文字を持たなかった明治―吉太郎19 大家族⑤
昭和中期の鹿児島の農村を舞台にして、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に庶民の暮らしぶりを綴ってきたが、新たに「文字を持たなかった明治―吉太郎」と題し、ミヨ子の舅・吉太郎(祖父)について述べつつある。
明治13(1880)年生れ、当時数多いた「子だくさん家庭の跡継ぎではない男児」の一人だった吉太郎はどんな人生を歩んだのか。それを探るため、まず家族の状況を見ている(大家族①、②、③、④)
前項までに、三男の庄太郎の妻子が戸籍に加わったことを述べた。入手できた中で二番目に古いこの謄本(【戸籍二】とする)記載されている家族23人のうち18人まで確認した形だ。
ここから先は庄太郎・ヨシ夫妻にあとから生まれた子供たちだ。続柄は【戸籍二】の戸主で吉太郎きょうだいの長男・仲太郎との関係を示す。
「秋良 甥 弟庄太郎三男 大正参年弐月弐拾日生」(註:1914年。「拾」は十)
「忠吉 甥 父庄太郎・母ヨシ四男 大正六年拾壱月拾五日生」(註:1917年)
「正雄 甥 父庄太郎・母ヨシ五男 大正八年拾弐月弐拾八日生」(註:1919年)
「フサエ 姪 父庄太郎・母ヨシ弐女 大正九年拾弐月拾五日生」(註:1920年)
「タツエ 姪 父庄太郎・母ヨシ参女 大正拾参年拾弐月拾日生」(註:1924年)
この5人が加わって庄太郎・ヨシ夫婦の子供は8人になり、【戸籍二】記載者23人が揃った。
興味深いのは、大正5年あたりを境に続柄の付記部分に父親だけでなく母親の名前も入るようになったことだ。「大家族②」に書いた源太郎の末子・淸(大正5年生)の欄にも「父源太郎・母チヨ三男」と記載されている(②では便宜上他のきょうだいと同じ記述にした)。これは、家庭内での母親の地位が認められるようになったから、と考えるのは早計だろうか。
ともあれ、吉太郎のきょうだい中二人の兄が妻を迎え、次々と子供が生まれ、長男・仲太郎を戸主とする一家が大家族となっていく様子が、【戸籍二】から確認できた。概ね明治10年代から大正の終り近くにかけての40年余りのことだ。
ただ残念ながら吉太郎の動静はまだ見えてこない。