文字を持たなかった明治―吉太郎86 生活の楽しみ「だれやめ」余談
明治13(1880)年鹿児島の農村に生れ、6人きょうだいの五男だった吉太郎(祖父)の物語を綴っている。
昭和29(1954)年に、一人息子の二夫(つぎお。父)が嫁を迎えたあとの一家の暮らしぶりを目下述べているところだが、生活の楽しみとしてのラジオと好みの番組、ささやかな楽しみであるタバコ、そして「だれやめ」(晩酌)について書いたところで、「だれやめ」のエピソードを付け加えておきたい。
吉太郎が「だれやめ」をするのは夕食どきの囲炉裏端だ。食事は基本的に囲炉裏を囲んで摂っていたのだから。吉太郎は床の間がある表の間を背にした上座が定番で、その両側に二夫と妻のハル(祖母)が、吉太郎に正対する下座に嫁のミヨ子(母)が座った。もっとも吉太郎の真正面は避けて、二夫側に寄った位置だった。
とうに70歳を越えた吉太郎は、ほかの家族より早めに仕事を終える。吉太郎自身はまだ働けると思ったが、夕方になると二夫が「ちゃん、も 上がらんな」(オヤジ、もう引き上げたら?)と声をかけた。
吉太郎が脚を洗い顔や体を拭いて、囲炉裏端に座りラジオを聞いていると、「しょちゅんしおけ(焼酎ん塩気)」(酒の肴)と焼酎のお湯割りを、ハル(祖母)が持ってきて吉太郎の傍らの脚付きお膳の上に置いた。やがて二夫も帰ってきて四人で囲炉裏を囲む。それぞれの茶碗や皿はそれぞれのお膳に載せられている。
ふっと新たな焼酎の匂いが漂った。吉太郎が飲んでいる「だれやめ」は少し冷めて、もう香りは立たないのに。
二夫お膳の下のミヨ子に近いほうには、小さな湯飲みが隠すように置かれている。まだ食後の茶を飲む時間でもないのに、と吉太郎は訝り、「あ」と思った。
どうやら二夫も「だれやめ」をしているようだ。父親の前で堂々と焼酎を呷るわけにいかないが、一日の疲れは癒したい。目立たないよう、ミヨ子がお膳の下のほうにそっと湯飲みを差し入れたのだ。それは、二夫がミヨ子に命じたことなのか、ミヨ子が夫を労わってこっそり始めたことなのか。
「んだ。あんわろも だいやめをすっとか」(なんと、あいつも 晩酌をするのか)
吉太郎は思ったが、口には出さなかった。締まり屋の吉太郎は、これまでならそれこそ目くじらを立ててひと言言う場面だ。食べるものはほとんど自分たちで作れるが、焼酎(と、タバコ)は買ってくるしかない。つまり純粋な支出であり、家計ひいては一家の財産に影響する。
しかし。身代を二夫に譲ることを考える時期ではある。いや、吉太郎の年齢から言えばとっくに譲っていてもおかしくなかった。二夫も嫁をもらってからは、前にも増して家の仕事に励み、将来についてもあれこれ考えているようだ。あいつの「だれやめ」は見なかったことにしておくか、と吉太郎は思った。
――とは、のちにミヨ子が嫁いだばかりの頃の夕餉について語った話に、孫娘の二三四(わたし)が脚色したものである。ミヨ子は、二夫の晩酌が吉太郎にバレないよう
「お膳の下ぃ そろーいと しょちゅん湯飲んを 押っさってねぇ」(お膳の下にそろーーりと焼酎の湯飲みを押し入れてね)
と笑っていたが、どう考えても不自然だし、まして毎晩のように同じことをしていたらバレバレだったろう。
ここは吉太郎がいつになく太っ腹なところを見せた、ということにしておこう。