壁は人類のアイデンティティ
2日前にsofo cafeの壁を作った。
説明すると長くなるが、なるべく簡単に書くと、sofo cafeになる建物は、蕎麦屋を経営していた前のオーナーから、現在のオーナーが買い取ったものだ。
現在のオーナーは土建業をするかたわら、副業で飲食業をはじめようと考えていた。
震災復興の工事で、他の地域から職人を集め、工事現場に送っていたが、その職人たちが雨の日などで仕事が出来ない日もある。
その余った人手を使って、飲食店の工事をしようと考えていた。
ところが、あまりの忙しさに飲食業を断念。
中途半端な状態になっていたところを、sofoが続きを引き受けることになった。
現在のオーナーにはいくつか構想があったが、その一つが、壁になっているところに窓を作って、屋外に坪庭を作り、それが見えるようにすることだった。
その構想を実行するために、モルタル塗りの外壁にカッターを入れ、下地の間柱を切り、壁に穴をあけた。
幅は柱から柱までの間、約180㎝、高さも約180㎝の大きな開口だ。
内壁のプラスターボードも撤去したが、その仕事はきれいではなく、上下の部分がギザギザになっている状態だった。
壁を壊してみると、そこには筋違い(すじかい)があり、その筋違いは残っている状態だった。
これについては賢明な判断だったと言える(筋違いを取ってしまうと、耐震性が低下する)。
いったんあけた穴には、内側からベニヤが3枚横方向に貼ってあって、雨風を簡易的にしのいでいる状態になっていた。
外側はむき出しだ。
僕は当初、この簡易的に貼ってあるベニヤに、ペンキでも塗ればいいと簡単に考えていた。
しかし、いざやろうと思ってよく見てみると、柱から柱の1間(1820㎜)の間にあった間柱を切ってしまっているため、その両端の柱だけにベニヤが留めてある状態。
とても「壁」とは呼べない状態だったのだ。
外から、そこを蹴破って入ることも簡単だっただろう。
さらに細かく見ると、元々は柱と間柱に胴縁が留めてあったようなのだが、それも撤去してしまっているため、既存の石膏ボードと、ベニヤが段違いになっている。
しばらく途方に暮れていたが、これを自分でどうにか出来るか考えてみた。
これまで、釜石と地元の白子でDIYリノベーションをしてきたが、内壁に漆喰を塗ったり、ペンキを塗ったり、床を貼ったりしたことはあっても、壁を、しかも外壁を作ったことはなかった。
しかし、僕は建築士であり、木造の設計もできる。
知識はある。
間柱を3本入れて、胴縁を打てばいい。
そして、すでに貼ってあるベニヤを、その胴縁にビスを打って留めればいいのだ。
間柱も胴縁も、最寄りのホームセンターサンデーにありそうだ。
間柱は本来ならホゾ加工して土台に差すものだが、これはできそうにない(その気になれば出来るかもしれないが、時間がかかるし、最初は失敗しそうだ)。
でも考えてみると、間柱も何もない状態で、ベニヤが留めてある状態よりは、ホゾ差しができなくても間柱があるだけで、はるかにいいはずだ。
間柱は土台にL型金物でビス留めで問題ないのではないか。
また、既存の間柱は、開口部と同じ高さ、土台から180㎝ぐらいの高さで切られている。
新しい間柱の上部は、その間柱に沿わせてビス止めでよいということにした。
外壁はどうしよう。
よく見ると、柱と間柱の上に、割れ物を宅配便で送るときに緩衝材として使われているような、薄い断熱材のようなものが貼ってあり、その上に防水のアスファルトルーフィングのようなものが貼ってある。
さらに、その上に木ずりを打って、モルタルで仕上げてある。
薄い断熱材のようなものは手に入るかもしれないが、アスファルトルーフィングはホームセンターで手に入るだろうか。
木ずりを打つのは出来たとしても、モルタルを練って塗るのはうまくできるだろうか。
たぶん、ラスも貼らないといけないだろう。
そもそも、工程と材料の種類が多くて大変だ…
などと思った。
