私の地層
部屋の整理をする2020の始まり。
奥の方に閉まってあったダンボールを開けたら、日記帳、クロッキー帳、感動した心が今もビビッドに思い出されるダグエイケン『new ocean』展のリーフレット、高すぎてなかなか買えないけど大好きなarts&scienceのショッパーや包み紙やレシート、友人の舞台のチケットなど、デザインや物にまつわる思い出に愛着があって捨てられなかったものたちが出てくる出てくる、
そんな私の地層が積み重なる中に、手のひらサイズのイタリア製の手帳があった。
開いてみたら、Ave Mariaの歌詞がラテン語で書かれてあって、
そうだ。
私いっとき、毎日、毎晩、Ave Mariaを歌っていたんだった。
事務職をしていた時、電話を受けて応答している最中も、上司に渡されたデータを資料にしている時も、トイレに行く時も、近くの公園で一人で昼休憩していた時も、ずっと頭の中をAve Mariaがめぐるから、脳内の歌声に一番近い歌声を探して、SLAVAの『Ave Maria』を買って、ひたすらラテン語版を歌ってたんだった。
あの頃の私は心が完全にひとりぼっちだった。
誰かと一緒にいても孤独だった。
それはひとえに、どえらい失恋をしたからだ。
肉体的に完全に好きだった人。
声と手が完璧だった。
ほとんど喋らないのにワンフレーズで爆笑をもたらすワードセンスと、上手いのにひけらかさないギターテクニックと、それら全部まとめて建築家です、っていう肩書きをぶら下げて、いつもいつでも性欲が止まらないところも大好きだった。
けれど、いろいろあって、最後は振られた。
あの頃私と知り合った人たちは、なんという性格の悪い女だ、と思ったと思う。手痛い失恋のせいで、太陽とか笑顔とか美味しい食事とか、幸せそうなもの全部ひっくるめて大嫌いだった。
「なにが楽しくて笑ってんの、みんなバカ」とか本気で常時思っていたし、どんな音楽を聴いても耳に入ってこなかったし、有り金全部使って素晴らしいシルクの服を買って一瞬幸せになるんだけど、ものの数秒ですぐに鬱々とした生活に戻ってしまっていたし、
唯一、靴職人でアル中の男の子が私の救いで、
「一人でいても、誰かといても、いつもすごくきつい」
と言って部屋の真ん中でグリグリとクレヨン画を描く私に
「分かるわ。」
とつぶやき、ただそばで酒を飲んでいた、その彼の言葉だけが、私の心に水と呼吸のリズムを運んでくれた気がする。
その後も、ゾンビみたいな状態で朝起きて支度して電車乗って会社行って電車乗って帰って夜はほぼ毎日泣いて、またゾンビ状態で起きて支度して、ってこと繰り返してたら、いきなりAve Mariaが脳内に流れ始め、止まらなくなり、
そう。毎日歌って、歌いながら寝たんだった。
歌っている時は歌そのものに入り込むことができていた。
ネガティブからポジティブに変換された瞬間、なんて安直なものじゃなくて、ネガティブはネガティブでしっかりそこにいつでも在ったけれど、ネガティブの中でも立っていられた、という意味で、体を支える心自体に力が生まれた瞬間だったんだろうと思う。
歌うという行為に、ただ入りこんでいて、
ああ、そうか。
入り込めていたんだな。
それは救いだったのかもしれない。
入り込めるという瞬間があったということが。
その後私はどうやってあの、私自身を世界から遮断したような日々から脱したんだろう。
思い出せないけれど、
今目の前にある、手のひらサイズの小さな手帳の上には、新しい地層が重なり、思い出くらいではビクともしない私が、屈託無く此処に在るのだから、
様々な経験を経て、いい時間を重ねてきたんだろう、と急に自分を褒め称えたい気分になってきた。
地層の掘り起こしは、まだしばらく続きそう。