第3回《Non ascoltare la voce》って可能なの?!
いやー、ずいぶんご無沙汰してしまいました。
落ち着いて文章を書く時間が取れなかった、というのが主な理由ですが、この一年以上の間にはいろいろなことがありました。
まず、フレーニ先生が学校をお辞めになってしまったということ。これは新聞記事にもなったり、ちょっとした騒動だったのですが、ここで書く内容では無いので割愛します。
その後、僕自身といえば、会社を立ち上げたり、プッチーニ・フェスティヴァルでジャンニ・スキッキを歌ってきたり、いろいろとあったわけです。
個人レッスンには先生の体調が回復し次第伺いたいと思っていますが、まあ、オーディションのためなど、勉強する内容が見つかり次第ですね。定期検診みたいに行けるわけでは無いので。
さて前置きが長くなってしまいました。
このシリーズ気軽に書けて気軽に読める、と言うつもりで値段設定をしたのですが、いざ書き始めると「曖昧なことは言えないな」、とつい文章が長くなってしまっているので、今日はできるだけ簡潔に進めたいと思います。
・「声を聞くな」と言われても
先生はレッスン中、度々おっしゃいます。
「Non ascoltare la voce!!(声を聞くな!!)」
「何で喉で歌ってしまうかわかるか?自分の声を聞いているからだ!」
自分の声を聞くな、と言われても、聞こえてしまうし…、これ一体どういうことなんでしょう。
僕が日本にいる頃にも言い伝えのように聞くことがありました。
「自分によく聞こえる声は、お客さんにはよく聞こえない」
いやいやいや、自分に悪く聞こえる声が、お客さんによく聞こえるはず無いでしょ、それに、そんなつもりで歌うべきだというだけで、実際は自分にもいい声に聞こえるでしょ、なんて若い自分は思ったものです。
でも、フレーニ先生も似たようなこと仰るし、実際のところどうなんだろう…、と考えてみることにしました。今日は2つの観点から、その謎を紐解いていきたいと思います。
・「声を聞かないこと」の精神的影響
このシリーズで精神的なことを取り扱うなんて思っていませんでしたが…、まあ、たまにはいいですかね。
まず、オペラ、歌とは何なのか、と言うことから考えていきましょう。
オペラとは簡単に言えば、セリフが歌になっているお芝居です。つまり、特にデフォルメされた状態でなければ、歌詞はセリフですから、その役があたかも喋っている状態で歌わなければなりません。そうでなければないほど、リアリティから遠ざかっていくものでしょう。
では、日常において、何かを人に伝える時は声をどのように扱うものでしょうか。
例えば、誰かに話しかけるとき、というのは、自分がどのような声を出しているかを聞きながら話すものでしょうか?
そうではありませんね。もちろん、後になって、自分の声はどうだっただろう、と考えることがあったとしても、その人に言いたいことを伝えようとするだけで、勝手にある単語の声が大きくなったり、ゆっくりになったり、していませんか?
たとえば、耳元で囁く時はどうでしょう。勝手に空間を狭くし、声帯を息が漏れる状態にし、音量をコントロールしていませんか?これくらいの音量で喋ろう、と思って小さい声にするわけではありませんね。
遠くの人に向かって、叫ぶように伝える時はどうでしょう。こんなフォームで、これくらいの音量で、なんて考えませんね。大きい声を出すように、伝わるように、筋肉が勝手に働いてくれますね。
なお喋っているときと歌っているときは使う筋肉が同じだという話もあります。今回のテーマから少しずれるので、参考までに。
参考:喉ニュース「しゃべるときと歌うときに使う筋肉は違うの?」
つまり、自分の声がどうであるかを聞きながらしゃべる、というのは決して自然な状態では無いのです。これは演技としても外に見えてしまうことでしょう。わざとで無い限り、お勧めできません。
ただし、それぞれの方に癖というものはあります。個人的にはその癖を直す、または、伸ばしていくことが、発声トレーニングでは無いかと思います。
これは、ボローニャでメトロポリタン歌劇場などで活躍された、ジュリアーノ・チャンネッラ氏のレッスンを聴講していた時に、氏がおっしゃったことですが、
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