芸術的処女喪失
isamu noguchi
接吻
わたしが初めて日本で深い芸術体験をした、
《ISAMU NOGUCHI RETROSPECTIVE》
多分わたしはあの時、
イサム・ノグチのエネルギーに
抱かれてたんだと思う。
作品ひとつひとつを観るという行為を早々にやめて、ただ配置されている作品全てから放たれる、あたたかくて優しくて大きなうねりのようなものに包まれてた。
あんな体験は初めてだった。
「分かったいうことは、それによってあなたが変わった、ということなのです」
と塾の名物先生が言っていたけれど、それはこういうことなのか、というほど、以降の私の審美眼が一気に花開いたような体験だった。
処女喪失。たぶん。
惹きつけられてずっと見ていた、小さな作品。
カッラーラの大理石だったはず。あ、アラバスターだったかな。
調べればこの作品を使った時に恋仲だった女性は、未亡人の日本女性だったとか。
彼はきっと天然の名ホストだったのだろうし、太宰治風に言えば彼と関わった女性は皆、くわっと参ってしまって、性的金銭的社会的な奉仕の中で彼からの好意というギフトを求めていたのではないかしらと、そんなふうに思う。