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ジェンダー・フルイドという言葉に逃げたかったんですね
※トップ写真は内容とは一切関係ありません。髪を乾かさないまま寝てしまったら、歌舞伎な髪型になってしまい、せっかくなので頭を振り回していたら、目も回ってしまったという写真です。
2018年2月16日。フルタイムで女性装など無理と思っていた頃、私ははてなブログに、「揺らぐ性を生きる~私はジェンダー・フルイド」というタイトルのブログを立ち上げました。
自分の女装が「趣味」として始まったのは間違いありません。小学校6年生のときに、父が社内ゴルフコンペのブービー賞でもらってきたちょっとセクシーなパンティーを身につけたのが始まりでした。
ただ女性になりたいという気持ちはずっと抱えていたのです。単に女装していたら楽しいというわけではありませんでした。
賢者モードというのがあるじゃないですか。私も最初の頃はありました。罪悪感もありましたし、それ以上にバレてはいけない気持ちが強かったら、コトを終えたらサッサと片付けないといけないわけです。
ところが大人になって、別にコトを終えてもそのままで良くなったら、なくなっちゃったんです。しばらく余韻に浸ってから、おもむろに片付けるみたいな、そんな感じに変わりました。
なので、単なる女装趣味とは違うような気がずっとしていました。
一方、じゃあ性別違和(性同一障害は差別語と私は思っています)かどうかと問われるとまた違うなあと。
知り合いに性別違和の人がいましたが、彼女(男性ですが)は、自分で自分の睾丸を切り落とそうとしたそうです。そこまでの思いは私にはありませんでした。
2018年頃の私は、新宿などにある女装バーではなく、一般のお店で女装して飲むようになっていました。最初、着替えはお店でさせてもらっていたのです。
私はだんだんお店で着替えるのが面倒になり、自宅で着替えてから出かけるようになりました。ご近所と銀座にそういうお店が1軒ずつあり、ご近所は伴侶さんの帰宅前に、銀座のほうは伴侶さんが寝た頃を見計らって、帰宅していたのです。
しかしそれも面倒になったのと、伴侶さんも薄々気づいていた感じなので、そういうことをしていることを打ち明けたんです。
ちなみに私が女装することは、結婚前にカミングアウトしていました。ただ一時期のめり込みすぎた結果、伴侶さんの前では女装しないことを誓わされていたのでした。
そしたら、伴侶さんの前で女装しないという条件は変わらず、でも家で着替えて出かけてもいいよということになったのです。
それで私は自分のアイデンティティについてまた考えるようになったんですね。そんなときに出会った言葉が「ジェンダー・フルイド」だったのです。
オックスフォード英語辞典によれば、
明確にまたは全面的に男性でも女性でもない;男女両性の
単一の固定的な性自認を持たない人を指し示す語;流動性のある、もしくは固定されていない性自認を持っているか、そのように表現している人の/と関連のある
というのが、ジェンダー・フルイドの定義なんだそうです。Xジェンダーとどう違うのという感じですが、「流動性」がキーワードで、無性別ではなく、男女の間を揺れ動くのが特徴なのです。
当時の私は、この概念に飛びついたのですが、今思えば、どうせフルタイムで女性装などできないという思い込みがあったので、この概念に逃げたかっただけなのでしょう。
飛びついた割には一抹の違和感があったわけで、はてなブログに毎日書きながら、自分をよく見つめ直して、本当の自分を探ろうと無意識に思っていたのでした。
1年後、私はトランスジェンダーだと自分を定義し直しました。どういう経緯でそうなって行ったのかを、しばらく当時のブログから探っていきたいと思います。
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