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やりたいことがない?大丈夫!「やれること」がある

「将来何になりたいですか?」

この質問は人生の中で誰もが必ず遭遇するパワーワードである。
「医者になりたいです」
「電車の運転手になりたい!」
明確な「夢」を持っている人たちにとっては「よくぞきいてくれました」的な質問かもしれない。しかし、

「やりたいことがわかならい」
「なりたいものがない」
人たちにとっては、後々の人生に影を落とす陰のエネルギーをまとった質問となる。

かく言う私は後者の人間。
約40年の人生、「やりたいこと」「なりたいもの」など全くない。
そして転職先で人事部に配属になり、新卒・中途の採用に関わるようになってから「将来何になりたいですか?」は、後々「やりたいこと・なりたいもの」ジプシーを作り出す魔の呪文であることに気がついた。

結論から書くと「やりたいこと」「なりたいもの」などなくても全く問題はなく、豊かに幸せに生きていける。
なぜそういう結論に達したのか、「やりたいこと・なりたいもの」がない人たちはどのように考えていけばよいのかシェアしたい。

     *************

「将来何になりたいですか?」
幼少の頃より、親、親族、幼稚園の先生といった人たちから必ずきかれたのではないだろうか。
「戦隊ヒーローになりたい!」
「イチロー選手になりたい!」
笑ましい回答をしても周りの大人たちは笑顔でニコニコと受け止めてくれる。
しかし、小学校に入学したあたりから様子が変わってくる。「戦隊ヒーローになりたい」などと答えようものなら「あんな架空のテレビばっかりみるんじゃないの!勉強しなさい」「公務員がいいから。ちゃんとした職に就くのがいいから」と、今までとは一変して周りの大人たちの「否定」が入ってくる。このあたりから「将来何になりたいですか?」が負のエネルギーを帯びで私たちにプレッシャーをかけてくる。

私の場合、高校から大学に進学する時、この呪いが発動した。
中学生のころは「○○高校に進学したい」という明確な目標があり、それに向けて一直線。しかし、高校に入学してからすぐ「どこの大学の何学部に進学したいか3つ書きなさい」という手紙をもらった。
自分の中に「やりたいこと」「なりたいもの」が全くなかった。ないので、学部など選べない。
私は図書館に行き、職業辞典なるものを熟読し自分なりに研究した。しかしどれもピンときたものはなく、一向に「やりたいこと・なりたいもの」など見つからなかった。
周りの友達は「将来○○になりたいからこの大学かな」「英語をもっと勉強したいからこの大学にいきたい」とそれなりの希望を持っている。
将来の夢や進路がない私は劣っている・・・
私は私自身にひどく罪悪感と劣等感を感じた。

とりあえず大学は「教育学部小学校教員養成課程」に進んだ。
学校の先生になりたい気持ちは全くなかった。
特に子どもが好きだったわけではない。
とりあえず教職免許がもらえること、教育学部は司書などの資格が取れることで進学先を決めた。

大学に進学すると愕然とした。
当たり前といえば当たり前だが、周囲は「素晴らしい先生になりたい」という熱意を持った学生ばかり。先生になりたい気持ちが微塵もない私の居場所はないような気がした。
しかし、周囲の友達は勉強熱心で人柄もよく、私はすぐに打ち解けることができた。サークルにも入った。こちらも気さくで真面目で気持ちのよい学生ばかりでとても楽しかった。
3年生になって研究室に所属した。「当たり」だった。穏やかで優しく教育熱心な教授、優しい先輩。予想外の楽しい大学生活だった。

バイトにも挑戦した。
初めてのバイトはコンビニ店員。その後引っ越したのでコンビニはやめ、単発バイトを始めた。有名菓子店の季節の商品の売り子に応募した。バレンタインやクリスマスの時期になるとデパートの特設コーナーに各店舗が売り場を設ける。私は焼き菓子で有名なメーカーのバイトに応募し、特設コーナーでそのメーカーの菓子を売った。コンビニ店員の経験があったので、接客やレジ打ちはすぐに覚えた。私はすべての商品を売り切った。店長に褒められた。その後、特設コーナーが設けられるたびに招集された。時給も上げてもらえたので、このバイトだけで旅行やサークル費、飲食費をまかなえるようになった。
このバイトを通して、身知らずのお客様に声をかけること、無視されることに何の抵抗もないことがわかった。自分は接客と物売りができる!と自信を持った。

