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約40年間、まちづくりを映像でバックアップしてきた。世界一小さなテレビ局の歩み。

御代田町には、“世界で一番小さい”と言われるテレビ局があります。地元では「テレビ西軽」と呼ばれる西軽井沢ケーブルテレビ』。従業員はわずかふたり。

ひとりは、シンちゃんの愛称で親しまれ、制作責任者でありメインキャスターの石川伸一さん。彼いわく、“テレビ西軽は、御代田町の毎日の記録係”。もうひとりは、レポーターの小泉和子さん、その2名で回線の施工、撮影、編集、放映まで、すべてをこなしています。

「記録対象は、生きとし生けるものすべて」という石川さんの言葉通り、1984年に開設してから約40年弱、日々カメラをもって町中を歩き回り、町の移り変わりを記録、放映してきました。地域のお祭り、学校の卒業式、運動会に音楽会、そして成人式。挙げればキリがないほど、テレビ西軽には、人々の暮らしの歴史が詰まっています。

今回は、(なんと)しなの鉄道・御代田駅構内にあるテレビ西軽のスタジオへ、代表のシンちゃんこと、石川伸一さんを訪ねました。聞き役はミヨタデザイン部の発起人である前村達也さん。デザイン施設のプログラムディレクターという職業のかたわら、美術大学の非常勤講師なども務めています。

前村さんはなぜ石川さんを訪ねようと思ったのでしょうか

移住者の多い御代田町には、町のコミュニティや歴史に興味をもっている人が大勢います。だからこそ、まずこの町をより良く知るためのガイドとなる記事を、仲間たちと手分けして作ろうと始めたのがこのnoteなんです。

そして、このnoteの企画会議をしたとある日。部内のメンバーからもインタビューに推す声が上がったのが、テレビ西軽がある場所の不思議さと、それを主導する石川さんの存在でした。長年、町と住民を駅の横から見てきた彼を通して、私たちの知らない御代田を知れるのではないか。前村さんはそう思ったのだそうです。

今回会いにいった人

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石川伸一さん
北海道に生まれ、3歳から御代田町で育つ。72歳。町のみんなからは”シンちゃん”の愛称で親しまれる。『西軽井沢ケーブルテレビ』制作責任者。カメラマン、アナウンサー、編集、放送、ケーブル工事の立会いまで、制作から放映の業務のすべてをこなす。

今回の聞き役

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前村達也さん
41歳、神奈川県出身。3児のパパ。2020年11月に御代田町に移住。職業は、展覧会のプログラムディレクター。1999年に渡英し、ロンドンでデザインを学んだ後、スペイン・バルセロナのデザインスタジオにてデザイナーとして勤務。2006年、オランダのデザイン大学Design Academy Eindhoven (Man & Well-being department) を卒業。2011年よりデザイン施設のプログラム・ディレクターとして数々の展覧会を企画。2021年4月より多摩美術大学にてプロジェクトデベロップメント学の非常勤講師。御代田ー東京の二拠点で活動中。3児の父。

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(この町唯一の駅『御代田駅』の改札口に併設されるテレビ局)

50年前、ヨーロッパ留学中に”ローカルテレビ局”の存在を知った。

ーー35歳でテレビ局を開設されるわけですが、それまでシンさんは何をされていたんですか?

英語塾と喫茶店ですね。駅前の『喫茶店のんのん』は、今も続いているけれど、僕が26歳の頃に作ったの。だからもう50年近いね。あとね、実はテレビ局を始める前に、一度フランスへ留学しているんですよ。

ーーフランス留学は、どんな目的だったんですか?

当時ね、御代田町からフランスへ行くなんていうと、ちょっとした騒ぎになるんですよ。なぜ行くんだ、画家になるのか、シェフになるのか? って。でもね、僕の目的はシンプルだった。ある日ラジオを聞いていたら、フランス語が流れてきて簡単に覚えられちゃった。hの発音がないからか、耳から入ってすぐに言葉が出てきたんですね。それで行ってみようと思ったの。それで1年と7ヶ月。27歳のときだったかな。社会に出てからいろんなことが難しくてね、僕はその時に挫折していたんだよ。それで、一から勉強し直そうって思った。世界を見てみたかった。外国人の立場になってみないと、日本のことが分からないんじゃないかって常々思っていたからね。

でもさ僕がフランスへ行くなんていうと、町のみんなは笑うんだよ。小さな頃から町の暴れん坊で、自分でいうのもなんだけど、子どもの頃から有名だった。エネルギーが有り余っててね、昔っからとんでもなく外れてたの。

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ーーフランスでの経験から、ケーブルテレビの開局にどうつながったのですか?

