見出し画像

小さな社会

最近、社会とはなんなのかということについて、考えることがある。

グローバル社会、グローバル経済という概念が浸透する一方、全く対極に小さい経済圏を志向する動きも出ているように感じる。

地方移住の流れもそれに沿ったものであると考えられる。

複雑にからみあったサプライチェーンと、巨大な生産ライン、海外の安い労働力と運搬費などを利用して、大量に安く市場に供給される商品。

資本主義をつきつめた結果、どんどん合理的な形になってきたと言えるだろう。

しかし、災害や国際紛争などによって、サプライチェーンのもろさが浮き彫りになる事態も多発している。

東日本大震災後には、工場が被災したことで、キッチンの部材がなくなり、キッチンが建築現場に入らなかったり、合板や断熱材のグラスウールが不足したりした。

コロナ禍では巣ごもり需要によって、半導体が不足し、自動車をはじめとして、工業用機械や建築設備機器なども生産できなくなった。

コロナ対策のための海外の経済政策によってウッドショックが起こり、木材が不足、高騰していた上に、ウクライナ情勢によって合板や集成材などのエンジニアリングウッドが異常な高値になっている。

ウクライナ情勢によっては、他にもガソリン価格の高騰、小麦粉の高騰などにより、家計をダイレクトに圧迫される事態となっている。

東日本大震災より以前には、何の関係もないアメリカの住宅(サブプライム)ローンの破綻によるリーマンショックで、日本にも不景気の波が押し寄せた。

これらはまさにグローバル経済の弊害であろう。

そもそも社会や経済というのはなんなのか。

人間は社会を形成することで発展し、地球上の他の生物に先んずる存在となっていることは、誰もが感じていることだろう。

集団によって安定的に食料を得ることが出来、複数のヒトの知識を集めて共有することが出来、分担することでさまざまな便利なものを作り出すことに成功した。

また、貨幣の発明によって、効率的に生産した食べ物や道具や衣服、装飾物などを交換することが出来る。

最初は小さな社会であったことが推測される。

民族、言語、通貨、住む地域などによって、細かく分かれており、互いにそれほど交流の必要もなかった。

それが何万年かかけて、それぞれの集団同士の戦争なども繰り返しながら、現在のようになったのだろう。

言葉や通貨は分かれたままではあるが、英語という共通語を通じて、また為替によって、交易、交流が容易になってきている。

小さな経済への志向は、原点回帰という側面があると思われる。

以前、釜石で運営しているco-ba kamaishi marudaiが所属するco-baネットワークの会合が渋谷の本部で行われ、参加したことがある。

その時、ある拠点のコミュニティマネージャー(管理人)が、「物々交換は税金がかからないからいい」という話をしていた。

法律上、物々交換なら税金がかからないのかは不明だが、実質的には少額のものであれば、まぁ税金を取られるということはないだろう。

このような考え方こそ、地方の経済を支えるものでもある。

よく地方では収入が少なくても暮らしていけるというが、それは食べ物が近所の人からもらえたり、野菜を庭で作ったりしているので、食費がかからないなどの理由からである。

釜石に住んでいるとそれを実感する。

野菜や山菜、秋には栗や松茸(!)をもらえることもある。

ワカメや魚などの海産物、新鮮な生ウニ(!)などももらえることがある。

一般的に岩手県の沿岸は収入が少なく、釜石市の求人を見るとフルタイムで基本給が15万円から20万円を切るぐらいのところが多い。

地元の鈴鹿は都市部というほどでもないが、20万円を切る求人は、あまり見当たらない。

しかし、少なくとも食生活については、なかなか贅沢なのではないかと思う。

家賃は釜石はなぜか例外的に高いのだけど、それは一般的なアパートの話で、空き家などを安く借りている人も多いようだ。

さまざまなレイヤがあるにはあるが、低所得でもなんとか暮らしていけるという様子である。

そのようなもともとあった地方の暮らし方に、若い人が改めて目を向けたり、シェアリングエコノミーという言ってみれば新しい概念を吹き込んだりしようという動きがあるのが現状であろう。

釜石大観音仲見世リノベーションプロジェクトの活動も、そうした小さいコミュニティや、同じような志向をもつコミュニティとのネットワークづくりを意識しているところがある。

マルシェなどを行う時は、他地域の活動とのつながりで出店をしてもらえることも多い。

しかし、今回(2022年10月9日(日)に)行った「えんむすびプチマルシェ」では、他のコミュニティからの出店は少なかった。

準備期間が少ないことや、コロナの情勢で以前、中止を余儀なくされたこともあり、柔軟に対応できるように出店数を少なくしたところもある。

ちなみに、出店料も多く見込めないので、チラシも作らず、SNSと口コミだけの拡散にして、出店料は安くした。

また、これは外的な理由ではあるが、出店者(フリーマーケットとして)の中に、職場からコロナ対策として他県の人と接することは禁じられているという人もいたので、他県の方にはあえて声をかけなかったという側面もあった。

その結果、ほとんど親しい人ばかり、それもマルシェの出店はあまりしたことがないという出店者が多くなった。

店舗数が心もとないこともあるし、当日スタッフがあまりすることもないという理由から、自ら出店するスタッフもいた(僕も含めて)。

マルシェによく出店する人の中には、それが重要な収入源になっている人も多いようで、集客が少ないと不満が出ることもある。

その点、今回のえんむすびプチマルシェでは、心配はあまりなかった。

出店者の中には、近くの高校の生徒のブースもあり、自分たちで描いたイラストをシールやお守りにして売っていた。

大人の出品も販売されているものは、ほとんどがそのようなもので、自分で作ったり、絵をかいたり、自分が着ていた服を売ったり。

子ども連れの出店者も多く、その子ども同士がシャボン玉で遊ぶ。

スタッフが連れてきた犬もいる。

ツイッターで動画がバズったこともある柴犬で、とてもかわいいから看板犬として連れてきたどうかという話になった。

僕が所属している劇団のメンバーも3組出店した。

イラストや小物、アクセサリーの店と、フリーマーケット。

自分で作っているハーブでハーブティーをふるまうメンバーの奥さんも。

直接出店ではないが、おなじ劇団のメンバーが働いている地元のお菓子の会社の商品を仕入れて販売しているブースもあり、売り切れになったら補充の商品を劇団メンバーが持ってくる。

他の劇団メンバーが「それじゃ少ないよ。もう1回持ってきて」と冗談を言う。

劇団メンバーの子どももやってくる。

もちろん顔見知りである。

中には仲見世のイベントがきっかけで知り合い結婚して、ベビーカーを押して参加しているメンバーもいる。

この日は、三連休の中日で、釜石大観音の参拝客も見込んでいたのだけど、結果的に売り上げの大半は、僕やスタッフ、出店者の知り合いがほとんどだった。

売上の一部には、出店者同士が購入しあった代金も含まれる。

きわめてアットホームなマルシェだった。

まさに小さな経済圏。

後日談がある。

このマルシェがあった数日後、出店者とスタッフが付き合うことになったのだ。

えんむすびの看板に偽りなしである。

本人はマルシェがきっかけではないと言っているが、そんな細かいことはどうでもいい(笑)

話は少し戻るが、地元のお菓子の会社の社員で、劇団メンバーの男も、最近結婚して、来年には子どもが生まれるそうだ。

相手の女性も、結婚する前からよく知っている。

小さな経済圏というだけでなく、コミュニティを通じて新しい命も生まれてくる。

いわば小さな社会。

マルシェの規模は、これまでで一番小さかったが、その分、純粋さが増して、もっともそれを感じられるマルシェとなった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?