文字を持たなかった明治―吉太郎1 はじめに
昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきたが、ミヨ子の物語にはいったん区切りをつけた。
これから新たに、ミヨ子の舅・吉太郎(祖父)について書いていく。
吉太郎は明治13(1880)年2月13日年生れ(戸籍記載上)。日清(1894-1895年)、日露(1904-1905念)、そして大東亜(太平洋)の3つの戦争を経て、昭和45(1970)年に満90歳で没した〈230〉。昭和の戦中まではごくありふれていた多産の家庭の、6男1女の5男として生まれた。当然承継する田畑はなく、すべてを自力で稼ぎ買い集めた。たった一代、実質一人でこれだけ、と思うほどの田畑や山林を。
孫娘の二三四(わたし)からは、とても「やさしいおじいちゃん」などではなく近寄りがたかったが、それもこれも厳しい境遇が醸したものだったのかもしれない。
吉太郎の思い出は、ごく小さかった二三四にとってはぼんやりしている。が、家族や近所の人たちからさまざまなエピソード――一種の偉人伝――を聞き及んでいる。そういったものを活かしながら、吉太郎の一生をできる限り克明に残してみたい。
〈230〉吉太郎の没年齢は91歳だと家族は認識していた。そもそも享年は数え年である。生まれた時点で1歳、90回のお正月を経たならば91歳と数えたのだ、と再認識した。