「コロナ後遺症外来」に通う家族がいる私の今の心境
コロナって本当に厄介だ。
病気の厄介さもさることながら、意見の対立に疲れてしまう。
なぜなら、みんな意見が違って、違うことは全然いいのだけれど、尖ってしまうから。
コロナで厄介なのは、「公共性」というものをどうとらえるのかが、人によって違うからだろう。また相手が目に見えないために、自分自身で行動指針を決めるのが難しい。
何かが正解かはわからない。正解なんてないかもしれない。
何年かたてば、あんなことあったねと笑えることかもしれない。
でもこうも信じたい。
人は1つのことに対する意見の違いだけで、相手を否定するのはバカバカしいことなのだということ。
また他人の価値観や行動をコントロールしようなんて、もっとバカバカしいことであるということ。
逆の立場になって考えてみてほしい。
もしかして対立ではなくて、対話を逃げてはいけないのかもしれない。
なので、わたしはここで1つの話を提供してみたいと思う。
それはコロナ後遺症についての話だ。
でも私自身や身近な人がコロナに罹患して後遺症に苦しんでいるわけではない。ただかなり類似した症例で困っているだけなのだが。
死にかけた夫のワクチンに対する考え
わたしの夫は、ワクチン接種後の急性心筋炎で死にかけた。そう、まさに死にかけたのである。
昨年夏、8月の猛烈な暑さの頃のことだ。そのときのことはnoteに書き綴った。
循環器内科の学会でも発表されるという。50歳近い年齢で、ワクチンを原因と思われる健康被害としては、国内でも非常に珍しい例だということらしい。
表面に現れている統計データでは100万人に1人という確率である。
夫は「ワクチン打った後に心臓が止まりかけた」話をなるべくしたくないそうだ。実際に近しい人にしかその話をしていない。
私のnoteやFacebookを見て知った人が、あわてて連絡してくることもあったそうである。
なぜかと聞いたら、その話を聞いて「ワクチンってやっぱりこわー。打つの止めよ!」と安易に考える人が増えてほしくないと、思っているそうなのだ。
(もちろん体質等でやむを得ず打てない人がいるのは理解している。なにせ自分自身もそうなってしまったのだから)。
彼は公共性に対する自分の信念でそう言うのである。
できればワクチンは打ってほしい、感染を広げないようにマスク着用など最大の努力は払ってほしい、というのが彼の持論だからである。
しかし別のことを言ったこともある。
一番苦しかった昨年末のある日。
「ワクチン打っていいんだか、どうなんだかね」と、ふと呟いたことがあった。
なぜなら彼の戦いはまだ続いているから。
後遺症にずっと悩まされているのだ。
倒れたのは8月18日。今はもう2月も終わろうとしている。
実に半年以上、いまだに本来の健康体に戻っていない。
そして私は横で見ていてとても辛く感じることもあるし、家族としていろいろな負担を感じてイライラすることもある。
だからこれはワクチンがいいとか、悪いとか、そういう大儀のためではなく、まず自分の心の整理のために書いている。
謎の症状に悩む
彼の後遺症について書いてみたい。
急性心筋炎で搬送された病院から退院してすぐ、胸の真ん中をギューーッと手で押されるような胸の圧迫感が始まった。
なにせ心臓が止まりかけたのだからそういうこともあるのかなと、私は考えていた。
また頭がぼんやりして物を考えられなくなるブレインフォグがあった。
ブレインフォグ、つまり「頭に霧がかかったようになる」こと。
記憶、思考に影響がある。
ただしこのときはブレインフォグだとは気づかなかったのだが・・・。
夫はとても人の話をきちんと聞く人だ。
それは家族に対しても同じで、どうでもいいくだらない話であっても、ややこしい複雑な話であっても、ひととおり聞いて理解しようとするという稀有な美質を持っている。
しかしある日、こういわれた。
「ごめん、何言っているのか、全然理解できない」
たしかテレビドラマの筋書きだったか、会社の誰かの話だったか、そんな世間話だったような気がするが、人間関係と時系列が理解できないという。
このときは「心臓が止まったことで脳細胞に酸素がいかなくなったので、一部の脳細胞が死んでしまったのではないか」と、二人で話していた。
しかし1カ月程たった頃だったろうか。
かなり良くなった。
10月頃には好きなテニスやゴルフにも少しずつ復帰したし、日常生活が戻っってきた。
ちょうど私はこの年で運転免許証に通い始めようとしていたころで、候補になった教習所に一緒についてきては、ぼんやりした私に代わって職員を質問攻めにしたりしていた。
