文字を持たなかった明治―吉太郎64 学校はやはり役に立たない?

 明治13(1880)年鹿児島の農村に生れ、6人きょうだいの五男だった吉太郎(祖父)の物語を綴っている。

  昭和の初め、中年の再婚どうしで家庭を持った吉太郎。昭和3(1928)年生れの一人息子・二夫(つぎお。父)には、尋常小学校を卒業したら百姓の跡継ぎとして仕事を覚えてほしかったのに、高等小学校のみならず上級の農芸学校へ進んだ。吉太郎は不服だったが、二夫が新しい技術を学んで来ることは頼もしくもあった。が、二夫が農芸学校で学ぶ頃には、戦争が庶民の暮らしに及ぼす影響は大きく深くなっていた。

 昭和19(1944)年。二夫はあと1年足らずで農芸学校を卒業し、近隣、とくに農家の息子ではめったに持っていない高等師範の卒業証書をもらい、吉太郎が広げてきた農地を最新の技術でいっしょに耕してくれる。農芸学校は師範学校ではなかったが、みんな「高等農林」と呼んでいたし、師範学校と同じくらい上級の学校だ。人に教えることもできるだろう。高等小学校も農芸学校も、進学にずっと反対してきた吉太郎は、もう少しで自分と息子の人生設計が大きな軌道に乗ると心待ちにしていた。

 その日。それがその年のいつ頃だったのか、のちに二夫の娘となった二三四(わたし)は聞いたかもしれないし、そこまで聞かされてはいない気もする。学校から帰った二夫はある書類を吉太郎と母親のハル(祖母)の前に置いた。

「これは何だ」
小学校すら行けず文字が読めない吉太郎は訝しそうに尋ねた。ハルはカタカナと簡単な漢字なら読めたので薄々感づいたが、自分の予想を信じたくなかった。

「陸軍の少年飛行兵に合格しました」
「お前は召集されてはいないだろう」
「はい。願書を出したら、合格しました。兵隊に行って飛行機乗りになります」

 吉太郎夫婦にとって、まさに青天の霹靂である。二夫は文字の書けない父親の代わりに「家長同意」欄の署名を偽造し、印鑑も探し出して捺印して願書を提出してしまったのだ。そして、見事合格した。

 吉太郎は怒り、ハルは落胆した。入隊が決まれば働き手が即一人減る。そもそもたった一人の子供、それも大事な跡取りを、戦争で死なせてしまうかもしれない。

「お前が学校なんかに行かせるから、よけいなことを考えるようになったんだ! 学校なんかやっぱり役に立たん!」

 吉太郎はハルに八つ当たりした。吉太郎の理屈はそう外れてもいなかった。進学などさせず跡取りとして地道に百姓仕事をさせておれば、余分な情報や、他人からの「入れ知恵」を耳にすることもなかったはずだ。召集も跡取りとして免除された可能性は高い。なにぶん吉太郎は近隣では「分限者」であり、戦時国債をたくさん買うなど社会貢献もしてきたのだから。少なくとも本人はそのつもりだったし、傍目にもそう見えてはいた。

 その年の秋頃、二夫は入隊した。陸軍の多くは出生地単位で大小の兵団が編製されていたが、所属は特攻隊なので単独で部隊に編入された。入隊先も、いままで聞いたことすらない場所にあった。イバラキのホコタだと言う。

 いったいどこだ? 飛行機に乗れるであろうことにひとり昂揚している二夫も戸惑った。
「茨城……。東京よりもっともっと北だね。そんな遠くじゃ、面会にも行けないねぇ」
関東大震災で罹災して戻ってくる前東京で奉公勤めしていたハルはぽつりと呟いた。

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