思いついたのは、外壁についてはポリ波板を買ってきて貼れば簡単ではないかということだ。
ポリ波板の上の部分は本来なら、水切りでもつけないと雨が侵入するが、風向きの関係と、上に2階の外廊下がせりだしていることから、雨がかかることはほとんどないように思える。
ポリ波板なら、内壁と同じように胴縁を打っておいて、そこに傘くぎを金づちで打つだけなので、素人でもできるだろう。
「うん、出来る。僕にも出来るぞ…」
土曜日の午後、そこまで考えて、とりあえずホームセンターサンデーで材料を見てくることにした。
間柱の材料は30mm×105mmで、長さが2mのものがあった。
僕の車は軽自動車だが、測ってみたら2mまでの細長いものなら、なんとか運べそうだ。
胴縁は18㎜×45㎜の長さ1820㎜で、10本で一束になっているものがあった。
既存の柱が105㎜角、既存の胴縁の厚さは18㎜と確認してあった(現在でも普通に使われるサイズだ)。
金額も大したことはないので、その場で購入することにした。
間柱を土台に留める金物も3つ購入した。
現場に戻って、すぐにやってみたくなった。
持っている道具は丸ノコと、充電インパクトドライバー、金づちやノミ、差し金などの手動の道具も大体そろっている。
墨ツボが欲しいと思わないでもないが、今回は差し金と鉛筆あたりでなんとかしよう。
間柱をビスと金物で取り付けるのはわけもないことだったが、問題は筋違いが接する部分を切り欠かないといけないことだった。
それも鉛筆で切り欠く部分を記して、丸ノコとノミを使って、無事切り欠くことができた。
もちろん大工の仕事ほどピッタリではないが…
次は胴縁だ。
ここで一つ問題が発生した。
12㎜のベニヤは購入せずに、簡易的に貼ってあったものを流用しようと思っていた。
なぜならベニヤは僕の軽自動車では運べないからだ。
でもそのベニヤの規格がちょっと変だった。
通常であれば910㎜×1820㎜の大きさなのだけど、それは900㎜×1800㎜のものと、910㎜×1820㎜のものが混在していた。
少し悩んだが、そのまま使う2枚を900㎜規格にして、上に910㎜規格のものを切断して貼ればいい。
胴縁は900㎜のものに合わせて、450㎜間隔で取り付けることにした(910㎜の場合は455㎜間隔にする)。
上は、天井のすぐ下と、その中間に取り付けた。
これで下地は出来た。
このあたりで、通常作業を終えるべき17時になっていたが、壁がオープンになっているので貼ってしまわなければいけない。
丸ノコの音で近所から苦情が来るかもと思ったが、屋内でドアをしめて続けることにした。
下の2枚は前述したように切らずにそのまま貼ればよかった。
問題は上の2枚だ。
あらかじめ、ギザギザになっていた既存の石膏ボードは、ノミを使って巾木と廻り縁の面まで撤去してあった。
下の2枚をはり、残りの高さを測ると、645㎜だった。
910㎜×1820㎜のベニヤを丸ノコで切断した。
ここで、墨ツボが欲しいところだが墨ツボはない。
短い差し金を使い、少しずつ鉛筆で線を引いて切断するときに目標にするラインとした。
切るのも、台ノコか何かがあればいいのだろうが、そんなものもない。
ハンディ丸ノコで慎重に切ったが、どうしても少しは波打ってしまう。
でも、この壁には漆喰の「うま~くヌレ~る」(そういう商品名なのだ…)を塗ることにしたので、少々の隙間は埋めてしまえるから問題ないだろう。
切断した板は、最初は入らないかと思ったが、向きを反対にしたり、ちょっと叩いたりして、なんとかはめ込むことができた。
あとはビスで止めるだけだ。
ビスを打つにつれて、壁がしっかりしてくるのが快感だった。
ドア枠との取り合いで、少し寸足らずだったところも、残ったベニヤを細く切って埋めた。
大工が貼れば、もっと隙間なく貼るだろうが、彼らには道具がある。
墨ツボも台ノコもレーザー墨出し機もある。
もちろん、腕もある。
僕としては思った以上の首尾で、なかなかの充実感だった。
