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例のお笑い芸人のおかげで空いているのがせめてもの救いです
※トップ写真は最近の自撮り写真で内容とは関係ありません。アイロンで髪の毛を伸ばすとちょっといい感じになります(笑)。
例のブログの2日目は、「性別」について一生懸命考察しています。その後も「性別」の考察は何度かしていました。
そもそも「性別」って何なのでしょうか?
英語だと、GenderとSexの2種類ありますが、もはやこの区別さえ混乱しているように思います。
たとえばセックスは肉体的な性で、ジェンダーは文化的な性とよく言われますが、細かく見ていくと、本当にそうかと言いたくなることが時折あります。
たとえばお風呂やトイレは明らかに文化であり、それに関わる問題はジェンダーの問題のはずです。しかしセックスと分かちがたく結びついています。いやむしろセックスの問題です。
この手の問題は、深く考えるとどこかで矛盾に突き当たります。そこで「男でも女でもどちらでもよく、どちらでもなくてもいい」という極端な意見が出てきますけれど、それはさすがにちょっといいかげんという気もします。
性別について考えると、どうしてもスッキリしないのです。たとえば男と女に別れるように見えるセックスについても、性器レベルでもインターセックスの人たちがいますし、遺伝子レベルとなるともっと複雑な話になります。
そもそもトランスジェンダーも矛盾に満ちています。基本的に男女を区別して、その上で反対の性になりたいと言っているのが、私たちトランスジェンダーです。
私はそこでいつも葛藤するのです。
「主婦」として家事の大半を担当し、その上でお仕事もしている私は、「男」だと捉えると、模範的な男女平等主義者に見えます。
しかし私の性自認は「女」ですという話になると、家事は女の仕事と捉えていることになりますから、昭和のオヤジと共通する差別的な女性観を持っていることになります。
「ウーマンリブの闘士」なんて言葉はもはや死語でしょうけれど、そのような人から見たら、憎むべき女性観だと思うのです。
私の立場としてはTERF(Trans Exclusionary Radical Feminist)は憎むべき人たちではあるのですが、彼女たちの気持ちもわかる気がします。
彼女たちからすれば、特に私のような体をいじりたくないと言っているトランスジェンダーは、もはや「不気味な変態」としか捉えようがないのでしょう。その気持ちがわかる気がするのは自分でも悲しいのですが、うまく反論できません。
仮に女湯や女トイレに入ったとしても、まったく無害な私ですけれど、証明する手立てはありません。親しい女友だちは別に平気と言ってくれますが、それは彼女たちとだけで貸し切りで女風呂に入る場合で、他の女性客がいたら、彼女たちも「ごめんね」と言うでしょう。
さらにそんなことがあっても、配偶者や恋人には内緒にしてね、と言われるはずです。
無害の証明が性別適合手術なのでしょうが、それって寂しすぎる現実でもあるなあと思います。去勢した男なら出入りを許してやろうって、中国の後宮か?
とはいうものの、男女共通の個室トイレでさえ入るのを嫌がる女性が多いことを考えると(そういうことは嫌でも気づきます)、無害だからトイレぐらい使わせてよとも言いにくく、変な目で見られるのを承知の上で、外出時には多目的トイレを使うのであります。
例のお笑い芸人のおかげで、多目的トイレが空いているのがせめてもの救いです。
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