過去の後悔って
後から後悔した過去ってありますか?
きっと思い返せば、あの時こうしておけばよかった、あの時こうだったら…いろんな思い出があると思います。けれど、そんな気持ちも、大人になると、だんだんこう感じてしまうのです。『自分が選んだ道に、「でも」も、「だって」も、ないんだよな』って。前に進むために、そう選んできた道であり、それが付随する感情が後悔だろうがなんだろうが、それがあっての今があります。
冷静に考えれば、です。
けれど、そんな自分事だけど冷静な、一種の客観的思考を持ち合わせるようになってでも、感情が我慢しきれず動くことって、人それぞれあるのです。何年も、何度も、想起され、その度に悲しみや怒りなどの感情で表現されるような、そんな思い出。
私は思っていたのです。
それは、自分が本気で愛してきたものであり、愛していた証なのだと。
思い返した時に、私はいつまでも引きずりがちな、そんな感情を抱くのは、飼っていた動物に関してです。長い時間を共にしたか否かも関係なく、失ってからいつまでも思ってしまう。思いを昇華するのにとても時間がかかるのです。小さい時に引越しで手放した猫が預け先からいなくなった時も、実家の愛犬が亡くなった時も、離婚して愛犬を手放してきた時も…。
あぁ、あの時こうだったら良かったのにな。
ウジウジします。いつまでも引きずります。いつまでも思い出しては泣けます。
正直、人間とのお別れよりも心を引きずります。モノや人への執着ってあまりないのに、動物への執着はピカイチですね。
そう、それってある意味、『執着』なのです。
愛というより『執着』です。
愛の反対は『無関心』ですよね。
意外と、持っていた愛は転じれば容易に無関心になれるのです。
しかし、感情が生じるものには、何かしらの執着があるからこそ、心が動いているのです。
私の場合、人生の要所要所で、心のつっかえ棒が、その時々の時間を共にした動物だったのです。動物とは雰囲気で付き合う派です。この鳴き声は、とか、この仕草は、とかそういう物理的なアクションで理解しようとしないのが、私流の動物との付き合い方です。だからこそ、自分が彼らのwantを雰囲気で感じるように、彼らも私のwantを雰囲気で感じて、その時々で、アクションを起こしてくれるのです。だからこそ、人に言っても伝わらない、人に言ってもしょうがない、そんな心のモヤモヤが生じても、彼らが雰囲気で私の心を聴いてくれる。そんな感覚があるので、ついつい心のつっかえ棒として頼ってしまっている部分があるのです。一人なら、一人で処理できるくせに、一緒にいることに慣れた頃には、私の心は無意識に寄りかかっています。だからこそ、失ったら、心の支えを失ってしまう。謎に空虚感を半端なく感じる。だからこそ、心がそれに対して反応し続けるのです。
それに対して、良いか、悪いかというようなことはなくです。
あー、いつもそういうパターンだな。
そっか、そういう事なのか。
そうやって、その後悔していた過去の理由も因数分解できれば、後悔から感謝に変え、昇華して、その過去への幸せを祈りながら、前に進むことができます。
なので、そんな時、
やるべきことは、次の動物を飼うことではなく(同じループをするやつです笑)、
再び、自分の心は自分で支えると決意することだけなのです。
あなたが忘れられない
何度も思い出して心が動いてしまう
そんな執着している過去はなんですか?