今思うと、あの頃は元気だったんだなあと思うほどだ。
しかしすぐにまた、胸の圧迫感とブレインフォグに悩まされるようになった。
2回目のほうがひどく出た。ブレインフォグは特に辛かったらしい。
彼は昨年6月にITコンサルに転職した。
ひたすら頭を使い、それ以上に人と話すことが多い。膨大な資料も用意する必要がある。
でも何時間机に向かっても何も進まない。思考が整理できないからだ。
胸の圧迫感で話すのも苦しいし、そもそも会話の理解に時間がかかる。
人と話すとぐったりするということが続いた。
1日会議があった次の日などは、まったく動けなくなっていた。
入院した病院で心肺は検査した。精緻な画像を撮れる専門病院に行くように言われ、特別なMRIも撮影した。
胸の炎症は少し残っているが、特にどこも悪くないそうである。
「逆流性食道炎みたいですね」と言われたが、急性期病院は他の科を紹介してくれない。重篤な症状を診るのが役割だからだという。
仕方がないので街中の消化器内科クリニックを予約して胃カメラも飲んだ。やや食道に兆候が見られたが、そこまでひどいものではなかった。
どの医師も頭をひねった。
コロナ後遺症外来に行く
そんなあるとき、夫の会社の人事の人に
「コロナ後遺症外来に行ってみてはどうでしょう?」
と、すすめられた。
この人なりに調べてくれて、コロナ後遺症が夫の症状とすごく似ているなあと、感じたそうである。
これがどんぴしゃだった。
教えてもらったクリニックはとても混んでいた。
コロナの後遺症ではないので念のため電話で問い合わせると、「ワクチンの後遺症の方も診ています」とのこと。
電話をしたのは11月。予約すると診察は2カ月先と言われた。そんなには待てない。
何時間も待つ覚悟があれば、飛び込みで受診できると聞いて、待つことにした。なんとか初診を受けることができた。
とてもざっくばらんで、話が早くて面白い先生だったそうだ。
今までは症状を聞いても首をひねる医師が多かったが、先生はまるで「よく聞く話」というように扱ってくれたらしい。
「早めに気づいてよかった。ここで対策を打たないと、寝たきりになることがありますよ」と、言われたそうである。
ちなみにテレビでもよく取材を受けている医師だ。
コロナ後遺症外来については、時々、悪徳療法で法外な値段を取る医師もいるそうだが、そこの病院は保険診療の範囲内でかなりお安いし、良心的だと思う。
指導に従い、服薬と生活制限を行うことになった。
「だるくなることをしない」というのが一番大事らしく、ゴルフなどのスポーツなんてもってのほか、体調が良くないときは散歩さえも避けるほうがよいと指示された。
飲酒も絶対にダメ、カフェイン、炭酸もダメ。
寝る3時間前には食事を終え、安静に過ごす。
一番よろしくないのが「あ、治った」と思ったときに、一気に普通に戻して自身に負荷をかけること。
まさにそれは、このクリニックに来る前に心当たりがあることだった。
良くなったかもと張り切って色々やったので、一気に悪化したのだった。
ダラダラ、ゴロゴロ、気付けば床暖房に張り付いて寝てしまうような自堕落な私と比べ、とにかく動かないと気が済まない行動派の性分が裏目に出た。
尚、症状は、逆流性食道炎や咽頭炎と近いそう。
違いは、普通の逆流性食道炎の場合は投薬で落ち着くことが多いそうだが、投薬だけでは落ち着かないことだそうである。
夫は昨年8月に倒れたときも、その後も、一度も弱音を吐かなかった。
吐く暇もなかったのだが。
そんな夫がこの外来で初診を受けたあと、
「このあと、どうなっちゃうんだろう」
と、ポロリと涙をこぼした。
それを見て私も思わず、もらい泣きした。
症状の悪化と生活制限
最初にコロナ後遺症外来に行ったのが昨年11月末頃だったか。
症状はどんどん悪化していった。
年末年始はとにかくひどくて家からほとんど出れない状態だった。
車で15分程のところに年越しそばを買いに行ってはもうだめ。
歩いて15分の実家に元旦の挨拶に行くのも無理。
毎年恒例だった初詣も難しく、いまだに行けていない。
1日1つの用事を果たすのがやっとという状態である。
わたしは夫に負担をかけないように息をひそめて生活していた。
年末には「仕事内容と勤務体系を変えるかもしれない。給料も下がるだろう。」という話を夫はしていた。
会社に約束したパフォーマンスが発揮できないから、裁量労働制は無理だと思ったようだった。(裁量労働制はある意味、厳しい制度でもある。)
どうやらその時がピークだったのか、今年に入ってだんだんと調子が上向きになってきた。