フランスにいる間に「自分の時代に日本で文化をつくろう」と思うようになった。それで「日本に何を持ち込もうか」ずっと考えていたんだよ。それで日本に帰ったら2つのことをやろうと決めた。

そのうちの一つは、何かっていうと、バーコード。当時の日本にはまだバーコードがなかったの。だからフランスでスーパーに行ってびっくりしてね。でも私がはじめようと考えている間に日本にも上陸しちゃった。あの時は、悔しかったな(笑)。

そして、もう一つやりたかったことが、テレビ局の開設。その当時、現地でケーブルテレビというものを知って、本当に驚いたんだ。一緒にテレビを見ていた友達が「今からこのテレビに出てくるよ」って言うから冗談かと思ったら、席を外してものの10分も経たないうちに本当にテレビ画面に出てきた。なんだこれは!ってひっくり返ってしまったよ。当時の日本のテレビは敷居の高いものだったからね。それまで日本が一番進んでいると思っていたけど、むしろ、遅れていたわけだ。それでこれを日本に帰って自分の町で始めようと思ったんだ。

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35歳でケーブルテレビをスタート。開設当時の会員は10件だった。

ーーはじめた当時は、町の人はどんな反応だったんですか?

フランスから帰国して、4年間準備して開局したんだけど、もうね「石川がフランスから帰ってきてなんか怪しいこと始めたぞ」って、予想通りの反応ですよ。あんな暴れん坊だったやつが、まともなことできるわけないだろうってね、ゼロどころかマイナスからのスタート。大変だったよ。家族だって何しているかよくわからなかったんじゃないかな。それで、車の屋根に報道の三角のあれをつけて走ったの。町民に報道者だと信頼してもらうためにね。

私たちはケーブルテレビ第一号だから、ケーブルの工事だって自分たちで何でもやらないといけない。それに必要な免許だっていっぱいとった。文化をつくるっていうのは全部できなきゃいけないんだよ。一から全部作りあげていかないと。

ーー当時は何を撮りに?

思えば、僕は現代のYouTubeをやろうと思っていたんだな。だからもう、なんでもかんでも取材に行った。

ーー県外もですか?

県外は行かなかった。ただし、国単位のことはやる。たとえば、オリンピックイヤーであれば、開催中にその開催国に住む御代田町民を探すんです。小さな町だからね、探すのは簡単なんだよ。それで生放送中に国際電話をかけて「今、現地はどんな状況?」とか、生の声を町民に届けたよ。

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ーー開局当時は怪しまれていた。いつ頃から町民との信頼関係が生まれていくんですか?

少しずつだけど、目に見えるように変わっていったよ。それはね、町民が言えないことを僕がたくさん代弁してあげていたから。「この町は何をやってるんだ」そんな風に町長に啖呵をきったこともあったし、時には国や県にも物申したりしてね。

ーーそれは頼もしいですね。

取材していろんな人に話を聞いていくうちに、ある側面が見えてくる、というか、紐づいていくんだよ。物事をちゃんと俯瞰できるほどの情報も入ってくるからね。民放はスポンサーで収益を得ているわけだけど、僕らはケーブルテレビで、加入者のサポートで成り立っている。だから自由に発信しても許されるから、そういう状況がつくれていたんですね。その代わり、責任は全て自分でとらなければいけないけれどね。

ーーどんな風に加入者を増やしたんですか? 

みんなに見てもらえるようになるまではそれなりに時間がかかった。10件からのスタートだったからね。まずやったのは、みんなが駅前に集まるような時間帯に、街頭テレビを出した。プロモーションになるようにね。

それと、子どもたちの名前を徹底的に覚えたよ。子どもたちがそろそろチャンネル権をにぎる頃だと思ってね(笑)。昔から覚えることが得意なんだよ。昆虫の名前だって全部知っているんだから。

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まちづくりをテレビでバックアップしてきた。そして、これからも。


ーー町に根付いているテレビ局をやっている醍醐味はなんですか?

男のロマンだよ。まちづくりをテレビでバックアップできることは。

ーーケーブルテレビをやってて、今まで楽しかった出来事ってなんでしょうか?

毎日楽しいからね。難しいな。

――現在テレビ西軽はYouTubeも配信されていますね。

そう。木曜日と土曜日に更新しているよ。全国でもかなり初期からケーブルテレビでYouTubeを始めているんじゃないだろうか。そもそも、私がこの町の記録係として40年間やってきてことは、YouTubeの元祖みたいなものなんだ。

ーー小さい頃からこの町に暮らして、ケーブルテレビをはじめて40年。そんな今、御代田町は移住者が増えていて、企業も増えつつありますよね。御代田町のまちづくりという意味では、今はどんな局面だと思いますか。

やり方が大事な時期だと思いますね。移住してきた人には、地元の人たちが住みよい場所を作ってきたっていうことを忘れないでいてほしいな。せっかく、人が集まってきてくれているんだから、一致団結をしないといけない。企業もそうです。ヤッホーブルーイングがあり、アマナがあり、ホテルヒラマツも来てくれたんだから、この先望むこと、方向性をみんなで話し合いの場を設けていってほしいと思う。そんな場づくりをこれから御代田に住む若い人に担っていってほしいですね。

西軽井沢ケーブルテレビ                        長野県北佐久郡御代田町の御代田駅構内にある御代田町のケーブルテレビ局。Facebook: テレビ西軽。HP: 西軽井沢ケーブルテレビ YouTube: 西軽井沢ケーブルテレビ

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(文・写真)manmaru(編集ディレクション)村松亮






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