第2回 え?まさか??そんなので業務システムを???
ALOHA! みゆひょんでーす♪
「若造」にいろいろ言われちゃったのでしたが、気を取り直して引っ越し準備を始めました。実は独立後最初のお仕事は、大阪への単身赴任だったのです。
なかなか寂しいお引っ越しでした
諸事情あって子どもを作らなかったこともあって、わたしって人生の大事な節目のことを伴侶さんに相談なく決めてしまう傾向があります。
転職のときも、もちろん転職するよとは言いましたけれど、ほとんど相談せずに決めたのでした。
転職後1年足らずで独立を決めたときもそうでした。
怒っていたかはわからないのですけれども、心穏やかでなかったとは思います。まあ怒るというよりあきれていたのだと思います。
ただ伴侶さんも似たようなところがあって、職場結婚だったのですが、わたしより早く会社を辞めて、大学院に入って心理学を勉強したりしていました。
相談はされたと思うのですが、すでに決めていた感じで、反対の余地はなかったと思います。
そういう意味では似たもの夫婦なのでしょう。先日結婚記念日をお祝いしましたが、気づいたら31回目。ときどき激しい喧嘩もありますが、仲良しといっていいと思います。
まあそんな経緯でしたので、単身赴任のために引っ越しをしたのですが、お見送りもありませんでした。
引っ越しといっても、宅急便で布団を送った程度。調理器具や食器などは引っ越し先で買いました。
それに単身赴任といっても、会社員ではないので、毎週金曜日に自宅に帰ってよいという契約にしてもらいました。
なので伴侶さんから見たら、単身赴任というよりは毎週出張というイメージだったのかもしれません。
あ。でも、そうか。
当時、柴犬を飼っていたんですね。毎朝交替で散歩に行っていたのですが、平日は伴侶さんに行ってもらうことになったのでした。だからやっぱりちょっと怒っていたと思います。
2007年問題
ところで2007年問題というのを憶えているでしょうか?
団塊世代(正確には「団塊の世代」)と呼ばれる人たちがいたんですよ。まだ大半は生きておられると思うのですが、戦後すぐの1947年~1949年にベビーブームというのがありまして、そのときに生まれた方々です。
この3年間に806万人の赤ちゃんが生まれたんです。2023年の出生数が73万人だそうですから、その10倍以上の人数がわずか3年で生まれたわけです。
戦後の日本の経済成長を支えた大規模集団というわけです。
今は少子高齢化ということで、定年が65歳まで延長されている会社がほとんどと思いますが、2007年当時は60歳が標準的でした。ということは、団塊世代は2007年から定年退職を迎えるというわけでして、要するに大量の退職者が出ることになります。
そんなこと、ずっと前からわかっていたと思うのですが、5、6年前ぐらいからそりゃあたいへんだということになり、団塊世代の大量退職に大慌てで備える会社だらけになったのです。
まあ、その前には2000年問題(ググってください)というのがありまして、それでてんてこ舞いだったというのもあったのですけれど。
結局、備えきれなかったのでとりあえず定年延長だ!ということで、65歳定年の会社が増えたのでした。ちゃんちゃん。
実は、わたしのコンサルタントとしての最初のお仕事は2007年問題がらみだったのです。
ん?話がちがわねえ?
わたしのコンサル先は、仮の社名をつけるのも面倒なのでA社としておきます。特定されないよう業種等は省きます。
A社の業務システムがIBMの大型コンピューター上で動いていたのですね。そのシステムを作ってきた人たちが、まさに団塊世代だったのです。
その人たちが退職してしまうと、システムの保守ができなくなってしまうので、いっそオープン化してしまおうということになったのです。そのついでに若いITエンジニアも数名雇ったのですよ。それがわたしが入る2年前ぐらいのことです。
ただ業務システムを全部入れ替えるわけですから、内部の人間だけでは足りません。大手SI企業のZ社にシステム開発を発注したのでした。
ところがA社のシステムなんですが、何十年もかけて内部の人間だけ(派遣社員もいましたが、ほとんど内部といっていいひとでした)で作ってきたんですね。なので、そんな大規模なシステム開発の発注なんか経験がなかったのです。
それで「検収テストとかのやり方がわからないので、そこを手伝ってくれないか」というのが依頼内容だったのですね。契約も半年ということでお引き受けしたお仕事だったのです。
今考えたら、半年先からはどうしようと思っていたんだろう??? まったく行き当たりばったりです。
ところが行ってみたら、話がぜんぜん違うんです。
検収テストのお手伝いということで来てみたら、テストどころか、まだ基本設計書の承認もできていないというのです。
え? 基本設計って1年半前に終わってたんじゃないの? なんか話がちがわねえ?
さらにいろいろと細かくない問題が
プロジェクトマネージャーは阿部さん(仮名、以下すべて仮名)という方で、これが本当にいい人なんですね。苦労人で世話好き。本当にお世話になりました。今でもご恩は忘れません。
行くなりシステム部の全体会議があり、阿部さんがわたしを紹介してくれて、わたしからもごあいさつしました。
初日はほとんどあいさつ回りという感じで、主な部員の方とお話をしたぐらいだったと思います。
そのときに古参社員から聞いた話で、まずびっくりしたのでした。
「旧システムですが、全部自前で作ったと聞いています。COBOLですよね?」とわたし。ところが・・・
「いや。それがアセンブラなんですよ」
これにはたまげました。
COBOLは事務処理のプログラムを書くのに特化した言語です。歴史はとても古く1959年からあります。いっぽうアセンブラというのは、機械語を人間にも読めるようにしただけという、原始的な言語です。コンピューターの動きを理解していないとアセンブラでプログラムを書くことはできません。
わたし自身は大型コンピューターの通信系の基本ソフトを作っていたので、アセンブラは読み書きできるのですが、そもそも業務システムをアセンブラで書くなんて話は聞いたことがありませんでした。
この時点で泥沼の予感がしたのでした。
さらに1週間も経たずにわかったことは・・・
・古参社員と中途採用の若いエンジニアとの仲が悪い
・発注先もあまり大型案件に慣れていない
・基本設計が承認されていないのに作るだけ作ってしまったので、「お金を払う、払わない」の大もめ状態になっていた
正直、とんでもないところに来てしまったなと思ったのでした。