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計画を立てないと貧困になる
韓国の映画「パラサイト 半地下の家族」を見た。
DVDで。
この映画の感想を書くつもりはないが、監督がおそらくこれが言いたかったのではないかと思うメッセージを、僕は受け取った。
もしかしたら、言いたいことではないかもしれないし、間違っているかもしれない。
それは「計画を立てないと貧困になる」ということだ。
主人公の1人である、半地下の住居に住む家族の父親が、物語の終盤に「計画なんて立てないほうがいい。計画を立てるから失敗するのだ」と言う。
一方、その話を聞いた息子は「ある計画」を実行する決意を表して、物語が終わる。
息子は大学受験を失敗しているが、金持ちの娘の家庭教師をして、一旦は家族全員を救う働きをする上に、娘の恋心までつかむ。
…この説明だけではよくわからないかもしれないが、簡単にいうと、父親よりも才覚があるようにみえる。
ネットの評を見ると、韓国は日本よりもずっと格差が問題になっており、貧困層に生まれると何をしてもうまくいかないということを表しているのだというものが多いようだ。
僕が受け取ったメッセージとは全く違う。
計画をしないから貧困になるのであって、何をしてもうまくいかないと言ってはいないと思う。
どっちが正しいのかはわからない。
ともあれ、計画をすることは、人間が人間であるために大事なことだと思う。
何の計画もなく生きるということは、動物と大差のない人生を送ることだ。
計画をしなくても、人間は誰だって、動物と違って、道具を使ったり、言葉を使ってコミュニケーションしたり、さまざまな食材を使ったおいしい料理食べたりすることは出来る。
テレビを見たりインターネットの動画を見たり、旅行に行ったり、スポーツやゲームをしたりして遊ぶことも出来るかもしれない。
しかし、それは程度の違いであって、動物でも、遊んだりコミュニケーションをしたり、おいしいものを食べたりすることは出来る。
満足度は、その人が得られるものの程度によって変動するものである。
つまり、その人にとって相対的なものである。
毎日おいしいものを食べていれば、それが普通になって、満足はしなくなる。
では次に、絶対的な価値を比較してみよう。
鳥や動物は魚を食べるが、人間も(日本人なら)魚を生で食べる。
果たして新鮮でおいしいのはどっちなのか?
動物は性行為をするが、体になんら障害があるわけでもないのに、パートナーが見つからず、性行為ができない人間もいる。
このように考えてみると、人間は果たして動物よりも豊かなのだろうか?
人間が他の動物におびやかされることなく、多くの動物や植物、自然などを(ある程度)コントロール出来るのは、個々の経験を記録し、共有し、それに従って計画をすることが出来るためだ。
動物の性質を調べて、集団で効率よく捕まえたり、飼育したりする。
植物を栽培して、集団で効率よく育て、収穫する。
食べられるものを見つけるのは、最初に食べた人が(犠牲になることもあるかもしれないが)、他の人に食べられることを教えるためだ。
保存しておいた食料が、腐って食べられなくなるまでの期間なども、誰かの経験と、その情報を蓄積、交換することで明らかになってくる。
住居なども、手間がかかる一方で、だんだんと安全で快適なものを作るようになる。
それも、他の人のやってきたことが、言葉や文書などの記録で積み重なり、伝達されるからである。
つまり、集合知とそれを利用した計画が、人を人たらしめているのだ。
動物にはそれが出来ない。
DNAに記録された本能と目に見える世界だけが、先を見通すためのリソースなのだ。
それでは、長いスパンの計画は難しい。
人間は何週間、何か月、何年もかかる計画を作って、実行することが出来る。
そのために必要なのは、他の人間の得た知識の蓄積にアクセスし、他の人間とコミュニケーションをとり、時には自分の経験と考えを加えて計画を作ることだ。
農業には計画が必要だ。
畑をたがやし、種をまいて、水をやり、日々の世話をして、一番栄養が多い部分を、一番栄養が多いタイミングで効率よく収穫する。
収穫は多いほうがいい。
そのために何年、何十年、何百年とかかって、品種改良やノウハウが積みあがってくる。
全てのプロセスに自分や他の人の得た知見が関わっている。
いきなり成功することは難しい。
計画を立てるためには、知識を得るための勉強が必要であり、知識を組み合わせることも必要だ。
実行するには勇気や根気も必要だ。
計画を立てないということは、動物のように生きるのと同義だ。
動物のように生きていては蓄積は出来ない。
動物はその日に(その場で)手に入れた食料を、その日に(その場で)食べるだけだ。
これを人間にあてはめると、まさに貧困である。
一方、蓄積することは、豊かになること。
金持ちになることだ。
農業は最初に勉強や労力の投資をして、その後、何か月、何年も食料の心配なく暮らせるよう、たくさんの収穫を得る。
農業は人類が最初に立てた計画かもしれない。
計画を立てるということは、他人を協力させることにもつながる。
目に見える計画があれば、多くの人が同じ目的に向かって、行動することが出来る。
これが組織である。
この中で、計画を立てない人は、計画を立てる人に、収穫(お金)を分配してもらって生きるしかない。
ここで格差が生まれる。
もっとも計画にはレベルがある。
現代では給料をもらって生きる人も、通常、給料は1ヶ月単位であり、ボーナスも含めると半年、1年単位の計画が必要ではある。
また働ける年齢と、生きていられる年齢は違うから、働けなくなったけど、生きていられる年齢になった時に、どうするのか計画しているだろう。
子どもを育てていれば、子どもの成長に従い、資金の計画を立てている人もいるだろう。
学生時代にさかのぼれば、たくさん勉強して、いい大学に入って、給料の多い会社に就職するというのも、計画的な行動であるといえる。
一方、個人ではなく組織の計画を立てるのは、国や自治体の運営に関わる政治家や、官僚、行政職員、会社やその他の団体の代表と役員などだ。
計画のレベルとはこういうことである。
さらに組織の中にも、小さい組織構造があり、それぞれに計画を立てるリーダーがいることもある。
組織レベルにせよ、個人レベルにせよ、計画を立てる人は、比較的、裕福に暮らすことが出来るものである。
計画には知識、投資が必要であり、その成果は蓄積である。
計画をしないと蓄積は出来ず、その日暮らしになってしまうのだ。
誰もが計画を立てて実行することが大事だと教えられるが、今一つピンと来ないため、多くの人が聞き流している。
僕もこの年になるまで、あまりよくわかっていなかったかもしれない。
やっぱり計画は大事なことなのである。