氷川きよしさんのおかげです
わたしがトランス女性として生きていこうと決意したのは55歳のとき、2018年です。そのときは、60歳を期に「生まれ変われる」よう準備しようと思っていました。還暦を第2の人生の始まりと考えたのです。
たまたま2020年からコロナ禍が本格化して、伴侶さんに隠しきれなくなったので、女性化の決意をカミングアウトしました。結果として3年速まったわけです。
ではなぜ55歳のときにそんな決意をしたのでしょうか。
それは、いろいろと社会環境が整ってきたおかげもあり、理由を1つに特定できないのですが、もっとも大きかったのは氷川きよしさんだったのです。
ご存知のとおり、氷川さんは2017年頃から急速に女性化の道を歩み始めました。それ以前にもゲイの噂はあり、ある男性俳優との仲を写真誌にスクープされたこともありました。しかし実はゲイというより、トランス女性だったと知ったのは、このときからでした。
歌謡界であれだけの地位を確立し、おばさまたちのアイドルになっていた氷川さんが、自分の性自認をカミングアウトして、明らかな女性ファッションで人前に登場したのです。わたしは大きなショックを受けたと同時に、大した地位もないわたしが何を躊躇しているのかと思いました。
こうして氷川さんがカミングアウトした翌年、わたしも真剣に自分の性に向き合いはじめたのです。
ちなみに氷川さんがどのぐらいすごかったかと言うと、10年程前に中野サンプラザで氷川さんのリサイタルがあった日に、たまたま中野セントラルパークを通りかかったことがあります。そのときあの広いパークが氷川さんグッズのお店でいっぱいだったのです。SL広場前でときどき古書市が開催されますが、あの数倍規模で「氷川市」が開催されていた感じでした。
ところで、わたしは毎冬、友人および伴侶さんと一緒に大洗にアンコウを食べに行きます。5年前ぐらいからでしょうか。
そのときは、大洗のかねふくめんたいパークに必ず寄ります。そこにCMタレントである氷川さんの等身大パネルがあるのですが、以前はまだ男性を装っていたころの写真で、わたしはそれを見るたびに心を痛めていたのです。
ところが2年ぐらい前から写真も変わって、中性的なものになりました。さすがに女性装姿にまではいきませんが、そのパネルを見たわたしは「Kiina、よかったね」と心の中でつぶやいたのでした。