大学も卒業を迎える。
当然ながら「やりたいこと」「なりたいもの」などない。
周りの友達は正教員を目指すべく「教員採用試験」突破の猛勉強。
私は周りから浮くのも嫌だったし、先生や親に心配をかけたくなかったので「教員採用試験」の勉強を始めた。競争率も高いしどうせ落ちるだろう、と軽く考えていた。「試験に落ちてしまったので就職浪人します」という解答を心に用意していた。

教員採用試験に合格してしまった。

競争率が高く、倍率的に5人に1人しか合格しなかったが奇跡的に合格してしまった。猛勉強をしていた友達はほとんど不合格。
周囲は喜んだ。先生がものすごく喜んでくださった。研究室の4年生で私だけが合格だった。

私は焦った。
「先生になりたくない!」
心の声が私の中に鳴り響いた。

私は大学院に進学することにした。
周囲には「もっと教育学の研究がしたい」と説明した。
本当は教員になりたくないだけだった。

      ********

大学院1年の時、教授の紹介で通信制高校の時間講師をした。
家庭の事情などで高校卒業後就職する生徒がほとんどだった。

「先生、高校卒業したら何やっていいかわからない」

という相談を受けた。
私の中に雷が落ちた!わたしと同じじゃないか!
けれども私とは違い、この生徒はもう働かなければならない。私のようにダラダラと就職を伸ばしている余裕はない!
私は回答に窮した。

「どんな人生を歩んでいきたいの?」
私は、大学の講義で教授が話してくれたことをそのまま伝えた。
サイテーだと思った。

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その後、私はテレビ局に入社したり、舞台芸術の企画をやったり、人事で採用や人材開発をやったりと経験をつんだ。
何をやってもそれなりに評価され、社内で賞もいただいた。
そこそこ出世もした。
仕事もそこそこ楽しかった。

これだけ経験を積んだか、特にまだやりたいことは見つからない。

だが、自分がやれる分野は把握できた。
そして、社会人人生を振り返る中で「やりたくない」と思うことは絶対にやらなかった。
やれること、得意なこと、自分に精神的負担がかからない道のみを選んで進んできた。

私の社会人人生は、外から見ると「すばらしい」そう。
いろいろとチャレンジして、とか上手に会社を渡り歩いて、とか評価が高い。しかし、等の本人は、やりたいことがないことに焦りと罪悪感を感じている。いわゆる「器用貧乏」の自分に苛立ちさえも感じる。
一つの道を究めている人をみると羨ましく感じる。

そして最近になり、一つの結論に達した。
「やりたいこと」ではなく「やれること」で社会に貢献すればよいのではな
いか。そもそも一つに絞る必要はないのではないか。

もし高校講師時代に戻れるのであれば、あの時の生徒にこう声掛けをしたい。

「やりたいことがなくても大丈夫。わたしもそんなものはない。それよりも自分ができること、できそうなことは何か考えてほしい。自分ができることで稼いできちんと税金を納めれば結果は同じだ。
人をだましたり非人道的な道は「できること、できそうなこと」ではない。それは自滅と人格の崩壊の道だ。「え?」と一瞬でも違和感を感じる道は進んではいけない。
そして、やりたいことがみつからない自分を決して責めないでほしい。「やりたいこと」がなくても「やれそうなこと」がある時点で同等だ。
「やりたいことがない」と考えている時点で、君はすばらしい人間だ。
ちゃんと社会に出て働かなければならない、自立しないといけないと思って将来について向き合って考えている。私は君のことを誇りに思う。
さあ、私と一緒に何が好きで何が嫌いか、何ができるか何が苦手かを洗い出していこう!」

私自身の人生の後半の目標は「できることで社会貢献」だ。
神様から与えられた自分の「できること」を存分に発揮し、社会に還元できるように頑張っていきたいと考えている。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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