益田甚兵衛について
こんばんは、miyazakiです。
先日、新作「鉛の十字1」を発行しました。島原の乱を舞台にした漫画作品です。
島原の乱を題材に漫画を描くのは8年振り2度目になりますが、前回とはキャラデザもストーリーも全く別です。
なので前回描き切れなかったポイントや、あれ以来自分の中に得られた新しい解釈なども踏まえてより良いものに仕上げていけたら…と思います。
今作の「鉛の十字」は1話ごとに主人公が変わる形式でやっていきます。
第1話目は天草四郎の父、益田甚兵衛を主人公にしています。
ですので、今回の記事では益田甚兵衛について軽く触れたいと思います。
益田甚兵衛好次(ますだじんべえよしつぐ)
Wikipediaを見ると1583年(?)〜1638とあります。今まで見た中では58歳説が多いかなぁと感じますが異説として63歳とするものもあり、振り幅はありますがまあ60歳前後かなぁということで…
元は大矢野の土豪出身で、小西行長の家臣となり宇土城下に移り住んだそうです。右筆やってたそうなので多分字が上手い。
関ヶ原の戦い後は帰農し、山城(渡邊?)伝兵衛の許に身を寄せる→伝兵衛の妹と結婚するも死別→千束善右衛門の妹(マルタ)と再婚
という流れらしい
この山城伝兵衛の子が渡邊小左衛門(四郎の姉婿、または四郎の姉婿の兄)ということで…
つまりこうですか?
ちなみに実際どうかは分からないですけど、四郎の前にも男児が3人夭折しているとかで、四郎は四男だから四郎なのか…?などとも思ったり。
甚兵衛の教名はヘイトロまたはアンドレアとしています。
四郎の場合も2つ洗礼名があり、海外の文献では「ジェロニモ」細川家文書には「ふらん志すこ」とあるそうなので、おそらく一旦棄教し再度キリシタンに立ち返ったことで2つの教名があるのかも知れません(推測ですけど)
(ちなみに私の創作では、甚兵衛に殉教した姉がいたりだとか甚兵衛自身が島原に住んでいたりとかしていますが、これらは全く根拠のないフィクションです)
私の創作島原の乱の漫画「鉛の十字1」はこちらで読めます↓