすぎて
絵の大部分が暗い。むしろ黒味が強い。
一村は光も描いたが影を繊細に表現している。
数年前にテレビで田中一村の絵を見た。
奄美にいた頃に描いた絵。
とても惹きつけられてしまった。
一村の絵は
いつか本物を見てみたいと思っていて
色々なタイミングが重なって
とうとう実現することになった。
週末の上野は
すごい混雑で
都美も人、人、人。
時間ごとに入場制限があり
予約をしていって良かったと思う。
なんとか人を避けながら
300ほどあるという絵を見て回る。
写真ではわからなかった
絵の具の盛り上がりや
岩絵の具のキラキラ感、
何回も色を重ねられたと思われる
とても細かい描写を
間近で見られて
すごく絵に没頭できた。
会のタイトルは
「奄美の光」とあるけれども
個人的には
影の部分の墨の色の使い分けが
とても好きだ。
影があるから光が輝きだすのだ。
若い頃
ダイビングに夢中だった私は
仕事の合間を縫って、
海外、国内あちこちに行っていた。
石垣島でダイビングの合間に
初めてアダンを見て、
美味しそうと思ったのだけど
ダイビングショップのオーナーが
「食べられそうだけど、食べられないんだよ!」と
言っていたのを思い出す。
絵を見ていると
うだるようなジリジリとした暑さと
鬱陶しいような植物たちの重なり
どこからか聞こえる動物や鳥の声、
ひっそりとした影の部分、
波の音まで聞こえてきそうで
一村の絵は
ダイビングをしていた頃の
私の記憶をズルズルと
引き出してくるのだ。
当時、私はみんなといるけど
孤独を感じていた。
何かを一緒に楽しんでいるけど、
楽しい振りをしていた。
でもダイビングは
タンク1つとそれをつなぐ
レギュレーターで
自然の中にドボンと行く。
何か生かされている、というか
自分なんてちっぽけなもんで
世界は知らないことで溢れているんだ、みたいな
そんな感覚で潜っていたように思う。
なによりも水に包まれている感覚や
海の中の音が心地よかった。
私、さみしかったのかな、と
今になって思う。
私の中2病のような幼い感覚を
己の芸術のために
孤独との戦いを選択した一村と重ねてしまうと
彼には申し訳ないような思いもあるが、
でも…
彼の孤独を
私は感じられた…というか
感覚の再現ができたように思う。
だから惹かれるのかもしれない。
やはり本物はすごい。
静かな中に圧がある。
余談:
ある絵で、後ろのおじさまが
「あれは唐辛子か…」と
おっしゃっていたのだが、
いいえ、あれはデイゴ、と
心の中でつぶやいた。