番外 天安門事件(1989年6月4日於中華人民共和国北京市)

 「文字を持たなかった昭和」になかなか戻れないでいるが、今日は6月4日なのでまた話題が逸れる。

 1989年だからもう34年も前になるのか。中国は北京市のその日の未明。数か月前から続いていた民主化運動が徐々に政府の圧力を受けつつある中、運動の拠点であり象徴としてきた天安門広場で学生たちが束の間の休息をとっていたところへ、人民解放軍(解放軍)〈154〉の戦車が襲いかかった。テントにいた学生のうち亡くなった人は数千人とも、1万人を超えるとも言われるが、実態は明らかになっていない。

 その数日前より、北京市の周辺から中央へ包囲を狭める形で解放軍による民間人への威嚇――と言いつつ、実際の銃撃もあった――は始まっていたから、早晩このような事態に陥ることは予想されていたとも言える。

 もともと、腐敗に反対し民主化を求めるデモはきわめて平和的で、学生から始まった運動は、現状に不満を持つ一般市民へ広がり、職場単位でのデモ参加など大規模になってはいたが、おだやかなものだった。ただ、運動は都市を中心に全国へも飛び火しつつあった。(インターネットも携帯電話もなかった時代、どうやって「飛び火」したのだろう? いま考えると、それだけ切実な願いだったとも言える。)

 およそすべての独裁にとって、理由はどうあれ一般人が自主的に組織運動することより恐ろしいものはない。まして政治改革を求める運動、まして首都北京だ。中国共産党(中共)にしてみれば、足元に火が点いた感は十分すぎるほどあっただろう。

 そして「血の日曜日」が来た(そう、あの日も日曜日だったのだ)。

 わたしは当時、旅行それも中国メインの仕事をしていたが、民主化運動が広がり、デモによる万一の衝突を懸念した日本政府は、先立つ5月20日に中国への渡航自粛勧告を発令した。言うまでもなく、日本における自粛勧告とは、実質的な禁止である。

 これはわたしの体験だが、実際にそのもっと前のゴールデンウイークの頃から、ツアー先の上海でもデモのために観光ルートを変更するということも起きていた。渡航自粛勧告を受け、一般の旅行もビジネストリップも取りやめになり、予定に入っていたツアーは軒並み中止になった。そんな中、中国の動向を伝えるニュースには逐一気をつけていた。

 そして6月4日。

 未明の天安門広場を縦横に走り回る多数の戦車、逃げ惑う学生たち、時折光る銃口などを捉えた西側メディアの映像が衛星中継され、ショッキングなシーンはテレビのニュース番組で繰り返し再生された。テレビの前でクッションを抱えたわたしは、画面の中のできごとが事実と思われず、呆然とするしかなかった。映像は事実だと確信せざるを得なくなるにつれ、今後の中国、日中、世界を想いもっと呆然となった。仕事や研究、個人的な興味を含め、中国に携わるすべての人は同じ思いだっただろう。

 だが思いがけず中国の状況は早期に安定し、翌年にはビジネスも再開された。以前よりオープンになったビジネス環境のもと、日本を含む西側はせっせと中国に詣で、資金をつぎ込んだ。まるでなにも起きなかったかのように。そしてわたしもその一人だった。ただあの国の体制の中で、あのセンシティブな事件を「蒸し返す」ことは、国民はもとより外国人にとってもリスクは大きく、とりあえず口をつぐむのが得策だった。

 多言を要するまでもないが、天安門事件は中国の政治と経済、そして人心にとってのターニングポイントになった。それまで部分的にも民主的な手法を取り入れつつあった政治は一気に硬直化した。一方で経済は「社会主義市場経済」へ完全に舵を切り、市場経済的なやりかたが次々と取り入れられた。人心は、民主化を求めたのは夢だったかのように政治への関与を収めていく一方で、経済的利益の追求に熱心になった。中共は、パンによって政体を守ったとも言える。

 天安門事件直後こそ中国へ厳しい制裁を課した西側だったが、よく知られるように日本という蟻の一穴から制裁は崩れはじめ、もとより巨大市場に魅力を感じていた西側(企業)は、なし崩し的に中国への投資を増やしていく。その結果が、今日だ。

 34年が過ぎたいま、あの日のことはある意味必然であり、あれこそが中国の真の姿だったのだとわたしは思っている。民主化すればすべてがよい方向に進むなど、あまりにナイーブで単純な捉え方だった。中国はもっと複雑で老獪で、中共はもっと手強かった。なにより、中国の人たち自身がその後の体制を支持し、いまに至るのだから(少なくとも表面上は)。

 デモが最高潮に達し、社会人までもが次々とデモ隊に加わり、暑さに向かう季節だからと冷たい飲み物やアイスキャンデーを手にした応援の民衆が沿道に詰めかける様子を直接見ていた、某出版社の北京駐在員が、数年後に当時を回顧して
「あのときは、今度こそほんとうに中国は変わるかもしれない、と思った」
と語っていたことが忘れられない。

 中国はある意味ほんとうに変わった。が、本質は変わっていないと思う。とくに中共の本質は。

 天安門事件の追悼行事は年々規模が小さくなり、あるいは全く開かれなくなった。天安門事件について知る人もどんどん少なくなるだろう。だからと言って「なかったこと」にはできないと、わたしたちは言い続けなければならないはずだ。

〈154〉人民解放軍(解放軍):よく「中国軍」と表現されるが、中国に国軍は存在しない。人民解放軍は中国共産党に属する軍事組織だ。実質的には中共≒中国政府だから実態は国軍と言えなくもないが、メディアには厳密に区分してほしいところだ。

〈155〉冷たい飲み物やアイスキャンデー:まだペットボトル飲料はなかったから、冷たい飲み物と言えば容器リユースが前提のガラス瓶入りのジュース類(空き瓶を販売店に持って行くと保証金を返してくれた。保証金は中身より高かった)。まとめての差し入れとなれば重かったはずだ。アイスキャンデーは、ジュースや甘く煮た小豆、緑豆などを凍らせたキャンデーで、乳製品が入ったものはちょっと高かった。いずれも素朴な蝋紙で包んであった。
 

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