追悼 森永卓郎さん
森永卓郎さんが亡くなった(2025年1月28日。没年67歳)。改めて書くまでもなく、著名なアナリストであり数多の著書を世に送り出した。いっぽうでコレクターでありオタクでもあり、ご自身の興味のままにいろいろなものを集めまくってもいた。近年は自家菜園を実践し、自給自足を基本とする循環型共同体(といっていいのだろうか)を提案してもいる。がんと闘い続けながら著作やさまざまな発信を精力的に続けていた、という印象が深い人も多いかもしれない。
そのどれも森永さん(と呼ばせていただく)であり、どれも森永さんのすべてではないのだろう。
森永さんはわたしより少し上の世代だ。高度経済成長とバブルの恩恵もたっぷり享受した世代と言っていいかもしれない。
森永さんより遅れて社会人になったわたしは、経済オンチも手伝って、アナリストとして華々しく活躍する森永さんには興味がなかった。たまにテレビでコメンテーターとして出演するのを見かけても、ユニークな人だなぁというぐらいの印象で、著作もまったく読んでこなかった。
ある時期からテレビにぱったり出なくなったが、コメンテーターや評論家にも浮き沈みがあることだし、森永さんくらいの人なら別の仕事で(そもそもアナリストだ)しっかり稼いでいるのだろう、ぐらいに思っていた。
やがてコロナ禍を迎え、多くの人が「巣ごもり生活」を余儀なくされた頃、森永さんが所沢で自称「トカイナカ」生活、つまり物価が比較的安い都市近郊で自給自足しつつ、必要に応じて都市部での仕事もするという暮らしを送っていることを知った。がんを患っていることを知ったのも同じ時期だと思う。農家出身のわたしは、自給自足生活を実践する森永さんに興味を持った。なぜそんな生活に移ったのかも含めて。
闘病中の森永さんが発信するもの、取材されたものを断片的に読むうち、「命のあるうちにこれだけは書き残しておきたい」と考えていた著作があることを知った。それが『ザイム真理教――それは信者8000万人の巨大カルト』(三五館シンシャ)だった。幸いにも森永さんの病状は安定し、その後『書いてはいけない――日本経済墜落の真相』(フォレスト出版)も著すのだが、わたしはこの2冊は森永さんの晩年の偉業の双璧だと思う。
それぞれの内容については個人の書評を含むいろいろなところで多数取り上げられているので、ここでは述べない。わたしが「偉業」と考えるのは、この2冊にはまさに、世間的にはまさに「書いてはいけない」、「書くべきではない」「書いたらまずい」(場合によっては命すら危ない)、ふつうに考えても「わざわざ書いて波風を立たせる(あるいは自分を追い込む)必要もない」ことが中心テーマだからだ。
(ほかの近著をまだ読んでいないので便宜上2冊としたが、この2冊をはじめとする他の近著もおそらく、同様の発想と立ち位置で書かれていると思われる。)
十分に功成り名を遂げたと言っていい森永さん。悠々自適の老後を送るという選択は十分にあり得ただろう。60代は世間的にはまだ若いが、あえて言えば老年期に差し掛かり難しい病気も抱える中で、世間を騒がし、あえて敵を作る所業を選んだのはなぜか。そこには義憤というか、世の中(日本社会)を意のままに操ろうという勢力への憤りがあった、とわたしは理解している。
その一大勢力が財務省であることを森永さんは『ザイム真理教』で暴いた。『書いてはいけない』では、昭和60(1985)年の日本航空機墜落事件の経緯や関連報告等を詳細に辿ることで、政府やその意を受けた企業は、たやすく事実を隠蔽することを指摘した(同著では一連のジャニーズ事務所事件などにも触れている)。加えて、そこに加担しているのが大手メディアであることも指摘した。
森永さんは『ザイム真理教』の構想を複数の大手出版社に持ち込んだそうだが、結果として(当然)どの出版社からも断られた。賛同してくれた三五館シンシャから世に出た後も、財務省からの有形無形の横やり、嫌がらせを恐れる大手メディアは書評を取り扱わなかった。主要なテレビ局からも出番がなくなった。
森永さんは人生の残り時間を「何に」使うかを真剣に考えたことだろう。結論として、世の中の理不尽さ、その根源となっているもの(組織)を指弾することに決めたのだ。
森永さんが本を著すに至った経緯や、指摘したかった問題の実態は著作に詳しいが、権力を持ったもの(組織、ヒト)がどれほど傲岸不遜で、非礼非情であるかが読むほどに伝わってくる。いや、あちら側の人々は当たり前のことをやっていると思っているかもしれない。それくらい、権力側(政治的権力とは限らない)の人々の意識は、そうでない側の人々の感覚とは乖離している、あるいはしていくのだということを、まざまざと教えてくれている。
先(2024年11月)の衆議院議員選挙で国民民主党が「103万円の壁」の打破を提唱して以来、国民の財務省への風当たりが強くなった。国民は世の中の理不尽さの根源がなに(どこ)にあるのか理解し始めた。少なくとも気づきを与えられた。その根源をよりわかりやすく、同時におもしろくわたしに教えてくれたのが森永さんの著書だった。
「だった」と過去形にせざるを得ないのは、愛読者としてはとても悲しい。しかし、余命という制約がなければ、森永さんはあんなに濃い密度で本を書かなかったかもしれない。その意味では森永さんの運命に感謝すべきなのだろう。森永さんと同時代に生きていられたことにも。
もうありきたり過ぎて自分に呆れるが、やはりこの言葉でお別れを述べたい。「森永さん、ありがとうございました。これまでの分もゆっくり休んでください」。そして「森永さんが蒔いた種は、必ずたくさんの人が引き継いでいきますよ」と。
【お詫び】掲載当初、森永さんの都市近郊生活を「ちかいなか」としていたのは「」の誤りでした。お詫びして本文を訂正いたします。