つぶやき もうひとつのお別れ(後編)
(前編より続く)
今年の春。臨時に計画した帰省でバタバタしてしまい、しばらくお店に行っていなかった。帰省から戻り久しぶりに店の前を通ったところ、定休日でもないのにシャッターが下りていた。「あれ?」と思いながら近づいたら貼り紙があり
「閉店のお知らせを出したところお客様が急増し、商品が間に合わなくなりました。〇日と△日は臨時休業して商品を準備し、◎日から平常通り営業します」
とあった。そしてシャッター脇の壁には、もっと前に出されたらしい「7月13日を以て閉店します」というお知らせが貼られていた。
びっくり仰天である。
去年あたりから営業時間が1時間繰り上がったのは気づいていたが、ご高齢でもあるし、働き方改革のご時世でもあり、むしろ「どうぞ余裕をもって働いてください」とすら思っていた。しかし、それが閉店の予兆だとは、思いもしなかった。
◎日を待ってお店に足を運び「閉店を知り驚いた」と告げた。ご主人は
「後継者もいないしもう年だから。なにせ7月には80歳だしね。去年から営業時間を短縮したけど、昔は夜9時半まで開けてたんだよ。休みは日祝だけで、男性の平均寿命近くまで毎日煎餅を焼いて来たんだから、もういいでしょう」
と淡々と話してくれた。
それからは週に2回ぐらいのペースでお店を訪れ、煎餅やあられ類を少しずつ「買いだめ」した。これまでお土産等で渡したとき特に喜んでくれた相手に、最後の味のお裾分け――いまふうに言えばシェア――をしたかったのだ。自分の寂しさを分かち合ってほしい、という気持ちもあった。ある程度数がまとまったところで、お手紙を添えて順に「発送」した。
同時にもう手に入らないであろうという種類のものから、自分でも少しずつ食べてみた。食べ始めると、その味わいの深さ、それを支えてきた丁寧な仕事に心を打たれた。
お店に足を運ぶたびに、品揃えは減っていった。手土産に重宝してきた箱詰めの見本は「中の種類が揃わないから」と早々になくなった。ショーケースの手焼き煎餅もだんだん揃わなくなった。「予約分を確保しないといけないから、売るものがないんだよ」と説明された。商品が入っていた棚には、「〇〇様ご予約分」の付箋が貼られた大きな袋がいくつも並べられつつあった。
閉店が2週間後くらいに迫ったある日、またお店に顔を出すと、「せんべい生地を使い切っちゃっいそうなので、閉店を1週間早めることになった」と言われた。またまたの衝撃である。この頃にはショーケースの手焼き煎餅はほとんどなくなっていたから、さもありなん、ではあった。
わたしは急いでお手紙を認めた。ほんとうは週末にじっくり準備を、と思っていたのだが、前倒しである。閉店日にはいろんな人が挨拶に来られるだろうから、その前日の人が少ない時間帯を見計らって、心ばかりの品とともに感謝のお手紙をお渡しした。
2024年7月6日。創業73年の手焼き煎餅屋さんはその歴史に幕を下ろした。
多くのモノ、コト、そしてヒトは失って初めてその価値に気がつく。わたしにとって、この地元のお煎餅もそうだった、ということだ。
閉店後、シャッターにはお店の成り立ちと長年のご愛顧へのお礼を綴った貼り紙が出されていた(※写真)。先代はシベリア抑留を経験された苦労人だったことを始めて知り、お店とのおつきあいが極めて表面的だったことを悔いた。
もっともお店とお客との関係は、多くが「表面的」かもしれない。商品(やサービス)が良ければ通うし、気に要らなければよそへ行く。わたしの場合「地元」へのこだわりがちょっと強く、たまたま手ごろな品物が身近にあった、ということだろう。
しかしそれは、とても幸せなことでもあった。この小さなお煎餅屋さんに、わたしはたくさんの経験や人間関係を支えてもらった。そんな「ご縁」はそうそうないと思う。
そしてわたしは、この「お別れ」のダメージをまだ引きずっている。
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