(きちんと)話せばわかる(だいたい)
クラスの生活指導案件が山積していてつらい。こういう時、ポジティブなアタシは「大変な生徒をたくさん抱えてアタシは偉いよ」と思うが、ネガティブなワタクシは、「私の日々のかかわり方に問題があるから、生徒が落ち着かないんだ・・・」とめちゃくちゃ自責の念にかられている。
仕事ができる(かどうかはさておき、キャリアの長い)教師は、後者の捉え方をする人が多いように感じる。だから、若い先生が「君がもっと生徒とうまく関わっていれば・・・」みたいなことを言われていると、とてつもなく気の毒になる。何事も起きていない教室で、40人ほどもいる生徒全員とうまく関わることなんて、そんなに簡単なことじゃないでしょ。できて褒めるならまだしも、できなくて文句言われちゃいやになるよと。
私は、仕事ができるわけでもなく、若手でもなく、かといってキャリアは長いので、ポジティブなアタシとネガティブなワタクシに挟まれて気持ちが揺れるのであります。
ただ、日々中学生と接していて強く思うことは、「ちゃんと話せばだいたいわかる」ということ。「ちゃんと話す」というのは、一方的に「こうすべきだ!」ということを伝えるのではなく、いうなれば「ちゃんと聞く」に近い。難しいのは、この「聞き方」。「どうしたんだ」とか「なにがあったのか、話してみろ」とかそんな単純な聞き方ではなく、相手が話したくなるような雰囲気作りから、質問の仕方まで、かなり工夫が必要。警察ってこういう技をどうやって身につけているんだろう。警察官(取り調べ担当の人)と合コンしてぜひ聞いてみたい!(聞かれる警察官にメリットなし)
ちゃんと話しせば(というか聞けば)、相手が何を考えているのかがわかるのは当然で、何を考えているのかがわかれば、そこからどうしていくのかをようやく考えられる。要するに、「指導」のスタート地点に立つことが出来る。うーん、長い道のりだ。
「指導」がスタートすると、今度は一般的(というか学校内モラル)な価値観と、本人の価値観の差異を明らかにして、その差をどう埋めるなり解消するなりぼやかすなりしていくかを考えなければならない。これがまた難しい。だって、人間って自由でいたいじゃん。縛られたくないじゃん。無意味な決まりに従いたくないじゃん。どんな大人になろうが、他人を傷つけたり自分がくすぶったりしない限りいいじゃん別に。という多様性の海をどう泳いでいくか、、、、、かつてウインドサーフィンをやっていたころは、風向きを読めば進むべき道は見えてきたけれど、教育という大海原の舵取りはこうも難しいだなんて・・・・。
私の大好きな曲に、フリッパーズギターの「すべての言葉はさよなら」というのがある。生徒指導をしていると、いつも頭の中をこの曲がリフレインする。
生徒が問題行動を起こして、話を聞いて、何を考えているのかがわかって、
「わかりあえやしないってことだけを、わかりあうのさ」
ってかんじ。
私もまだまだ心は新米教師だな!娘のお迎えいこ。
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