今までいろいろDIYで作ってきたが、これほどの充実感はなかったかもしれない。
2日たった今日も、時々、スマホの写真を開いて見ては悦に入ったりしている。
我ながら、なぜこんなに余韻に浸っているのか不思議に思った。
その答えと思しきものが、この本にあった。
アメリカ人の女性が、自らの体験を綴ったエッセイで、新聞記者から大工に転職した顛末を書いている。
その名も「彼女が大工になった理由(わけ)」。
邦題の良しあしはともかくとして、この本には建築や道具について、哲学的な考察が随所に登場する。
偶然にしては出来すぎていると思うのだけど、僕が壁を作った翌日に読んだ章では、著者のニナ・マクローリンが師匠のメアリーと、ある店に壁を作っていた。
ニナたちが作ったのは、間仕切り壁で、外壁ではないのだけど、手順は似ているところがある。
まず床と天井に2×4材を取り付ける。
2×4(ツーバイフォー)材というのは2インチ×4インチ(日本のホームセンターで売っているのは38㎜×89㎜)の断面の木材だ。
その両端に同じように柱となる材(サイズは不明)を立て、中間に16インチ間隔で間柱を立てる。
16インチは約40㎝だと書いてある。
今回僕が立てた間柱の間隔は455mmであり、近い数字と言える。
その通り抜けられる檻のようにも見える下地に板を貼り、巾木と腰壁、廻り縁を付けて、残った板の部分はパテ処理して、ペンキで仕上げた。
数日後の休日、ニナは壁を作ったことが誇らしくて、その辺りを歩き回る。
昔、その店の近くに住んでいたことがあり、自分は壁の作り方を知っていて、(壁の作り方を知らないであろう)以前の知り合いにそれを自慢したかったのだ。
なぜ、壁を作ったことが誇らしいのか、その理由は、人類の歴史をさかのぼることでわかる。
原始時代の人類にとっての壁は、洞窟の壁、または母親の子宮の壁であった。
次に動物の皮を吊るしてテントの壁が作られた。
中世には外部と内部だけでなく、寝室と食事する部屋を分ける壁も作られた。
アメリカに入植がはじまったころのニューイングランドでは、動物が住むところと、人間が住むところを分ける石壁が38万キロにわたって作られたという。
壁は雨や風や動物から人間を守るし、同じ人間からも守る。
トイレやセックスが安心してできるのも壁があるおかげだ。
…というのが、ニナの壁についての考察だ。
なるほど、壁のことをそんなに深く考えたことはなかった。
sofo cafeの以前の壁は、隙間から風が吹き込み、風が強ければグラグラするような、頼りないもので、外と中をしっかりと分けているとはいいがたかった。
内側だけではあるが、自分の力だけで壁を作り、以前よりはしっかりと外と中を分けることができた。
これにうま~くヌレ~るを塗れば、さらに隙間をなくすことができるだろう。
そう、僕は壁の作り方も知っている。
たぶん、この穴をあけて、簡易的にベニヤを貼った人よりも知っているように思う。
105㎜の幅の柱と間柱に、既存と同じ厚さ18㎜の胴縁を打ち、既存の石膏ボードの厚さは12㎜(あるいは12.5㎜)なので、12㎜のベニヤを貼れば、ほとんど面がそろう。
以前はあった段違いが解消できた。
こんなことは、木造の設計をする建築士なら、当たり前に知っていることだけれども、考えてみると確かに、ほとんどの人は知らないだろう。
しかし、それ以上に意義のあることとして、壁は人類にとって、重要なものだったのだ。
もし壁がなく、動物のように外で暮らしていたら、人類は今のようなものではなかっただろう。
猿のように木の上で暮らしているかもしれないし、排便やセックスも、他の個体に見られる可能性があるところでせざるを得ない。
人類のアイデンティティには、壁が深く関わっていることを改めて認識できた。
壁を作ることは、壁の内側のインテリアなどをDIYすることとは、根本的に違うことだったのだ。
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