なんとか仕事(全日在宅)も一応1日8時間できるようになった。
しかし、生活制限、行動制限は続く。
そもそも基本的に体調が悪い日が多いので、ぐったりしてあれやこれやこなすのが無理なようだ。
必要最低限な買い物以外は外出もしないし、なるべく人にも会わない。
東京の人間とは思えないくらい運転するほうだったが、運転すらあまりしない。スーパーで買い物するのは夫の役割だったのだが、宅配(Oisix)に切り替えることにした。
結婚するときに姑に言われたことがある。
「たくさんの友達とにぎやかに過ごすのが好きだと思うから、大変だと思うけどよろしくね。そんなふうに育ててしまったから。」
わたしの内向的な性質を見越してそう言ったのだと思う。
週に1〜2度は何時間もテニスをし、隙あらばゴルフの練習に行き、冬はスキーに行く。
心を許した友達と遊ぶのが好き、誰かとおしゃべりするのが好き。私からは信じられないほど陽気な男にとって、おそらくなかなかにしんどい状態である。
何とかこの状況で楽しさを見つけようと、運営しているテニスグループの練習にちょっとだけ顔だけ出したり、美容院の人と楽しく話したり、宅配やお取り寄せで美味しい物を食べたり、ネットで洋服やパソコンを選んだりしているようだ。
あらゆる行動制限と処置を続けた結果、少しずつ、少しずつだが、快方に向かっていった。
いや、快方に向かうとは少し違う。
苦しさの程度が我慢できるくらいになったり、頻度が減ったり、といった感じかもしれない。
症状の変化
この後遺症で厄介なのは、どんどん症状が変化すること。
そして日によって症状の出方が変わること。
更に1日の中でも朝と晩で症状の出方が変わることだ。
この間まで息も絶え絶えだったのに、ある日突然、普通に話せるぐらい治ることがある。「良くなった」と思うと、また下がる。
違和感を感じる「場所」も変化していった。
だんだんと上に上がってきた。
胸のギューッと押されるような圧迫感は今はまったくない。
年末には胸の上のほうを押さえることが多くなった。
そして最近は喉の下のほう、食道のあたりをよく抑える。違和感、胃酸が逆流してくるような気持ち悪さがあるらしい。
ちなみに一時期驚いたのが、脱毛である。
ある日、脛の毛がまるで剃刀で剃ったようになくなっていたので、気付いたのだ。
ある日、
「俺のすね毛がなくなったーーー」
と悲鳴をあげた。
元々夫は体毛が薄いので、脆弱な脛の毛は一気にお亡くなりになったのだ。
逆に髪の毛は根本が見えないくらいフサフサなのだが、こちらもパラパラと日々抜けているらしい。ちょっと触るだけで抜けるから怖いとのこと。
一応まだ頭は、薄くなったとは思わない程度である。美容師さんにも「まったく問題ない」と太鼓判を押してもらった。
髪がたくさんあってよかった。
「ワクチンで死にかけた話をしたくない」といい、淡々としていた夫だったが、「ハゲになったら製薬会社を訴えてやる!」と言っていた。
彼のトレードマークでもある髪が薄くなったら、わたしもショックだ。
もし女性だったら、もっと悲しい。
きっと絶望するだろう。
家族として困ること
一緒に住む私としては色々困ることがある。
まず調子が悪い時は会話も難しく、頭も回らないので、こちらの会話にも付き合ってもらえない。
そもそも、とにかく声が出ない。
もともと大声で話す男ではないのだが、ますます小さい。
ひどいときは、ほとんど、ささやき声だ。
何を言っているのかわからず、これが本当にイライラの元である。
「え?なに?」「なんだって?」と言ってしまう。
ケーブルテレビでよく見る補聴器のCMのおじいさんのようだなと、思うことがある。
そのうち、もう聞こえないからあきらめて、「聞こえないから返事しないよ」と言うことにした。
夫婦で向かい合って座ってLINEで会話したこともあった。
そして体調がすぐれないと、一気に不機嫌になる。
夫はうつ病になったことがあるのだが、彼のうつ病は軽度だったため、後遺症のほうが大変だよと感じた。
一番困るのがブレインフォグのとき。
頭が回らないと、心の余裕もなくなる。
こちらに疲れていると、すぐ喧嘩になる。
先月も夫は頭が回らないから雑な事を言い、わたしはわたしで雑な事を言い、大ゲンカになってしまった。
またそもそも症状がわかりにくいので気を使う。
ブレインフォグで機嫌が悪いのか、胸元の気持ち悪さで凶悪な顔をしているのか、まったく区別がつかない。
また症状が一定ではないというのも、身近な人間としては厄介で、「今日はどう?」と聞くのが日課となってしまった。
早くそんなことを気にしない日が来てほしい。
職場から帰ると、ぐったりしている姿を見る。
