ほんとに小さな恋のメロディ
くぼさとしくん。今日ワンコの散歩中に、ふとあなたのことを思い出しました。
くぼくんの言葉は多分、人生で初めての大きな衝撃だったなと、
雷落ちるって感覚はまさにあれだったなと、優しくてあったかくて品があって。
くぼくんが居てくれて嬉しかった。
今この瞬間静かに体を巡っているこの思い出は多分、堕天使ってやつが、「これです。これのために天使やめて人間になりました。」と感慨に耽るほどの、それは小さな幸福ではあるけれど、ささやかな煌めきではあるけれど、恐らくは極めて甘やかな生体エネルギーの交流であったろう、
やはり生身の関わりは強力。
故にあなたと私の間の神経細胞は、パチパチと活発に心地の良い情報交換をしていたに違いないと思う、そんな出会いだったと懐かしく思っています。
*
くぼくんとの出逢いは保育園だったのだけど、私は園ではいつも1人で過ごしていて、1人が好きというわけではないけれど、かといって、みんなで一緒に遊びたいと思うことはなく、だから「友達になりたいけど恥ずかしくて声がかけられない」みたいな願望と戸惑いの狭間で揺れることもなかった。
というのも、あの頃の私は、砂場やブランコで遊んでいる子たちが自分と違う生物だと思ってたのだ。あほみたいだけど本当の話で、自分もみんなと同じ、人間なんだっていう大前提が分かってないまま生きてた。花や草のほうが近しい存在で、いつも大きな花壇の中に入り込んで花を触っていた記憶がある。
そんな私が6歳の頃(だから年長さんの頃か)、ちょっとしたできごとがあって、多分それは、家族以外の他人に対して、初めて大きく心動いた瞬間だった。
くぼさとしくん。
私が自分を「人間だ」と自覚するより先に(自覚したのは小学校2年生)、恋みたいな淡い感情を味わわせてくれた、思い出の人。
彼が放った一言があまりの衝撃で、一字一句完全に覚えてる。
その日私は、朝から保育園に行くのがとても楽しみだった。バスに乗って、みんなで人形劇を見に行くというイベントがあったので、そしてそれは初めての経験だったので、珍しく園に対して能動的になっていた。
家にテレビがなかったので、絵本を読むか絵を描くか、ラジオを聴くかの生活だった私は、先生が言う、「赤ずきんやおおかみが人形になって舞台に出てきますよ!」という説明に現実的についていけず、一体なにが起きてしまうのか、絵本が人形になって動くってどうなっちゃうんだろう、と心躍っていた。
バスで到着した大きな会場には、赤いビロードの椅子がたくさん並んでいて、そのふかふかの椅子に座るのも嬉しかったけれど、ぼんやりと明るく照らされた舞台にふりかけられた魔法の粉みたいなものに神聖な思いを持ったまま、劇が始まるのを待っていた気がする。
くぼくんは私の隣の席に座っていた。
そしてずっと私に話しかけてた。誰か男の子が喋ってることはわかってた。私にいろいろ質問しているのも。でもそれしかわかってなくて、私の意識のほとんどは舞台に向けられていたし、始まるその瞬間を、奇跡が起きるようなその瞬間を見逃したくなかった。だからなんならうるさかったし、私に声をかけないでほしいとすら思って、ずっと無視してた。そしたらくぼくんがある瞬間、なにかを諦めたみたいに、スッと大きなものを手放したような口調で、
「残念だな。ぼく、君のこと大好きだったのに。」
って言ったんです。
忘れもしないこのセリフ。
前の座席の背中を鷲掴みにして前のめりになって舞台を見つめていた私は、まん丸に大きく目を見開いて、彼の方に体を向け直したことを覚えている。
この男の子今、大好きって言った、大好きって言った、大好きって言った、大好きって‥大好‥‥
リフレインが止まらなかった。
それまで雑音としてしか入ってこなかった彼の声や言葉だったのに、なぜこのフレーズだけきっちり明確にイントネーションまで覚えているのか、それが不思議だけれど、多分言葉にのって私に伝わってきた切ないような悲しいような、でもあったかいフィーリングをキャッチしたからなんだと思う。
くぼくんはうなだれていて、全身で残念を表現していた。悪いことをした、と思った。ずっと話しかけてくれたのにごめんねと思った。大好きって言ってくれたのに。でも私は彼に「ごめんね」って言わなかったと思う。多分だけどその後すぐに人形劇が始まって、私は最後の最後まで集中して見て、帰りのバスの中では、さっきまで目にしていた人形たちの異世界のような形や動き、それらがオレンジ色の照明にあたって幸せそうだったことにすっかり魅入られて、それ以外のことは忘れてしまっていたような記憶だけが残っている。
くぼくんはそのあとも何度か私のそばに来て一緒に遊んでくれたり、花を摘んでくれたりしたけれど、なにせ私が地球や人間に対して強烈なアウェイ感を持ってたから、ニコニコしたりはしただろうけれど、多分会話らしい会話はしなかった気がする。でもとにかく優しくて品が良くて、私はくぼくんがそばに来てくれるととても安心した記憶がある。
その後別々の小学校に上がり、たまにたまに地下鉄の駅で見かけるくらいだったけれど、多分くぼくんも私のことが分かってて、でも言葉も交わさず、ほんの少し目が合うくらいだった。
くぼくん元気かな。元気ですか?
幸せに暮らしてくれてたらいいなと思ってます。
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