つぶやき 牛の餌
テレビのニュースで、鹿児島県徳之島の循環型農業の取り組みについて紹介していた。
牛の餌代の高騰に悩む畜産農家への支援として、地元の特産であるサトウキビの葉や茎を飼料として提供する仕組みを、県が中心になって構築した。サトウキビの葉や茎は畑にそのまま廃棄していたもの、畜産農家は餌代を抑えられる代わりに、牛の糞をサトウキビ農家に還元する、というもの。
北海道の牧場で見かける、牧草を巨大なロールに巻いた「あれ」と同じようなものがサトウキビ畑で作られ、牛舎に運ばれていた。「あれ」はわたしの関心対象でもあり、おお!と思いながら画面を見た。
これまで与えてきた輸入飼料と栄養成分はほぼ同じらしいが、牛たちは当初食べ慣れなず食べる量が減ったそう。しかし乳酸菌を吹き付けるなどの工夫をした結果慣れてきて、いまはふつうに食べているのだとか。
畜産農家がサトウキビ農家を尋ね、「またもらいに来ますので」「どうぞどうぞ」とにこやかに語り合う場面もあったが、あれはヤラセだろう。
「東北では稲藁を餌として提供する同じような取り組みが始まっている」と補足し、「(廃棄されていた葉や茎と牛糞という)厄介者どうしを利用しあうとは驚きです」と締めくくっていた。
循環型農業ねぇ。これって、昔は普通に行っていたことじゃないの? 牛などの家畜の餌は、まさに稲藁や、畔や野っ原から刈ってきた草だった。
それが、アメリカなどを真似て畜産の大規模化(というか工業化)を追求していった結果、餌も輸入に頼るようになった。藁や草のようないわば「粗食」より、輸入トウモロコシのような栄養価の高いもののほうが、差しの入った「美味しい」肉になるという事情もある(らしい)。
だが、日本の工業製品を輸出するのと引き換えに、アメリカの農産物を受け入れる政策が背景にあった。むしろそれを、農家が押し付けられたとも言える。
もちろん、大量生産、大量消費、よりよい商品、より美味しい食べ物を効率よく、より安くと社会が求めてきた、という流れもある。消費者のニーズは優先され、生産者(農業に限らないが)の都合は後回しにされた。いや、最優先されたのは製造業の都合かもしれない。そこに原料を輸出する側の都合も含め。
さまざまな要因はあるが、日本の農業(食)が地域の中では「回らない」形が作られ、足りないものはお金で解決してきたと言える。
それが、ロシアによるウクライナ侵攻、それに円安で破綻直前だ。餌はもちろん、人間が食べるものさえも。
循環型農業の構築、などと大上段にふりかざさなくても、昔から自然にやっていたこと、いや、自然に培われてきた営みに戻る(戻す)ということではないのか、と思う。
世界規模の資本の循環に農業も組み込まれてしまっているいま、地域内、国内で農業や食を完結させるのは難しいだろう。完結させない力が、働いてもいそうだ。
でも、食べ物(農業、水産業)という首根っこを外国に押さえられたままでいいとは思えない。消費者も、美味しいものの追求とは別の視点を持っておいたほうがいいと思う。