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なぜこの歳まで?
2020/4/22(水) 晴のち曇り
今日も私は元気です。お世話になっている方々、関わってくださっている方々、みなさんに感謝!
パワーヨガが習慣になってきた。DVDのメニュー、途中きついポーズもあるんだけど、メインのターゲットが女性だろうから、体力的にはまだ少し余裕があるところで次のポーズに進むんだよね。
そこは元々男子の体力。喜んでいいのか、悲しむべきなのか?
とはいえ、筋肉は衰えてる。片足立ちとか脚の筋肉がないとバランスが崩れるポーズがいくつかあるんだけど、軒並み途中で崩れちゃう。バランス感覚ではなく、筋力のせいね。脚が震えてるもの。
でもちょうどいい運動よ。時間もちょうど1時間ぐらいで、200kcalぐらい消費する。最後のクールダウンが気持ちいいの。呼吸に合わせながら、意識の底に沈んでいく。軽い催眠状態。
ちょっとしたドラッグだわ。ヒッピーがヨガや瞑想、坐禅にハマった気持ちが良く分かる。このトランス状態を味わいたくて、ヨガをやっているようなものよ。
これで魅惑のすらっとした脚、キュッと上がったヒップ、グッと引き締まったウエストが手に入るのなら最高よね。がんばろっと!
ということで、朝っぱらからトランスジェンダーがトランス状態にハマってるって何とも奇妙な光景ね。
って、この2つ、カタカナだと同じ「トランス」だけど、英語では別って知ってらした?
トランスジェンダーのトランスは、Trans。横切るとか逆に行くとか飛び越えるとかそういう意味を表すラテン語の接頭辞なの。
一方トランス状態のトランスは、Trance。これは意識が通常とは異なった状態という意味。
ちょっとした蘊蓄。勉強になったかしら?
ところで、古くはカルーセル麻紀さんとか、比較的最近でははるな愛さんとか、もっと最近ではGENKINGさんみたいな、性別適合手術を受けた有名人がいるおかげで、トランスジェンダーの中でもGD(性別違和、GID=性同一性障害とも言うが、私は「障害」ではないと思うので使わない)の方々の心境みたいなものは、広く理解されつつあるんじゃないかと思うの。
要するに自分の心の性別と体の性別が逆で、どうしても自分の体の性別に合わせることができず、止むに止まれず体を心の性別に合わせていくというイメージが、比較的共有されているんじゃないかしら。
そうなると、私みたいに50代半ばを過ぎてアラ還になっても、男のままでいる人間がトランスジェンダーだなんて言っても、なかなか理解してもらえない面もあるみたい。
それは単なる女装趣味だろうと。
そして趣味だから、やめようと思えばやめられるんだろうと。
正直私も単なる趣味だと考えたかった。そう思い込もうともした。
だから30歳、40歳という区切りの歳にはやめることも考えたの。
でも、結局50歳になるときにはやめることはもう考えなくなっていたの。
元々美しくてしようがないので女装しようとかいうジャニーズ系男子じゃないわけで、女性の下着が好きというのから始まって、お化粧し、スカートを穿き、ハイヒールを履いた自分がとても愛おしくなっただけなの。
だから若い頃は、年取ったら醜くなって、自分で自分を愛せなくなるだろうと思っていたのよ。
ところが50歳近くになると、男性的な部分もなんとなく無くなってくるのよね。こんなおばちゃんいるよなあって感じになってきたの。背が高く、手足がでかいというボトルネックはあるのだけど、それでも女装で電車に乗っても違和感があまり無くなってきたの。
いい? 身長178cm、体重が77kgぐらいの50代のおっさんが、女のカッコして電車に乗り、街を練り歩くなんて、よっぽどの勇気なんだよ。
でも踏み越えてみて分かったの。ああ、私はこの格好が大好きなんだな。一生やめられないな、できればこの姿でずっといたいな。60過ぎたらおばあちゃんだと自覚して、かわいいおばあちゃんを目指して生きていけばいいんだなと。
そうなると、自分が42歳になる直前に会社を辞めてフリーランスになり、最初は企業常駐のコンサルタントをしていたのだけど、その高額の報酬を蹴っても自宅を仕事にすることにこだわり、その後何度か収入が無いどん底に落ちて就活したりもするんだけど、内定をいただいても結局蹴っちゃったりして、それでライター募集に応募したらお仕事がいただけたのでそのままライター専業になっちゃった――なんてことが、全てトランスジェンダーとして生きろということに繋がっているように思えてきちゃったのね。
とんでもない思い込みって言われたら返す言葉も無いわ。でもね、ここで諦めちゃったら、いろんな人や社会環境を恨みながら死んでいくということも分かっているの。もちろん私自身も恨みながらね。
そんな最悪の死に方だけはしたくないな。それなら望む性で生きていきたい。この場合の性はジェンダー(性役割)のこと。だから体は弄らない。弄りたくもない。
弄りたくもないというのは、30代の終わり頃に性別適合手術を受けるためのカウンセリングを受けて気づいたこと。これは気づいて良かったと思ってる。実際、性別適合手術を受けてしまった後に本当は体を弄りたくなかったことに気づいて、絶望して自殺する人はかなりいるの。だからこそのカウンセリングなのよね。
心の底、それこそ深層心理のレベルで体を弄りたい人は弄ればいいし、そうでない人は弄らなければいい。外科手術までは必要ないけれどホルモン治療は受けたいというのならそれもいい(もちろん様々なリスクを承知した上で)。睾丸は摘出したいけど、ペニスはそのままがいいという人もいる。
本当に様々であり、だからこそ体をどうするかということはトランスジェンダーにとっては本質的なことではないの。
トランスジェンダーの基本的要件は、その定義は別としても、男女という性があること、自分は男女のどちらかであること、自分の本来の性はその逆であると信じていること――この3つが満たされることなんだよね。
だからトランスジェンダーの男女観は、基本的にはコンサバティブだったりする。男女同権と考えるトランスジェンダーは多いけど、それはたぶん一般人の割合とあまり変わらない。男女同権かどうかはあまり関係ない。それ以前にトランスジェンダーの人権はどうなのよ?という感覚はあるけどね。
なーんて、トランスジェンダーの代表であるかのように語ってしまったけど、もちろん私は代表なんかじゃない。異論もあるでしょうし、勉強不足が垣間見えちゃってるところもあるでしょうよ。
そう言ったことも念頭に置きながら、それでも私自身のトランスジェンダー観を表明しておかないと始まらないと思うのよ。
とにかく私の場合、自分が私が表明する意味でのトランスジェンダーだと気づくのに時間がかかってしまったということなの。今は、自分はトランスジェンダー以外の何者でもないと思っている。
それも勘違いだったという日が来ないとは断言できない。でも今そう思っている限りは、本来の性で暮らせるように誰かと調整したり、何かと闘ったり、痛みや中傷を無視したりを繰り返すしかないのよね。
さて今日のヨメリクは、鶏肉のさっぱり煮。
これも初めて作る料理なんだけど、簡単でおいしい。オススメ。
レシピはこちらを参考に、砂糖の量はかなり減らしました。
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