61歳の誕生日なんで日本語のロックについて語らせてくれよーw
ALOHA! みゆひょんでーす♪
お誕生日ということで昼間っからワインを飲んで、酔っ払いながら昔の日本のロックを聴きまくっていたら、ちょっとだけ語りたくなりましたのでお付き合いいただければ幸いです。すぐ終わりますので。
日本語のロックというとはっぴいえんどが嚆矢ということで、それに異論はないのです。ただ成り立ちとしては、どちらかというと消極的な理由でした。
ロックを日本語でやるかどうかというのは、ロックのリズムに日本語が乗るかどうかという話と思われがちですが、実はマーケティングの話だったんです。
当時の日本人バンドはロックをやるからにはグローバルに売りたいと思っていたんですね。だったら英語でやるというのが常識的だったわけです。
それに対して松本隆が、そもそも日本で売れないのに海外もくそもあるかと日本語の歌詞にこだわって、それに細野晴臣と大滝詠一という天才二人が応えた結果がはっぴえんどの楽曲だっただけなんです。
ただそれを見て、矢沢永吉や加藤和彦といった、これまた天才たちが、「何だ、日本語でロックってやれるじゃん」ということで、キャロルやミカバンドが生まれたということなんだと思うんですよね(まあ『成りあがり』を読むと、矢沢は横浜のディスコで演奏していたころから「ルイジアンナ」とかを歌っていたらしいですけど)。
ちなみに聞いたらビックリする人も多いと思うのですが、キャロルとミカバンドってミカバンドの結成時に共同で全国ツアーをしていたりします。
わたしは日本語のロックを本当に確立したのは、キャロルとミカバンドだと思います。というのははっぴいえんどは歌詞に曲を乗せたので、ロックといっても何か日本的なんですけど、キャロルとミカバンドは曲に詞を乗せたので洋楽っぽいんです。
ですが、わたしがこれらとは異次元のレベルで日本語のロックを創造したのは、サザンオールスターズだと思います。「勝手にシンドバッド」の1つの音符に載せた文字数は衝撃的でした。これがロックのリズムに日本語を乗せるってことなんだなあと、当時中学生でしたけど、思い知ったのでした。
最後までよんでくださいまして、ありがとうございました。