文字を持たなかった明治―吉太郎28 後妻さん
昭和中期の鹿児島の農村を舞台にして、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に庶民の暮らしぶりを綴ってきたが、新たに「文字を持たなかった明治―吉太郎」と題し、ミヨ子の舅・吉太郎(祖父)について述べつつある。
ここのところは、先月帰省した際のエピソードなどにかまけてずいぶん道草を食ってしまった。そろそろ吉太郎の話に戻ろう。
吉太郎の物語では、6人きょうだいだった吉太郎に家族が増えていく様子を追ったあと(大家族①、②、③、④、⑤、⑥、⑦、⑧)、手元の除籍謄本のうち三番目に古いもの(便宜上【戸籍三】とする)を眺めつつ、引き続き吉太郎きょうだいの動向を見てきた。
そして「婚姻」でようやく吉太郎自身の話題にたどり着いた。同じ地域の少し離れた集落から「婚姻」によりハル(祖母)が、吉太郎の兄で戸主の庄太郎にとっての「弟妻」として、一家に「入籍」してきたのだ。戦後の民法のように結婚により新たな戸籍を作るのではなく、中心はあくまで戸主である。昭和3(1928)年3月、吉太郎48歳、ハル38歳のときだった。
同時に、吉太郎の長男・二夫(つぎお。わたしの父)も戸主の「甥」として入籍している。つまり、結婚して子供を授かったのは「婚姻・入籍」のずっと前だった。これについては前項(息子の「入籍」)で述べた。
そして、吉太郎は再婚だったはず、という疑問も呈した。
「ハルばあさんは後妻さんで、二人とも再婚だったから、結婚したときはどちらも年をとっていたんだよ」
ミヨ子はときどき二三四(わたし)に語って聞かせた。同じ集落、地域の舅・姑たちに比べ、吉太郎もハルも――つまり子供たちにとっての祖父母は二人とも――かなり年をとっていることの理由を説明したかったのかもしれない。
二三四にとっては、「おじいさん、おばあさんたち」は、みんな皺があって腰が曲がっていて、自分の祖父母がとりたてて年を取っているようにも思えなかった。ただ、同じ集落にあるミヨ子の実家にいる「じいちゃん、ばあちゃん」、つまり母方の祖父母のほうは、いっしょに住んでいる「じいちゃん、ばあちゃん」ほどは腰が曲がっていなかった。
ミヨ子は時々付け加えた。
「父ちゃん(二夫)は、じいちゃんたちが年を取ってからの子供だから、ひとりっ子なんだよ。一人だから大事にされたんだよ」
ひとりっ子が大事にされる(であろう)ことは子供の二三四にも理解できたが、年を取ると子供ができない(らしい)ことはよくわからず、そんなものなのかな、と思うだけだった。