くぼさとしくん。今日ワンコの散歩中に、ふとあなたのことを思い出しました。 くぼくんの言葉は多分、人生で初めての大きな衝撃だったなと、 雷落ちるって感覚はまさにあれだったなと、優しくてあったかくて品があって。 くぼくんが居てくれて嬉しかった。 今この瞬間静かに体を巡っているこの思い出は多分、堕天使ってやつが、「これです。これのために天使やめて人間になりました。」と感慨に耽るほどの、それは小さな幸福ではあるけれど、ささやかな煌めきではあるけれど、恐らくは極めて甘やかな生体エ
公開した投稿が、3行くらいしか書いていない下書きに変わってしまっていた。 悲しい。。 noteあるあるなのでしょうか、それともこんなミスをする人は珍しいんだろうか。 iPhoneで書いていた下書きの残りをPCで書いて公開し、2日ぶりくらいにiPhoneのnoteアプリを立ち上げて、該当の記事の下書きを見たのかなんなのか、気づいたらその、生まれたての思いだけがメモされたような下書きに変わってしまってた。 家事育児仕事の合間に書いているので、炊事中に思いついたらiPhon
知り合いの5歳の女の子が、一時期お母さんとお風呂に入らなくなってしまって、とはいえ小さい子だから1人で身体や頭をきれいに洗うのは難しく、お母さんは困ったらしい。そこで理由を尋ねたならば、腹の下の方を指差して、 「黒い毛が怖い」 と言ったそうだ。 その子の気持ち、分かる気がする。わたしも小さな頃、母の陰部の黒い毛が怖かった。怖かったというよりも、少し気味が悪かったのかもしれない。 毛の向こう側に、なにか不気味な吸引力があるように感じて、あまり見ないようにしていたことを覚
幼稚園に通う娘がお店やさんごっこをしたいというので、お客さん役になったらば、 「お待たせしましたー。虫のポップコーンに虫の液体ジュースでーす」 と言われて度肝抜かれた。まさかの虫。未だに頭昭和な私は、ホットケーキやらハンバーグやらスパゲティやらの横文字洋食が出てくるもんだと高を括っていたから、あまりに新鮮で感動した。 「すごい!虫なんだね!ポップコーンは何味なの?」 と聞いたら、「塩だよ」と。 シンプルイズベスト。そういえば彼女おにぎりも塩むすびが一番好きだ。恐ろし
2018年、崎山蒼志君の登場は、私にとって大事件だった。 日村さんの番組に出てきた彼の『五月雨』はあまりにも衝撃的で、夫や友達に見てくれ見てくれとLINEにリンクを貼りまくり、Youtubeを漁って『ソフト』、『heaven』、『眠りにつく前に』、『塔と海』、『アンデレーション』、『潜水』、『North』、『熱帯夜』、『国』などを聴き込んだ。特に『国』なんてもう、モノクロームの粗い画像の向こうに映し出される崎山君とメロディと歌詞に打たれすぎて、何度も聴きすぎたから、ファース
自粛期間中に変化した意識の中で、これからの仕事術について思ったことがあるので、備忘録としてnoteに残しておこうと思います。 頭の中をざっくりと3つの流れで言語化してみました。今後の自分の人生に関わってくることなので、もっとブラッシュアップさせたいなと思っています。思わず長文になってしまったのですが、個人的にワクワクしているのは③なので、③だけでもお目通しいただけると嬉しいです。どうぞどうぞ宜しくお願いいたします。 ①マニュアルが消えていく 失速するマニュアル コロナ
カッコいいことこの上ないトム・ウェイツだけれど、私はさようならと言いながら、本日CDの全てを破棄した。 全部昔々の、なんというか、私は大好きで片思いだったけれど、それを言えずに(相手に彼女がいたから)セフレのまま終わった記憶しかない過去の人からもらったもので、彼は会うたびに、おきまりの儀式のようにトムウェイツのCDをくれた。5枚ぐらい一気にくれた時は「あ、これでもう終わりにしたいのかな」と思ったけれど、なんてことはない、その後も普通に関係は続き、これ付き合ってるのとどう違う
タイトルが“もう恋なんてしないなんて” の色を纏ってしまったけれど、 最近、「どうにもならないことなんて、ひとつもないのだな」と実感するできごとがいくつか起きて、しかもその度に時計の数字がゾロ目だったりするので、 ああ、もう本当に、「どうにもならない」という思考そのものが完全に全く要らないエネルギーなのだな、と教えられている。 昨日なども、いよいよ手持ちのマスクがなくなり、買いに行ってもどの店舗も売り切れているので「自作するか」と手芸店にマスク用のゴムを買いに行っ
