町の景観
建築の仕事をしていると「開発」に関わることがある。
一般的に開発というと、電化製品、電子機器などの新しい商品を試行錯誤して作るというイメージだと思うのだけど、建築の世界においてのそれは、かなりイメージが違う。
建築における開発とは、山林や農地を造成して、宅地を作ることを意味する。
宅地になったところには、建物が建てられることになる。
言い換えれば、建築の開発とは新しく町を作るということだ。
自分自身の反省でもあったのだけど、開発された土地に建物を作る段階で注意すべきことがある。
それは景観を整えることだ。
それぞれの土地の所有者(=建て主)が、バラバラの設計者にデザインを依頼し、好きなように建物を建てるとすると、その町は無残なことになる。
一言でいうなら、景観が悪くなるということだ。
設計を始めたばかりのころ、そんなことも考えずに、思いつくままに設計してしまったことがあった。
それはあまり良いことではないと、後でわかることになる。
その反省も踏まえて、僕自身は開発であろうと、もともと町だったところに建物を建てる場合であろうと、必ず周囲の建物の色やデザインを意識する。
僕以外の設計者も、多くはそうであろう。
とはいえ、設計者の自律的な意識に依存するだけでは、やや心もとない。
ましてや建築のプロではない、建て主には、ほとんど期待できない。
開発の段階で、ある一定のルールをつくる場合もあるが、大抵はゆるいもので、個人の自由を尊重すべきというのが、現代の日本の風潮だろう。
あまりにもわかりやすい例ではあるが、ある漫画家の自宅が、白地に赤のボーダーという派手な外観であったため「景観を損なう」と近隣住民に言われ、訴訟になったのは有名な話だ。
建物は個人の所有とはいえ、町の一部を形作るものであるがゆえに、公共性を伴う。
これもわかりやすい例ではあるが、町の景観を考えた時に思い浮かぶのが、エーゲ海に浮かぶサントリーニ島だ。
白い壁と青い屋根や窓で統一された町なみは、世界一美しいとも言われている。
他にも美しいと言われる世界の町があるが、いずれも屋根や外壁が町全体で統一されているという特徴がある。
そういうことを考えると、新しく作る町は一人の設計者が全部を設計して、景観の統一を行えばいいと思ったこともあった。
ところが、確かにそういう町も実際にあることがわかってきた。
同じ住宅メーカーが作った建売団地や、東日本大震災の被災地における、災害公営住宅(または復興住宅)の戸建形式のものだ。
しかし、それらを見ると全く同じような建物が整然と並んでいて、なんとなく無機質な感じがしてしまう。
適度なしばりがある中で、それぞれの建て主の個性も発揮されたほうが、人間味のある、魅力的な町になっていくというのが、今の僕の考えだ。
前述のサントリーニ島といえど、全てが白い壁というわけではない。
日本では、開発における景観形成失敗の反省もあってか、遅れながら景観法という法律が出来た。
市や町の条例で、景観に関する制限をもうけることが出来るようになったのだ。
東日本大震災で被災して、再建されつつある土地にも、景観法による屋根と外壁色の制限が設定されているところもある。
たとえば釜石市の隣の、大槌町はそれが設定されている街区があって、明るい色や、強い色彩の建物がなく、落ち着いた町なみが出来つつあると感じる。
景観法は平成16年に出来たが、身近で実際に運用されるようになるまで、それから10年ぐらい経っているように思う。
ところで最近、僕が設計監理をしている工事の関係で、僕よりも年配の地元の建築士と知り合った。
昨日、その工事の建方(建前)があり、現場事務所でなんとなく仕事以外の話になった。
その建築士は、釜石大観音仲見世における僕の活動を、FaceBookで知ったらしく、思いがけないことを言った。
仲見世の20数軒ある建物のうち、3軒を設計したという。
僕は全ての建物を、同じ建築士が設計したとばかり思っていたのだが、何人もの建築士が関わっていたらしい。
外観が統一されているのは、釜石大観音を運営し仲見世の事業を取り仕切っていた、石応禅寺の意向ということだった。
建物はそれぞれの建て主の所有になっているはずなのだが、建て主が自由に建てたら、決してああいう外観にはならない。
ああいう外観とはつまり、赤い瓦屋根と、黄色っぽい土色の外壁、そして2階の格子窓だ。
不思議に思っていたのは、建物の向きが、道路に平行であったり、そうでなかったりして、微妙に整っていない感じがすることだ。
一人の設計者が設計したら、ああいうことにはならないだろうというような。
しかし、その微妙なずれ具合のためか、建売団地のような無機質な感じには見えない。
きっと、設計者が何人もいたから、統一されつつも、有機的な雰囲気があるのだろう。
仲見世の建物群が出来たのは、昭和52年、景観法の制定より25年以上早い。
改めて、創設者の先見の明を感じる出来事だった。
(※0商店街のエリアの価値を高めるため、クラファンやってます!)
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