365日写真を撮るということ
2022年1月1日。
1年前のこの日、ほんの軽い気持ちで立てた“目標”がある。
「毎日GRで写真を撮って、1日1枚、その日に撮った写真をTwitterにあげる」
そのシンプルなルールに、一体どれほど苦悩させられたのだろう。
昔から、地道にコツコツと物事を続けることが苦手だった。
進研ゼミは本を開いた形跡もないし、夏休みの一行日記は8月21日くらいにプリントを探すところから始まるタイプ。そもそも、進研ゼミって本だったのかな。それすら覚えていない。
そんな私が、よりによって「毎日〜〜をする」という目標を掲げてしまったのだから、今考えてもどうかしていたのではと思わざるを得ない。
「一体どれほど苦悩させられたのだろう」と書いたが、これは心からの言葉である。
一方で、その苦悩と引き換えに、この365日で得たものが確実にあったと感じている。
それらを暑苦しく語っても仕方が無いので、まずは、この#gr365で記録した写真の一部を振り返ってみる。
noteは初めて使うのだけど(当然、こういう風に地道に書くのは苦手事)写真を365枚貼るのは多分無理だと思うので、一部、で。
365枚ある写真からほんの一部を振り返ってみた。
ここまで書き終えてわかったけれど、撮ったときの感情やその日の出来事というのを、自分でも意外なほどに覚えているものである。ここでは取り上げなかった写真も同じように覚えている。
人は、なんでも「思い出せないだけ」であって「忘れること」はないと聞いたことがあるが、もしかするとこういうことなのかもしれないな、と思った。
最初にこのnoteを書こうと思ったとき、毎日写真を撮ることで得られたことを、覚え書きの意味も込めて書いてみようかと思っていた。
ただ、いざ書こうとするとなかなか取り留めもないというか、言葉にすると野暮ったい感じがしてしまうし、第一、この年の瀬にわざわざ読みに来てくださっている方には、たいそうつまらない話になりそうなのでそれはやめることにした。
なので細かいことは書かないけれど、365日写真を撮ること、を終えた私は、365日前の私がまだ知らない気づきや感情、写真との向き合い方を抱いていることは間違いなさそうである。
結論を言うと、やってよかった。やり通せて、よかった。
まわりまわって、こんなシンプルな感想になっちゃった。でもほんとによかったんだ。
初めて書いたnote
拙くて長い文章をここまで読んでくださってありがとうございました。
今年ももうあと何時間。
皆様どうぞ良いお年をお迎えください。