「モノづくりに携わるアーティスト同士のモラルが、あまりに欠けてることに呆れ、憤ってるんです。要するにプライドの問題です。」 現代美術家横尾忠則さんが怒っておられるらしい。 横尾さんが出したアイディアを山田洋次監督がなんのエクスキューズもなく、礼儀に欠いたやり方で用いたということに憤りを感じておられるらしく、いったいどうしたのだろうと内容を読んで、昨日の夜もう一度読み返してみたのだけど、なにか釈然としないまま朝を迎えた。 なぜこんなにモヤモヤが続くのだろう。 犬散歩中に
とても久しぶりに会った知人が、前と変わらずスタイルが良くて、髪の毛サラサラで色っぽかった。スタイル維持の秘訣を聞いたら「まつじゅんよ」と言われた。 「え、そうなんですか?」 「バーとかで会っちゃうかもしれないじゃん。もしもすれ違ったりした時いい匂いの髪でいたいじゃん。なにがあってもいいように整えておくの。」 そうなんですねぇ。すごい!と言ってみたけれど、「そういうのないの?」と聞かれて、私‥絶対ないわ‥。と思った。 下世話な言い方をすれば 実際に出会ったことのない でも
まあまあ大きめの犬を飼っているのだけど、彼との散歩は私のたからもので、風邪を引いたり仕事の納期が迫ってたり、すごいお腹が減ってるのにご飯作る元気ない時以外、つまり私の心や体に余裕がない時以外は、日々の散歩が待ち遠しいほどの時間になっている。 眠る。食べる。排泄する。遊ぶ。その4つに集約された、憂愁とはおよそ無縁な生活を送る彼を見ていると、愛おしさを通り越して、生きているシンプリシティそのものに敬服せずにいられない。 そして、ほぼ無言の対話を重ね続けながら6年半が経った今、
美容系インスタグラマーさんが、IGTVでTHREEのマスカラを勧めていて、「すごく大人っぽく仕上がります」と言った後に、やや間があって、 「大人っぽいって‥なんだろ‥‥えっと、繊細で‥‥うん。繊細で上品な仕上がりになります。」 と言い直していたのだけど、その考えながら言葉を紡いでいく姿がとても印象深くて、心に残った。 私は会話の中で言葉を探して立ち止まりながら、丁寧に伝えようとする女の人の姿がとても好きだ。自分の中の感覚の端っこを捕まえて、言葉と繋げようとする、その、し
部屋の整理をする2020の始まり。 奥の方に閉まってあったダンボールを開けたら、日記帳、クロッキー帳、感動した心が今もビビッドに思い出されるダグエイケン『new ocean』展のリーフレット、高すぎてなかなか買えないけど大好きなarts&scienceのショッパーや包み紙やレシート、友人の舞台のチケットなど、デザインや物にまつわる思い出に愛着があって捨てられなかったものたちが出てくる出てくる、 そんな私の地層が積み重なる中に、手のひらサイズのイタリア製の手帳があった。
宇宙船に連れて行かれるんだけど、宇宙人があんまり友好的じゃなくて悲しかった、とか、古田新太が学校を案内してくれるんだけど、崖があって向こう岸に渡れなくて「ここから先は一人で行け」といきなり突き放してくる夢とか、幸せな夢をあまり見ない私にとって、今年の初夢はありがとう百万遍だった。 二人の精霊というのが出てきて、 “1人でやってると思い込んでることは、実は同じ瞬間にいくつもの存在が寄り添って、一緒にやってくれているのだ” ということを、可視化して、私にもわかるように実際に
本が好き、 本が入ってるバッグを持ってる私が好き、 本を読んでる男の人の横顔が好き。 “本を読むこと”に含まれる私の感情を見つめたならば、読書の真髄からどんどん離れていくことに気づいて、じんわりと自分が嫌いになる。 モテるために日焼けしてる男と変わらない。 その自覚はあるのに、「本を読む私が好き」のバカバカしい呪いから逃れられずに、私はいつも本を持ち歩くのだし、 「本を読んでる男の人が好き」だなんて、騙されやすいタイプ丸出しの呪いからも逃れられずに、SNSで自
isamu noguchi 接吻 わたしが初めて日本で深い芸術体験をした、 《ISAMU NOGUCHI RETROSPECTIVE》 多分わたしはあの時、 イサム・ノグチのエネルギーに 抱かれてたんだと思う。 作品ひとつひとつを観るという行為を早々にやめて、ただ配置されている作品全てから放たれる、あたたかくて優しくて大きなうねりのようなものに包まれてた。 あんな体験は初めてだった。 「分かったいうことは、それによってあなたが変わった、とい