自分にとって何が大切なのか、何が無くても良いか、何が必要なのか。 これを具体的に挙げておくと、 目指す場所が青天井では無くなる。 私の場合、達成まで途方も無い状況だと認識してしまうと無力感を感じてしまう。 そうならないためにも具体的に設定する。 お金にしろ物欲にしろ。 すると、動きやすくなる。 本日はこの辺で。
やらかしてから一週間も経たないうちに、 またもや、やらかした。 先ほど、そういえば昨日は開いたか怪しく思って noteの履歴を見て発覚。 やることが多いのかもしれない。 ここはひとつ、不定期という選択肢を取る。 ルーチンであったものを忘れるくらいだ。 身体の変化がきっとある。 身構える。 本日はこの辺で。
仕事先で新たな体験をした今日。 とてつもない緊張感に疲労困憊である。 できれば二度とやりたくはない。 けれど、今回のこの経験をしなければ 感想も出てこないだろう。 今回は疲労によってしんどい思いをしたが、 初めての経験で恥をかくことも大いにある。 この経験を糧にできるかどうかで、 今後の人生の歩み方が変化していくのだろう。 いつでも新しさを求める気持ちを大切に。 本日はこの辺で。
制作物のミッションが下ったとして。 クオリティをいつまでも上げようとすれば正直に言って、いつまで経っても完成しない。 そこで、設けられている納期。 この納期がゴール。 1秒でも過ぎればアウト。 その制作物は自己満足でしかなくなる。 納期のギリギリまで攻める必要は無い。 時間をかければ良いものができるのは誰でもそう。 如何に早く、とまでは言わない。 如何に正確に自分のできる限りを尽くして、 完成させられるかが重要。 そこに余裕が加わると、心地良さが醸し出される。 全力を注いで良
私は人に対する好き嫌いが激しい方であると自覚している。 特に自分周辺の人間には顕著に現れてしまう。 自分の頭の中で「コイツはこういう事したから嫌い」と斬り捨ててしまう。 しかし、そこに待ったを掛けてくれる友人がいる。 彼は小学生のような悪ノリを誰に対してもする代わりに交友関係は幅広い。 彼を嫌ってる者の話も聞いたことがない。 彼に私の嫌いな人間の話をすると、案の定、根掘り葉掘り理由を聞かれる。 頭の中のことをそのまま話してみる。 するとどうだろう。 自分がどれだけちっぽけなこ
連続投稿が途切れた。 こんな日もある。 しょげてる場合じゃない。 もう一度、挑戦。 挑戦し続ける。愚直に。 才能が無いから、愚直に取り組み続ける。 しつこく食いさがる。 自分に負けてたまるか。 本日はこの辺で。
なんだか怪しげなタイトルになった。 YouTubeで西村ひろゆき氏が語った言葉を引用させてもらった。 その通りなのである。 犯罪に手を染めなければ楽しいことをすれば良い。 もちろん、その過程でツラいことはあるだろが、 そこも楽しんでいきたいものだ。 楽しむ工夫は人それぞれにあるのだから。 独りで頑張るも、他人に助けを求めるのも自由。 私は圧倒的に後者を勧める。 本日はこの辺で。
学生でも新入社員でも耳タコ用語と思われる、 「素直になる」。 穿った見方をする人なら「どうせお前(上司)の都合の良いようにしたいだけだべ?」なんて言うかもしれない。 そうじゃないんだよね。分かってる人は多いでしょうが。 Googleで「素直」と調べると一番先頭に、 「考え・態度・動作がまっすぐなこと。」 と出てくる。 理解したくない人は「まっすぐじゃない」ことが分かってしまう。 これに加えて(というと偉そうだが)、受け入れる姿勢がある、とも言えると私は考える。 相手に支配され
