タンホイザーの涙 教皇の宣告Ⅱ

研究室に入り、フリーアドレスの机に鞄を置くと筆記用具を取り出した。スケジュール帳とボールペン一本で事足りるだろう。桜井は研究室の奥にある教授部屋に向かった。自信に満ちて3回ノックをすると中からどうぞ、と声がかかった。戸川はグラスコードの付いた鼈甲の装飾が美しい眼鏡をかけてデスクの前に座っており、手元には模擬試験の結果があった。その表情は険しい。桜井は思いがけない表情に眉を潜めた。「おはようございます、戸川教授。昨日いただいたメールの件で参りました」桜井は不安を押し殺すように、明るく声を出した。「昨日、模擬試験の結果が届いたのよ。私が研究室長として先に目を通させてもらったけど桜井君、貴方どうしたのよ」挨拶も無しに戸川はそういうと、模擬試験結果を桜井に寄越した。受け取った桜井の目に飛び込んできたのは総合判定欄のDの文字であった。桜井は頭から冷たい汗が噴き出る感覚に襲われた。実際にはそこまで汗をかいていないにも関わらず、汗が首を伝う感触までした。模擬試験結果が記入された紙は手汗でじんわりとよれ始めている。どこが悪かったのだろう。混乱している桜井は冷静に分析することができないでいた。しばらく黙り込んでいると戸川が口を開いた。「そういう結果も出ることはあるけれど、緊張感が足りないんじゃないかしら。私は貴方が人一倍、研究熱心なことは知っているわ。けれど現実問題としてペーパーテストをクリアしなければ臨床検査技師として研究することはできないのよ。その点、理解してる?」戸川は正論を桜井に突きつけた。しかし、桜井は未だに放心状態である。こんなに頑張ったのに、結果が付いてこない。大学入試時の悪夢を思い出した。そのときは模擬試験で順調に良い成績を納めていたのに、本番でつまずいた。今回は模擬試験でさえ結果を残せないのだろうか。桜井の頭には暗く先の見えない未来ばかりが広がっていた。そんな桜井の表情を察してか、戸川は先程とは打って変わって優しく声をかけた。「桜井君、貴方の頑張りを私は本当に知っているのよ。貴方のおかげで研究も随分と進んだわ。貴方が勉強をサボっているとは到底思えない。良かったら貴方の勉強方法を教えてくれないかしら。私に出来ることがあれば協力は惜しまないわ」ようやく桜井は意識をその場に戻した。「あ、ありがとうございます。過去問題集を中心に配布された資料を自分のノートにまとめることをしています」桜井は端的に述べた。「そう。そのやり方に間違いはないはず。でも、それで上手くいってない結果がきた。私ならだけど、ーー」桜井は戸川の緊急レッスンに耳を傾けながらスケジュール帳のメモ欄へ必死にペンを走らせた。

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