とにかく身体を休めてもらうように、また食事も寝る3時間前までと決まっているので、疲れを我慢して朗らかなふりをして食事の用意をする。
本当はわたし自身も疲労がたまっているので休憩したい。
ときには、頭が痛かったり、お腹が痛かったりもする。
Oisixが届けてくれたカット済みの野菜を炒めるのさえ面倒、カップラーメンお願いします!と言いたくなるときもある。
たぶんストレスがあるだと思う。
夫が寝たあとに夜ふかしをしてダラダラするのが癖になってしまった。
早く寝たほうがいいのはわかっているのだけれど。
後遺症はもっと怖い
コロナ後遺症外来に夫が通うようになって気づいたことがある。
それはコロナ後遺症外来は異様に混雑しているということ。
オミクロンで爆発的に感染者が増える前から、夫がかかっている病院には何千人も患者が来ていたそうである。
それだけコロナ罹患後も悩んでいる人が多いのだ。
患者の中には、慢性疲労症候群になり、寝たきりのようになってしまった若い人もいるらしい。
別のコロナ後遺症外来で検討違いの対処(体を動かすといいですよ、といったアドバイス)をすすめられて悪化し、この病院に来たという人もいた。
また色々な病院に行っても原因がわからず、心療内科に回されて、検討違いのメンタルの薬を処方される例も多いようだ。
実際、夫の症状を見た当初、まるでうつ状態みたいだなと感じた。
でも、本人曰く、まったく感じが違うらしい。
経験があるだけに違いがはっきり自覚できるのである。
ただひたすら話すのが辛い、しんどい、という症状であって、心までは害されていない。
でも原因も対処もわからない体調不良に悩まされていたら、病んでもいないメンタルまで病んでしまいそうだ。
ある日ニュースを見ていたら、コロナ後遺症で体調が悪く、休職だったか、離職だったか、働けずに収入が激減したという40代男性が取材に出てきた。
旦那さんは淡々とインタビューに答えていたけれど、奥さんが「まさかこんなことになるなんて」と、あふれる涙をぬぐっていた。
サラリーマンだからいいじゃないかと思われるかもしれないけれど、「このまま治らなかったら」と思うと不安だと思う。
わたしの夫はたまたま在宅で、たまたま仕事はできる程度の症状だった。
他人事ではない。
奥さんの気持ちが痛いほど伝わってきて、まじまじと画面を眺めた。
今の私が思うこと
夫を通して、間接的にコロナの後遺症を感じる日々。
きっと今も苦しんでいる人がいる。
そのクリニックの患者は何千人もいて、先生は深夜3時までオンライン診療をすることもある。
夫も一度、オンライン診療を申し込んだら、院長の場合は午前0時を回ると言われて、正直ビビった。
だから「コロナなんて風邪みたいなもの」と言う人がいると、ちょっとだけそうなの?と思う私がいる。
多くの人が経験則で知っているように、風邪が治ったあとに、こんなに数ヶ月にも渡って苦しむなんて起きないことだから。
自分や、自分の大切な人が苦しんだら、そして治ったと言われても後遺症という先の見えない戦いに悩むときが来たら、どうだろう。
可能性はゼロではない以上、わたしは今日も自分なりに対策する。
マスクをする。
買い物は可能な限り、すべて宅配だ。
会いたい人もたくさんいるけれど、必要最低限にとどめている。
ご近所圏内の数駅しか移動もしていない。
原因は同じではないにせよ、近しい状態を見ているからこそ、わたしまで同じ病気になるわけにはいかない。
ましてや夫はワクチンを1回しか打っていない。
罹患したら、きっと重症化するのではないかと思う。
二人だけの住まいで二人とも罹患したらと思うと、ゾッとしてしまう。
だからとにかくうつらないようにしたいのだ。
これは同調圧力でするのではない。
ひたすら自分の家族と自分自身を守るためだ。
そして今日は2022年2月26日。
先週金曜日は二人とも在宅ワークだった。
2階の夫の部屋の前を通ると、快活な話し声と笑い声が聞こえた。
わたしは一時期夫と同じ会社にいたことがある。その時よく聞いた、ちょっとよそゆきだが、人に信頼感と明るさを与える声だった。
「ああ、こんな声で話している!」
と久しぶりに聞いた気がした。
調子にのってテニスを始めたりしている。
先生に怒られないといいのだが。
いや、それよりまた悪化しないといいのだが。
このまま良くなってほしい。
早く普通の生活に戻りますように。
一緒に旅行にも行けるようになりますように。
それだけがわたしの願いである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?