朝一番に一日の計画を確認、実行に移すことができれば、どれだけ充実した日になるだろう。 いつも朝に時間を作れずに気分を下げていた。 朝に立てられなかったら、途中でいいじゃないか。 そう開き直って午後3時前に、その日の残りの計画を立てた。 すると、完全にその通り上手くいくことは無かった。 しかし、着実に前進しているのだ。 無計画の時よりも確実に「何も無い時間」がなくなった。 完璧主義で計画を立てる訳でなく、今から作ってみる。 そこからなんだな、と。 本日はこの辺で。
誰にでも習慣があるように、「ここでなら集中できる!」という環境が必ずある。 それは「静かで片付いたスペース」とは限らない。 私自身そういう空間を作ってみたが、すぐに自分で物だらけにしてしまい、「片付いた」環境では無くなる。その上、音がしないことが落ち着かない。 つまり、「静かで片付いた」だけでは私が集中できる空間とはなり得ないということだ。 だとするならどうするか… という風に自分の集中できる、リラックスできる、元気になる環境を意識的に考えてみることは大切だと私は思う。 なん
昨日は自分でも驚くほどに寒さにやられていた。 記事の内容も薄ーくなってしまった。 しかし、そんな日が連日続くことは無くて、今日は調子をいくらか取り戻すことが出来た。 それも計画を立てていたからかもしれない。 図書館にてキャリア関連の本を借りた。 ありがちな文句が並べてあるだろうと予想はしつつも借りた。 結果、借りてよかった。 よくあるハウツー本とは異なる、と前書きには書いてあったものの、 確かにハウツー本とは異なっていて、いわゆる、 「これだッ」という感覚を
動かなかった。 動けなかった。 手足の末端が冷えて引きこもった。 毎日続く悪夢。 考えない頭。 温めても温めても冷たい指先。 一寸先が本当に闇。 計画で照らそうとも思えない。 締め切りは近づく。 本日はこの辺で。
先に紹介した上司やSNSによって、 心がささくれ立ってしまう最近。 愚痴と言われれば、それまでだが、 信頼できる年長者に意見を求めた。 他人から思いもよらない、目から鱗!のような意見を提供してもらえることは、 私の経験上、ごく稀だった。 しかし、それは「人による」らしい。 「他人に思いやりをもたなくても良い」 一見、何言ってんだと思うだろうが、 私が再三主張している自分自身を大切にしてあげるにあたって重要なことだと感じた。 今まででも同じような表現は知っていたにもかかわらず、
タイトルが少々、ミスリードかも知れない。 具体的には便所掃除をしよう、と言い換えられる。 もちろん、皆と同じように自分でも嫌なことはあるだろう。 でも、たまに周囲の人が嫌がってやらないけれど私は平気な事はあったりする。 それを全力でやってみる。 できることなら成果を出す。 すると自分の評価がグンと上がらざるをえない。 下がることは無いと思って良い。 ただ、ひけらかしてはダメ。 さりげなく、やってやろう。 本日はこの辺で。
何かと自分の理解できないものには疑問に思ってしまう私。 高校時代には質問をした教師から「尋問みたい」と表現されたほど。 理解できないことなんて世の中に溢れているのに、尋問みたいになるほど突き詰めようとしてしまう。 突き詰められないと悩みのドツボにハマってしまう。 しかし今日、noteで私の悩みを解決に結びつけてくれる記事を見つけた。 その記事が完全に良いことを書いていて、誰にでも受け入れられてる訳では無い。 けれども私は救われた。 悩みを解決へと導くひとつの方法を得ることがで
上司との一対一での話し合いがあった。 身構えてはいたものの、やはり強い言葉を浴びせられた。 もちろん指導の言葉はある。 しかし、「言われなくてもいいはずの言葉」も含まれている。 しっかりと聴いて、「これは言われる筋合いがない」という趣旨の反論をした。 私の場合ではあるが、別に何を言おうと殴られたり殺されるわけではない。 指導は受けても、単なる悪口は断固として受け取らない。 自分を守るために。 さらに私は言われた悪口を相手が話し続ける最中にもオウム返しをした。 どの言葉に「傷付